第4話 昆虫伯爵の胸中
両親ともにカブトムシの虫人だった私は、順当にカブトムシとして産まれた。亜人の血は特殊で、亜人同士で結ばれる場合でもそれぞれの種の記憶が薄れることはない。その為、カブトムシと蝶の夫婦からカメムシが産まれるなどということも起こり得るのだ。
同じ種が交わればそれだけその種の記憶は濃くなるので、純血などといって先祖代々同種としか交わらない種族も存在した。
亜人は亜人同士で番になることがほとんどで、しかも虫人となれば大抵は同じ虫人と結ばれる。それには見た目が大きく起因していた。傍から見ている分にはいいのだろうが、至近距離で対面する虫人というのは他の種族の者たちからするとかなり忌避感の強いものであるらしい。
そんな中、自分が普通ではないことは早くから気付いていた。男女の性差が出始めた頃から、虫人に対してそういう感情を抱くことができなかったのだ。
まだその頃は人型になれる虫人も稀で、基本的にはみな虫の姿で学校に通う。教師もほとんど虫の姿で、授業の内容次第で人型になることしかない。それも、腹や脚、顔の一部は虫のまま。
クラスメイトたちがハナカマキリに魅せられているのを尻目に、自分の興味は街で見かける人間にしか向かなかった。ツルリとした肌、シンプルな造形、余分なものなど必要ないとばかりに存在する人間は、いつ見ても魅力的で。
だから社交界デビューしてからというもの、人間の多く参加するパーティを選んで出席するようになっていた。その頃にはある程度人化が可能で、二足歩行も完璧、指先も器用に使えグラスを落とすこともない。
パーティマナーを完璧に身に付けたにも拘わらず、私に近寄る人間はいなかった。消されなかった昆虫部分に嫌悪の視線ばかり感じて、寄ってくるのは虫人ばかり。
数年して完璧な人型になれるようになっても、好みの女性にアプローチしようとすると気が高揚するあまり昆虫形態に戻ってしまった。そうなれば悲鳴を上げて逃げるご令嬢を見送ることしかできず、気になった女性の隣に立つことすらできない現実を目の当たりにした私は全てを諦めた。
仕事に生きよう。
幸いなことに、我が家は爵位持ちだった。城に上がる機会も多く、虫人でありながら完全な人型になれる私は重宝された。女性が絡まなければ私の人化は乱れることもない。
完璧に仕事をこなしていれば、誰に後ろ指さされることもなかった。
二十歳になった年に城で徴税官として働くようになって早三十年。徴税のために飛び回る(その頃は文字通り羽根だけを出して飛んでいた)日々は既に過ぎ去り、今は城で財務管理を任されている。
このままずっと、仕事に生きていくのだと思っていた。
そんな時だ、サリューツァ・ナルモルグ公爵令嬢を見たのは。
いつもより花の香りが強いとは感じていた。城の庭で規模の小さなパーティが開かれることは知っていたから、庭師が張り切ったのだとばかり思っていたが、目の前を通り過ぎた女性を見てすぐに分かった。
強烈な花の香りが一瞬理性を奪いかける。自己を律し、女性を追い回す虫たちを叱責した。
「何をしている」
私が声と共に軽く威圧すると、亜人でもないただの虫たちは動きを止める。追い払う仕草をすれば、すぐに飛び去っていった。
「大丈夫ですか、レディ。この庭の虫たちは温厚で、普段はあんなことをするようなものたちではないんだが……」
「いえ、わたくしがいけないのです……本当に助かりました。何とお礼を申し上げたらいいか……」
近付くほど強まる香りをなるべく吸い込まぬよう意識しながら、鮮やかなオレンジのドレスを身にまとった女性に手を伸ばす。
綺麗にセットされていたであろう赤みの強いブロンドヘアは虫たちのせいで乱れていた。顔にかかった前髪の隙間から、エメラルドのように透き通った瞳が私を射抜く。
ボンッ
「えっ?」
まさかと思った。人化が解けた。
もう十年以上も人前で昆虫形態になったことなどない。完全に自分を律することができるのだと思っていたのに。
彼女に見つめられた瞬間、全身を貫かれるかのような痺れが襲った。少し潤んだ瞳、震える唇、細く小さな手、何もかもが私を魅了していた。
甘い香りは彼女を彩り、魅了を更に底上げしているようで……そんな彼女の顔が恐怖に歪むのを見て、我に返る。何をしているのだ。虫にまとわりつかれ逃げ惑っていた彼女の前で昆虫形態を晒すなど。
「きゃああああああああああああああっ!!」
「す、すまない! レディ!」
慌てて人間形態に戻るのと殆ど同時に、彼女は気を失った。寸でのところで彼女を受け止め、抱き上げると、パーティ会場から婦人が駆けてくる。
「サリューツァ! ああ、昆虫伯様…! ありがとうございます助けていただいたのですよね?」
「確か……エルモンド夫人だったか。虫に追われていたので追い払ったのだが、すまない、私のせいで……馬車を回す、貴女も乗るといい」
「えっ?!」
有無を言わさず婦人ごと馬車に乗せ、行き先を告げる。サリューツァの名前は宰相から聞いたことがあった。可愛い娘が一人、先祖返りのせいで花人の里から出られないのだと。
きっとその娘だろう。今も漂う花の香りは今まで会ったどの花人よりも濃い。だというのに、彼女の見た目は花人のそれとは全く異なり、ただの人間にしか見えない。
外見は人間であるのに、花人の能力だけが開花したのか。恐らくそのせいで虫に追われ、ずっと外に出られずにいたのだ。
そんな彼女の前で、カブトムシになってしまった。
どうすればあの失態を挽回できるだろう。どうすれば彼女の瞳から恐怖を消しされるだろう。
彼女を屋敷に送り届けてなお、私の頭の中は彼女のことで埋め尽くされていた。ずっと封印してきた感情が爆発したとでもいうように。
落ち着かせようと思っても無理で、恐怖に染まった彼女の顔がチラついて離れない。
ああ、私は。
彼女に、恋をしている。