第3話 手紙
初めて届いた手紙には、本の表紙に書かれている文字かと思うくらいに綺麗な私の名前があった。裏面には同じ筆致でディナステス様のお名前が。
ディナステス様の家紋の封蝋で閉じられた封筒を開けると、少し甘い花の香りがした。中には数枚の便箋が入っていて、広げると四隅に可愛らしい花の絵が描かれている。
私のためにわざわざ選んでくれたのだろうか。
季節の挨拶から始まり、謝罪の文言が。
『虫に追い立てられ恐怖した貴女を、私の姿で更に傷付けてしまって本当に申し訳なく思っている。言い訳に聞こえてしまうだろうが、私が人前で昆虫形態になってしまったことは10年以上なく、自分としてもまさかそんなことが起こるとは思っていなかった。油断もあったと思う。今後はそんなことのないようにと謝罪に行った先で、また昆虫形態になってしまった。己の制御が効かなくなったことについて、思い当たる節はある。貴女の美しさだ。』
思わず手紙から顔を上げる。やっぱり、ディナステス様の視線から感じた好意は気のせいではなかったのだ。父や母、兄から向けられる親愛の瞳と似ているけれど、家族からの視線にはない熱を持つ瞳。
思い出すだけで熱が上がる気がした。
けれどそれと同時に、ディナステス様がカブトムシになった姿が思い浮かんで背筋が粟立つ。
ああ、どうしてよりによってカブトムシなのだろう。彼が虫人でなければ。
「なければ? やだ、私ったら……」
虫人でなかったらどうだと言うのだ。二回だけ、それもほとんど会話もないくらいの関わりしかないのに。ディナステス様の真面目で完璧主義な性格が見て取れるかのように整った文字を目で追いながら、あの時虫から助けてくれた彼の姿が脳裏に浮かぶ。
「はぁ……」
虫の大群を一声で追い払ってしまった低い声。虫たちが一斉に去っていって開けた視界に姿勢良く立っていたディナステス様は、男性をほとんど知らない私でも、この人はきっとたくさんの女性を魅了する方なのだろうと思うくらいに格好良くて。
だからこそカブトムシの姿が、カブトムシの腹部のあの生々しい肉感が忘れられない。ディナステス様を思い出すとどうしてもカブトムシの姿が一緒に浮かんでしまって、最終的に嫌悪の感情が勝ってしまうのだ。
読むのを再開した手紙には、私を褒め称える言葉が溢れ、しかしそれは私から香る匂いに惑わされたせいではないと何度も書かれていた。
そう何度も言われると、実際はそうであることを隠そうとしているのでは?という疑問が湧いてくる。大量の虫たちが群がってくるのは確実に香りのせいだし、虫人である以上、影響が全くないとは思えなかった。そのことについては考えるのをやめ、
最後に、私がよければ少し手紙のやり取りを続けさせてほしい旨が書かれていて、私は返事を書くことにした。
手持ちのレターセットは可愛らしいものばかりで、ディナステス様に送るのに相応しくないのでは?と思う。クォーツに頼んで落ち着いた雰囲気のレターセットを探しに行ってもらった。
私は恥ずかしくて拒否したのだけれど、結局クォーツに勧められた深い紅の封筒にする。それは、私の瞳の色だった。便箋は私の趣味でもいいだろうということで、ひとつの角がレースのように切り抜かれているものを使うことにした。
ディナステス様に比べて上手くない文字が紙の上を埋めていく。これを送っていいものか、がっかりされないだろうか。そんなことを思いながら、文を綴った。
『助けていただいたにも拘わらず、大声で叫んで気を失うという大変な失礼をしてしまいました。わたくしからも謝罪をさせてくださいませ。恥ずかしながらこの歳になるまでほとんどを花人の森で過ごしており、ディナステス様のことも存じておりませんでした。父とも交流があるとのことで、今後はわたくし共々よろしくお願いいたします。虫の姿にならぬようにすることは可能なのですか?虫人のことも不勉強で申し訳ありません。ディナステス様のご負担にならなければ良いのですが。』
手紙を書きながら、虫人について全くと言っていいほどに知識がないことに気付いた。ディナステス様はカブトムシの虫人と言っていたから、色々な虫の虫人がいるのだろう。
野に咲く花と花人が異なるように、私に群がってくる小さな虫たちと虫人も異なるに違いない。
取り急ぎ、家にある本を読もう。私はそう決意した。
何度か書き損じながらも、手紙を書き終える。クォーツに託すと、満面の笑顔ですぐに配達の処理をしに行ってくれた。
「早くお返事ほしいですもんね〜」
「そ、そうね?」
「でもお嬢様、虫お嫌いですよね。昆虫伯様は平気なんですか?」
「平気では……ないわ。でも、お手紙なら関係ないでしょう?」
「確かにそうですね」
「そうだ、虫人に関する本を読みたいのだけど」
「はい! すぐに持ってきます!」
早く返事が欲しい。言葉にされるととても恥ずかしいけれど、すぐに手紙を出しに行ってくれたクォーツを見て、返事が待ち遠しくなったのは間違いなかった。
この気持ちがどうなっていくのかは分からないけれど、カブトムシを早く記憶から消せるようにしよう。あの人の姿を気兼ねなく思い出せるように。