第6話 カブトムシ vs クワガタムシ
「危険だから、絶対に近付かないでくれ。遠目で見ている分にはそれほど気味悪くはないと思うが……無理だと思ったら直ぐに馬車に戻ってほしい」
「はい、分かりましたわ」
侍女のクォーツが馬車の近くに置いてくれた小さな椅子に腰掛け、二人の決闘を見守ることにする。
身体構造が変化するタイプの亜人は、特別な服を仕立てることが多いと聞いていた。本来の姿になった時に身体のどこかを飾り立てるようなものに一緒に変化してくれる服だ。
当然値が張るので高位貴族しか普段使いにはしないそうだが、二人はどうなのだろう。
着替えの準備をしているようには見えないため、きっと二人とも特別仕様なのだろう。サリューツァはそう思った。
周りに何もない草原は、王都と違って風を遮るものがない。身体が冷えてきたと思う間もなく、肩に厚手のストールが掛けられた。
見上げれば、クォーツが微笑んで温かなお茶の支度を始めている。
(真剣な決闘なのに、いいのかしら……)
「サリューツァ様を賭けた戦いですもの。サリューツァ様はドンと構えているのがいいのです」
まるで心を読んだようなクォーツの言葉に、サリューツァは姿勢を正した。
ケルルティのことは知らないが、きっとディナステスと同じくらいの実力者なのだろう。
しかしサリューツァを見た時のケルルティの瞳。他の虫たちと同じ、私の花人の部分だけが欲しいとでもいうような瞳がどうしても受け入れがたかった。
ディナステスは、すぐにカブトムシにはなってしまったけれど、最初からその視線に嫌なものを感じなかった。
蜜の香りよりも先に、その奥にあるサリューツァ自身を見つめてくれたと思った。
(私がカブトムシさえ克服できれば……)
サリューツァの密かな決意など知らず、男たちは火花を散らしていた。
立会人として呼ばれたのは、両人共通の知り合いであるカマキリの虫人だった。鋭い目付きで二人を確認した後、少し離れたところに立って白い旗を下げる。
「はじめ!」
カマキリの持つ旗が空に掲げられた瞬間、サリューツァの眼前には大きなカブトムシとクワガタムシがいた。
「…………ッ!」
距離を取っていたお陰で、サリューツァの嫌悪感はそれほどでもなかった。太陽の光を反射して艷めく甲殻が、とても綺麗だと思う気持ちの方が大きかったからだ。
そそり立つツノも逞しく……と思った瞬間、クワガタムシのアゴが物凄い勢いでぶつかってきた。
ガキィィン!
「ひゃっ……!」
これだけの距離を取ってなお鼓膜を震わす衝撃に、咄嗟に身を縮める。サリューツァの斜め前には、いつでも庇うとでも言わんばかりのクォーツの背中があった。
ハラハラしながら二人の戦いを見ていると、少しディナステスが押され気味であるように感じられる。
「ねぇ、もしかしてディナステス様は劣勢なのかしら」
「……そう、ですね。大きな声では言えないのですが、ディナステス様の方がやや年齢が上ということもあるかと。全盛期の頃は誰も寄せ付けぬ強さだったと聞き及んでますから……」
ガッチリと組み合った状態で、お互いに相手をひっくり返そうと技を仕掛けあっているように見える。
互いの技をいなしながらも、しかしディナステスの方がじりじりと後方に追いやられていた。
「そろそろ引退じゃあないか? いい歳だろう!」
「まだ貴様には負けん……!」
「強がりもそこまで行くとご立派だな!」
グッ、とケルルティが後ろ脚を踏み込んだのが分かった。
このままでは、ディナステスが負ける。
サリューツァは反射的に立ち上がり、今までに出したことのないくらいに大きな声で叫んだ。
「ディナステス様! 勝って!」
「…………!」
ケルルティが力を入れた瞬間、ディナステスの身体がふわりと浮いた。投げられると思い目を瞑ってしまったサリューツァは、歓声を上げるクォーツに肩を叩かれて慌てて顔を上げた。
「えっ、ど、どうなったの……?!」
「ディナステス様がわざと身体を引いたせいでケルルティ様がバランスを崩したんです! そこを見逃さず、ディナステス様が見事投げ技を決めました!」
腹を見せて倒れるケルルティは、悔しげに唸った。既に人の姿に戻っていたディナステスが、立会人と会話をしている。
サリューツァの方を振り返ったディナステスは、眼鏡を掛けていなかった。
素の顔のまま、真っ直ぐにサリューツァの元へと歩いてくる。しっかりと目が合っているにも拘わらず、ディナステスがカブトムシになる素振りは見られない。
ディナステスはそのままゆっくりと跪き、サリューツァの手を取った。
「貴女を害する全ての虫から、生涯貴女を守らせてほしい。私と結婚してくれ。もう、貴女の前で無様な姿を見せることもしないと誓う」
無様な姿、という言葉の中に含まれるモノを感じ取り、サリューツァは首を振った。
「カブトムシに、なってもいいの。だってその姿は、正しくディナステス様でしょう? ディナステス様が私のために色々なことを克服なさると言うのなら、私だって貴方のために虫嫌いを克服したいわ」
そう告げてディナステスに抱きついた瞬間、サリューツァはカブトムシの背中の上にいた。一瞬カブトムシのお腹が見えたような気がしたが、サリューツァがそれを目の当たりにする前にディナステスが体勢を変えたのだった。
「くっ……情けない……。格好が付かなくてすまないが、良ければこれからは共に頑張らせてくれ……」
「もちろんです!」
そうして婚約した二人は、結婚式までの期間を特訓にあてた。
盛大に行われた結婚式は、蝶も花も舞い乱れる、それはそれは豪華なものとなるのであった。
【了】