人魚 陸
「おう、リン。戻ったか」
冒険者ギルドの三階、廊下を進んだ突き当りにあるギルド長の居室。依頼を終えて戻って来たばかりのリンタロウは、さっそくアルベールに呼び出されていた。
「はい戻りましたよ。それで、帰るなりすぐに呼びつけるなんて何かありましたか? まさかすぐ別の仕事なんて言わないですよね」
「そうつんけんするなよ。ちょっと人魚討伐の話を聞こうと思っただけだ」
依頼に行く前と同じように、二人はテーブルを挟んでソファに座る。アルベールの傍には資料が置かれていた。描かれている絵から察するに、人魚の資料のようだ。
「いつも通りひどいめに遭ってきましたよ。向こうの用意していた人魚対策が全く効かなかったときは流石に焦りましたね」
「なに? 人魚の歌を防ぐってやつか?」
「ええ。音を完全に遮断する魔法の耳栓だったんですが、どうやら人魚の歌の本質は音ではないようですね。一緒に船に乗っていた船乗りさんたちは完全に操られていましたし、あたしも頭がぼーっとして気分が悪かったですよ」
その説明にアルベールは訝し気に目を細めた。
「なんでお前は気分が悪い程度で済んでるんだよ」
「そこなんですがね。帰りにあたしと船乗りさんたちの違いについて色々考えてみたんですが、可能性としては魔力の差かな、と」
「魔力?」
「はい。ほら、ギルドに加入する前に色々と検査したでしょう。あの時、あたしの魔力量が成人のそれに比べて異様に低いって話だったじゃないですか」
「確かにそうだったな」
それはヴィーナがリンタロウを連れて来たときのことだ。リンタロウの不死の話を聞いたアルベールは、様々なテストをやらせてリンタロウの身体を検査した。その中のひとつが魔力検査だ。
魔力量は年齢に比例して増加するため、魔法とは無縁の生活をしている者でも成人であればそれなりの結果になる。だが、リンタロウの結果は悪い意味で前代未聞、最低ランクの基準もここまでの数値は想定していないという程の少なさだった。
「人魚の歌は人間の体を巡る魔力に作用しており、その量が少ないあたしは影響も少なかった、と考えると辻褄が合いませんか」
「現状だと辻褄を合わせただけとしか言えないな。だがまあ、全くないとは言い切れない線だ。それが正しければ奴らにとっては価値がない未成熟な雄、つまり子供は催眠の対象から外れることになる。合理的ではある、か」
アルベールは少し考えこんだが、やがて無駄だとかぶりを振った。今結論が出る問いではないし、答えを急ぐことでもない。
「しかし、やっぱり情報が少ない奴を相手にすると知らん能力に殺されかけるな。今後もよくわからんモンスターは一旦リンに振るのが安全か」
「そのおかげでいつも死ぬ思いをしてるんですが」
「思いだけで済むからお前に頼んでるんだよ。それに前にも言ったが、こっちがお前に一番期待しているのは情報だ。別に倒せずに帰ってきてもいいところを、頑張って倒してきちゃうから大変なんだろ?」
リンタロウは弱い。そのことはアルベールも理解しているし、そのうえで使っている。彼がリンタロウに求めるのはモンスターの情報であり、討伐は可能であれば、ぐらいにしか考えていない。
ただ、実際に現場に赴くリンタロウにしてみれば、倒せなくとも仕方がないと簡単に割り切れるものではないのだ。リンタロウが逃げ帰るのは簡単だ。だがそこに暮らす人々はそうではない。解決が遅れるほど被害は増え続ける。苦しむ人々を目の当たりにするからこそ、仕方がないと簡単に諦めることはできないのだ。それがリンタロウの冒険者としての矜持であり、性だった。
彼の苦労は、まだしばらく続きそうだ。
「そんなことより、だ。今の話も興味深いが、俺が気になってるのはそこじゃない」
アルベールの纏う空気がわずかに張り詰めた。
わざわざ呼び出したからには何かあるのだろう、とはリンタロウも思っていた。だがこの様子では余程の気掛かりらしい。リンタロウは少しだけ居住まいを正した。
「その様子だと、人魚は無事殺せた、そう思っていいのか?」
その問いの意図を図りかね、リンタロウはしばし答えに窮した。依頼の達成を念押しで確認されたことなど過去一度もない。今回に限ってそこを気にするのは大口のクライアントだからなのか。いや、そうではない気がする。
「ええ、問題ありませんでしたよ。海の中で揉み合いになりましたが、最終的には私のナイフが心臓に届き、絶命しました。商会の方もちゃんと死亡を確認したうえで持っていかれました」
「そうか…………」
ひとり考え込むアルベール。その様子にリンタロウは居心地の悪さを覚えた。何か、よくない流れだ。
「気になることでも?」
「まあ、そうだな」
「まさか、そこまで思わせぶりな態度をしておいて説明しない気じゃないでしょうね」
「聞きたいか? 聞かない方が幸せかもしれないぞ?」
「嫌な脅し方。このまま帰ったんじゃどのみちぐっすり眠れませんよ」
「どうだか。お前なら飯食った後には忘れてそうな気もするが、まあいい、なら話すぞ」
アルベールはソファに体を預け大きく息を吐いた。話は長くなりそうだ。
「今回の依頼の発端は、人魚の肉を喰えば不老不死になれる、そういう眉唾の伝承だったな」
「ええ。そうですね」
「しかしこの話、改めて考えてみると色々と気になる点が出てくる。まず、そもそもこの話は何がきっかけで生まれたのか」
意外な角度から始まった説明に困惑しつつも、リンタロウはその疑問に同感した。確かに何もないところから出てくるような話ではないだろう。何か、人魚を目撃した人々にそう思わせたきっかけがあったに違いない。
「リンが発った後な、ギルドが持ってる人魚の情報を洗い直してみたんだ。するとこの言い伝えの出所となった地域と、記録に残る最古の人魚事件が起きた地域が同じであることが判明した。つまり、言い伝えはその事件がきっかけで生まれた可能性が高い」
アルベールの説明は続く。
「事件のあらましはこうだ。舞台は今から二百五十年ほど前の、とある海沿いの村。そこではたびたび村の男が行方不明になっていたが、原因がわかっていなかった。だがそこで、夜中海沿いを歩いていた夫婦が人魚と遭遇する」
それが人類が初めて人魚という存在を認識した瞬間だった。
「二人は歌で攻撃され、夫の方が危うく連れ去られかけたが何とか逃げ延びた。そして二人の証言により、男たちを連れ去った犯人が人魚だと判明する。村は腕の立つ女だけで編成したチームを作り、人魚の討伐に打って出た。それから何度か交戦を繰り返し、遂には撃退、事件は幕を下ろすことになる」
「めでたしめでたし……ではありますが、これだと言い伝えが生まれた経緯はよくわかりませんね」
そう、今の一連の話には人魚の肉にまつわるくだりがない。これでは伝承が生まれたきっかけはわからずじまいだ。
「食べてみた人でもいたんでしょうか?」
最も単純な可能性を提示するが、リンタロウ自身、これはないような気がしていた。
「実物を目にしたお前に聞くが、人魚の死体がそこにあったとして、食うか?」
「食べないですね。食欲をそそるどころか、むしろ萎えちまうような面でしたよ」
「だろうな。得体の知れないモンスターを食いたがる奴なんざいないだろう。それこそ食えば不老不死になれるなんて話がなきゃ、わざわざ食べる動機がない」
だがそれでは順序が逆だ。人魚を喰えば不老不死になれる、この話が先にあったのでは答えになっていない。
「しかしそうなると、言い伝えはどこから出てきたんでしょう」
「そう。資料を洗い直したものの、伝承の出所には辿り着けなかった。だが、ここで注目したいのがもうひとつの疑問だ」
アルベールはリンタロウの目をまっすぐに見た。おそらくはその疑問こそが核心なのだ。リンタロウは気付けば息を止め、じっと続きを待っていた。
「リンはどう思う? 人魚の肉に人を不老不死にする力があったとき、肝心の人魚本体が不老不死じゃないなんてこと、あり得ると思うか?」
リンタロウはその意味を、いくらか時間をかけて飲み込んだ。一方で、その意図についてはいまだ腑に落ちてはいなかった。
そんな様子を見て取ったのか、アルベールはリンタロウの答えを待たずに話を進めた。
「あくまで推測だが、結論から言おう。件の伝承は人魚本体が持つ不死性、あるいは驚異的な生命力かもしれないが、とにかくそういった人魚の性質に関する情報が、人から人へと伝わっていく中で歪んでいった結果ではないだろうか」
そこまで言われればリンタロウでもわかった。伝承は人魚本体の持つ不死性から着想を得て生まれたという説。それは決してあり得ない話ではない。
「ギルドが保管する事件の資料には、討伐チームは人魚を撃退するまでの間に何度か戦った、と記録されている。何度も戦うことになったのは途中で相手に逃げられたからか、それとも倒したと思っていた相手が再び現れたからか。もし後者なら、そこに不死性を見出してもおかしくはない」
戦ったリンタロウだからわかる。人魚は弱い部類のモンスターだ。歌による催眠こそ厄介だが、それさえなければナイフ一本でも討伐できた。
そしてそれ故に、女性だけで構成した討伐チームが人魚に苦戦し、撤退したとは考えにくい。ならば何度も戦うことになった原因はアルベールの推測通りなのだろう。倒しても何度でも現れる相手、不死という可能性を考えるのは当然の帰結だ。
アルベールの推論は続く。
「それに記述通りに受け取るなら、この資料には人魚を討伐ではなく撃退、殺したのではなく退けたと記録されている。当時の人々は人魚を殺しきれたという確信を最後まで持てなかった、そう読み取ることができるだろう」
おそらくは死体を確認できなかったのだ。倒した人魚は海に沈んでいってしまうため、当時の人々は毎度、本当に倒せたのかと疑心を抱きながら帰ったに違いない。
そうしてついには姿を見せなくなった人魚だが、それは殺すことができたからなのか、村の男を狙うのをあきらめたからなのか。真相は、暗い海の底だ。
「もちろん、これは今持っている数少ない情報から想像を膨らませたに過ぎない。本格的に調査してみたら違う結論に辿り着いた、ということもあり得るだろう。ただそれでも、人魚の肉を食べれば不老不死になれる、なんて話に比べれば、人魚そのものに不死の性質があるって話の方が、まだ現実味があると思わないか?」
不死の実例なら目の前にいるしな。アルベールは最後にそう付け加えた。
全てを聞き終えたリンタロウは血の気が引く思いをしていた。一連の話の着地点、アルベールは何が気掛かりだったのか。その答えに辿り着いたとき、彼の頭をよぎったのは最悪の結末だ。
「あの、今回はちゃんと死亡確認できていますし、考えすぎ、ということは……」
「無論その可能性は大いにあるし、俺もお前の話を聞いてそう思わなかったわけではない。だが一方でだ。お前だって殺された瞬間に復活できるわけじゃないだろう? 人魚にも同じようなラグがある可能性は高いはずだ。過去の事件でいえば、戦闘と戦闘との間の空白の期間がそのラグと考えれば辻褄は合うからな」
「ああ……そうですね」
反論はできなかった。
もとよりこの話は限られた情報から導いた推論に過ぎないのだ。確かな根拠はなく、十分な検証がなされているわけでもない。そして、だからこそ否定することも難しい。穴があることを指摘したところで、それはお互い承知の上なのだから。
「もし、人魚がまだ生きていたとして、起こり得る被害はどれほどでしょうか……?」
「未来のお得意様候補を逃す、というのが我々の被る損害だ。あとは向こうの被害だが………………催眠の能力を持つ化け物を自分の巣に運び込むわけだからな。最悪、丸ごと乗っ取られる、とかか」
ああ、それは本当に洒落になっていない。
「今の話、商会には伝えてるんですか?」
「向こうの窓口を担当している奴が宿に滞在していたから、そういう可能性があることは昨日伝えておいた。で、そいつがすぐに馬を走らせたとして間に合うかどうかだが…………お前がもう帰ってきちまったあたり、俺は結構間に合わない気がしてるんだよなぁ」
やはり聞かなければよかった。アルベールの警告通り、何も知らないままこの依頼を終えられていた方が幸せだったのだ。彼の推測が正しかったとき、今からリンタロウ達にできることは何もないのだから。
「ええと、それはつまり……」
「祈るしかないな。今した話が全て杞憂で、人魚がちゃんと、死んでくれていることを」
人魚 完




