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「白い髪は老婆のようだ。まるで化け物のようだね」
私の髪をベタベタ触りながら、その人は言う。
「真っ赤な目は、血のようだね。本当に醜い」
私の瞳を舐めるように見ながら、その人は言う。
最後に、いつもと同じ
「こんな君を愛してあげるのは、僕だけだよ」
という言葉を吐いて、私を撫でた。
◇◇◇
私が婚約破棄を突きつけられた後、夜会のホールから出る為に扉をくぐれば、怖い顔をした父と母、そして兄がいた。
「さっきの婚約破棄は、どういうことだ」
「レギウス様のお言葉の通りです」
淡々と答えると、急に頬に熱が走った。殴られたのだと、遅れて理解する。
「だからなぜこのような事態に陥ったのかと聞いているのだ!」
「そうよ。その醜い容姿でも私たちは受け入れてやったのに。この親不孝者っ」
私は生まれた頃に事故で両親を亡くし、親戚であるこの三人に引き取られた。
「お前なんて、娘でもなんでもないっ」
「そうよ、出ていきなさい!」
だからか、この人たちに愛情というものを注がれたことはなかった。
――いや、それは少し違う。ある一人には、愛情を注がれていた。歪んで淀みきった愛情を。
「まあ、落ち着きなよ父さん母さん」
義理の兄である彼は、柔和な笑みで激情に身を任せる二人を止めた。
「追い出すのは少しやり過ぎじゃないのかな? こうなったら、フローレンスを使用人にしようじゃないか。父さんたちがそれも嫌がるなら、僕が結婚した時に連れて行くから」
この男は、私に異常に執着している。魔法の才に恵まれている彼は盗聴盗撮は当たり前のようにし、私を「醜い」と罵り暴力をふるい、最後に「こんなに汚いフローレンスを愛してあげられるのは僕だけだ」とのたまう。
父と母に暴力等を振るわれていることを訴えてみたこともあるが、止めるどころか跡継ぎである兄のストレス発散に役立っているなら、と喜んでいた。
むしろ母が積極的に、私に血が目立たない紺色のドレスやレースの多い服を着せてくる為、また父も「殺しはするなよ?」としか言わないから兄はここまで増長したんだと思う。
「こんなに醜いフローレンスを愛してるのは僕だけだ」
「お前は役立たずだ」
「両親と一緒に死ねば良かったのに」
その言葉たちは、終わることなく言われ続けた。物心ついた時から、ずぅっと。
――だから。私は言葉に怯えるようになってしまった。父と母に罵倒され、兄に執着を向けられる。これで壊れずにいられる心を、私は持っていない。
特に私の容姿に関しては、猛烈な忌避感を催させる。
あと、もう一つだけ、その言葉だけは……
そう私が考えている間に、話し合いは終わったようだった。
ニコニコ顔の兄が、私に手を差し出す。
「よし、じゃあフローレンス。家に帰ろう。……これからは兄妹としてじゃなく、一人の男と女として」
私は、その手を振り払った。
「そんな日は、永遠に来ませんわ」
「…………は?」
「――伏せろ、フローレンス」
バッと淑女のなんたるかも忘れしゃがめば、頭の上を長い脚が駆け抜け、兄に当たり吹っ飛ばした。
風を切るような音と壁になにかが打ち付けられる音の後、恐る恐る目を開ければ、伸びて床に倒れている兄がいる。伸びている間に、騎士に魔力封じの枷をつけられていた。
そのまま、父と母も拘束される。
私は目の前に立った人を目に映した瞬間、涙腺がじんわりと緩むのが分かった。
「レギウス様」
「大事な時にいなくて、すまないフローレンス」
私の頬にそっと手を添え、痛ましそうに私を見つめたレギウス様は、一転、父と母と兄に厳しい目を向けた。
「貴方たちは、多額の横領をした上に、隣国の公爵にその金を流していたらしいな? 国家反逆罪で、連行する」
「な……!」
「嫌よ! この手を離しなさいっ」
喚き散らす父と母。そして目を覚ました兄が私に吠えかかってきた。
「おい、じゃあフローレンスも罪人なんじゃないのか⁉ なんでそっちにいるんだ、来い、フローレンスッ!」
私を背に庇いながら、レギウス様は冷静に告げる。
「それは、彼女はお前たちにはなんの関係もないからだ」
「…………は?」
「そもそもフローレンスだけは、横領への関与の証拠がない。それに加えて、フローレンス・ラチアーノとしての婚姻もなくなり、今さっき絶縁を言い渡されラチアーノという姓も失った。彼女とお前たちを繋ぐ縁は、もうどこにもないんだ。
つまり、元々義理だった彼女はもうラチアーノとは他人なんだ。横領の罪に問われる事はない」
今日は饒舌だなぁ。それもそうか。だって彼はずっと、私の為におしゃべりを止めてくれていたのだから。
「また、フローレンスは虐待を受けていたという報告も証拠もある。よって、彼女はまぎれもなく被害者だ」
「くそ、くそっ。フローレンス、僕を裏切ったのか!」
喚く兄だったモノを、冷めた目で見下ろす。
「お前も、僕のことが好きだっただろう? そんな無口な男じゃなくて、僕を!」
私は、小さくため息をついた。
「分かってませんのね。言葉を尽くす人が、私は好きなのではありません」
「私を想って行動してくれる人が、好きなのです」




