第16話『父の日』
6月16日、日曜日。
今日は正午からゾソールでバイトをしている。午後6時までのシフトだ。夕方頃に千弦が来てくれる予定なので、それを楽しみにバイトを頑張っている。
今日も梅雨らしく雨がシトシトと降り、蒸し暑く感じられる天候だ。
今日のような天気の日は涼しい喫茶店でゆっくりしようと考える人が多いのだろうか。シフトに入った直後からたくさんのお客様に接客し、カウンター席やテーブル席は結構埋まっている時間が続く。
ただ、今日はいつもの日曜日よりも、父親と子供という組み合わせのお客様や、お持ち帰りでコーヒーや紅茶やスイーツを購入されるお客様が多い。それはおそらく、今日は6月の第3日曜日で父の日だからだと思われる。
いつもとは違った状況を新鮮に思いつつ、カウンターでの接客を中心に仕事をしていく。
途中1回休憩を挟んで、午後3時半頃。
「洋平君、来たよ」
千弦がお店にやってきた。ロングスカートに半袖のブラウス姿の服装がよく似合っていて可愛らしい。千弦はエコバッグを肩に掛けている。
俺と目が合うと、千弦はニコッと笑って、俺が担当するカウンターの前まで来てくれた。
「いらっしゃいませ。来てくれてありがとう、千弦」
「いえいえ。洋平君に会いたかったから」
「そうか。会えて嬉しいよ。今日の服も可愛いな」
「ありがとう。洋平君も今日も制服姿が似合ってる」
「ありがとう。……エコバッグを持っているってことは、買い物に来たのか?」
「うん。夕食の材料をね。お父さんが大好きな豚の生姜焼きときんぴらごぼうを作るの」
「そうなんだ。孝史さん、喜んでくれるといいな」
とは言うけど、生姜焼きやきんぴらごぼうを喜んで食べている孝史さんの姿がパッと思い浮かんだ。きっと喜んでくれるんじゃないだろうか。
そういえば、千弦は母の日には果穂さんが好きなオムライスを作ったと言っていたな。父の日や母の日は好きなものを作るのが恒例なのかもしれない。
「うんっ。あとは父の日のプレゼントにネクタイを用意したよ」
「そうなんだ。素敵なプレゼントだね。俺もバイトが終わったら、父の日のプレゼントにここの紅茶セットを買う予定だよ。父さん、紅茶が結構好きだから。母の日みたいに、結菜は紅茶に合うスイーツを買ったって言ってた」
「そうなんだね。素敵なプレゼントだね」
「喜んでくれると嬉しいな」
「きっと喜んでくれるよ」
千弦は優しい笑顔でそう言ってくれる。
「いつまでも話しちゃいけないね。注文するね」
「分かった。……店内でのご利用ですか?」
「いいえ、持ち帰りで」
「お持ち帰りですね。ご注文をお伺いします」
「アイスコーヒーのMサイズをお願いします。この赤い水筒に入れてもらえますか」
そう言うと、千弦はエコバッグから赤い水筒を取り出す。
ゾソールでは、お持ち帰りで飲み物を注文する際、水筒やタンブラーといった持参した入れ物に飲み物を入れてもらうことができる。このサービスを利用するお客様はたまにいる。
そういえば、千弦は母の日のときも、この赤い水筒でアイスコーヒーをお持ち帰りしたっけ。
「かしこまりました。ガムシロップやミルクはいりますか?」
「どちらもいりません」
「どちらもなしですね。かしこまりました。以上でよろしいでしょうか?」
「はい」
「かしこまりました。アイスコーヒーのMサイズで300円となります」
その後、千弦から500円玉を受け取った。なので、おつりの200円とレシートを渡した。
千弦から赤い水筒を受け取る。
お店のMサイズのカップにアイスコーヒーを淹れた後、千弦から渡された水筒にアイスコーヒーを注いだ。これで大丈夫だな。
「お待たせしました。アイスコーヒーのMサイズになります」
と言い、千弦に赤い水筒を渡した。
「ありがとう。この後もバイト頑張ってね」
「ああ、頑張るよ。千弦も夕食作り頑張れよ」
「うんっ、ありがとう! じゃあ、また明日ね」
「ああ、また明日」
千弦は俺に向かって手を振りながらお店を後にした。そんな千弦に俺も小さく手を振った。
千弦が来てくれたおかげで、これまでのバイトの疲れが取れた。この後のバイトも頑張っていこう。
午後6時過ぎ。
シフト通りにバイトが終わり、バイトの制服から私服に着替えた俺は従業員用の出入口から外に出た。今の時期は夏至に近いのもあり、この時間でも空がまだ明るい。
父さんへの父の日のプレゼントを買うため、お客様用の出入口に向かい、再び店内に入る。
目的のティーパックやインスタントティーセットは……まだあった。そのセットを一つ購入して、俺は帰路に就いた。
数分ほど歩いて帰宅する。
キッチンの方から物音がするのでキッチンに向かうと……母さんと結菜が父さんの好物の鶏の唐揚げを作っていた。母の日のときと同じく、結菜が「夕ご飯一緒に作るよ!」と申し出たらしい。バイト後だからお腹が空いているけど、結菜が夕食作りをしていると知ってよりお腹が減った。
母の日のときと同様に、父さんへのプレゼントは夕食後に渡すことに。
俺が帰ってきてから15分ほどで唐揚げが完成し、家族全員で夕食を食べた。おかずが好物の唐揚げなのもあって、父さんはとても美味しそうに食べていた。
唐揚げは俺も好きだし、結菜が作ったのもあっていつも以上に美味しく、ご飯をおかわりするほどにたくさん食べられた。
夕食を食べ終わり、父さんと俺で後片付けをする。母さんと結菜が作った唐揚げを食べられたからか、父さんはご機嫌な様子で片付けをしていた。
「お父さん。あたしとお兄ちゃんから父の日のプレゼントがあります」
後片付けが終わったとき、結菜が父さんに向かってそう言う。
「おぉ、そうなんだ。それは嬉しいなぁ」
父さんは優しい笑顔でそう言った。そんな父さんのことを横から見ながら、母さんは「ふふっ」と楽しそうに笑う。
「お兄ちゃん、取りに行こうか」
「ああ、そうだな。ちょっと待ってて」
俺は結菜と一緒にキッチンを後にする。
自分の部屋に行き、ローテーブルに置いてある紅茶セットが入った紙の手提げを手に取った。
部屋を出ると、そこには水色の小さな紙の手提げを持った結菜がいた。手提げの中に、紅茶に合うスイーツが入っているのだろう。
「行くか」
「うんっ」
俺達は1階のキッチンへと向かい始める。
「お兄ちゃん、渡す順番はどうする?」
「そうだな……母の日のときは俺から渡したな。今回も俺から渡すか?」
「うん、そうしよう」
「了解」
1階に降りて、俺達はキッチンに行く。
キッチンの食卓では父さんと母さんが隣同士に座って談笑していた。
「父さん、お待たせ」
「お待たせ、お父さん。プレゼントを持ってきたよ」
「うん。どんなものか楽しみだ」
父さんはニッコリとした笑顔でそう言った。
「じゃあ、まずは俺から。いつもありがとう。日頃の感謝を込めてプレゼントするよ」
「ありがとう」
俺は紅茶セットが入った紙の手提げを父さんに渡した。父さんが喜んでくれると嬉しいな。
父さんは紙の手提げから紅茶セットの箱を取り出し、蓋を開ける。その瞬間、父さんは「おぉ」と声を漏らす。
「紅茶セットだ。アールグレイとかアップルティーとか色々なティーパックが入っているね。インスタントもある」
「父さんは紅茶が好きだからな。これからより暑い季節になるから、水出しのティーパックや水で作っても大丈夫なインスタントティーの入ったセットにしました」
「そうなんだ。これからは冷たいものがとても美味しい時期になるからね。紅茶は大好きだからとても嬉しいよ、ありがとう」
父さんはいつもの穏やかな笑顔でお礼を言ってくれた。そのことに嬉しい気持ちになり、頬が自然と緩んでいくのが分かった。
「いえいえ」
「良かったね、お兄ちゃん。じゃあ、次はあたしから。お父さん、いつもありがとう! プレゼントです!」
「ありがとう、結菜」
結菜は父さんに水色の紙の手提げを渡した。
父さんは水色の手提げから白い箱を取り出した。蓋を開けると、
「おぉ、カステラだ。色々な味が入ってるね」
箱の中には個別包装されたカステラが数個入っていた。紅茶に合うスイーツを買ったと言っていたけど、カステラだったか。また、プレーンだけでなく、ココア味と抹茶味のカステラも入っている。美味しそうだ。
「お兄ちゃんが紅茶を渡すつもりだって言っていたから、それに合うスイーツを買ったの。お父さんもスイーツ好きだし。色々な味があるといいかなと思って、それにしました」
「そうか。ココアや抹茶も好きだから嬉しいよ。ありがとう、結菜」
「いえいえ!」
結菜は嬉しそうな笑顔でそう言った。
良かったな、と俺は結菜の頭を優しく撫でる。すると、結菜は「えへへっ」と笑いながらニッコリとした笑顔を俺に向けてくれて。俺の妹は本当に可愛いなぁ。
「素敵なプレゼントをもらえて良かったわね、お父さん」
「ああ。紅茶もカステラも好きだから嬉しいよ。2人ともありがとう」
「いえいえ。喜んでくれて良かったよ」
「お兄ちゃんの言う通りだね!」
「じゃあ、さっそく紅茶とカステラをいただこうかな」
その後、父さんはインスタントのストレートティーを冷たい水で作り、プレーンのカステラを箱から取り出した。
父さんはストレートティーを一口飲む。
「うん、美味しい。さすがはゾソールの紅茶だね」
父さんは柔らかな笑顔で俺を見ながらそう言う。
「良かった」
プレゼントした人間として、そしてゾソールでバイトをしている人間としてとても嬉しい言葉だ。
父さんはプレーンのカステラを一口食べる。
「うん、甘くて美味しいね。この紅茶とよく合ってる」
ニッコリとした笑顔で結菜のことを見ながら父さんはそう言った。
「そっか。良かったよ!」
そう言う結菜はとても嬉しそうで。結菜を見ていると嬉しい気持ちが膨らむよ。
父さんはカステラをもう一口食べ、その後に紅茶を一口。どちらも美味しいからか、父さんの笑顔が幸せそうなものに変わる。
「本当に美味しい。2人ともありがとう」
「いえいえ」
「喜んでくれて嬉しいよ!」
「ふふっ。良かったわね、お父さん。あと、今の幸せそうな笑顔は昔から変わらないわね。とても素敵だわ……」
と、母さんはうっとりとした様子で父さんのことを隣から見つめていた。そんな母さんに父さんは「ははっ」と優しく笑って、母さんの頭をポンポンと優しく叩いた。
母の日と同じで、最高の形で父の日のプレゼントのお渡し会が終わった。父さんが喜んでくれて本当に良かった。
自分の部屋に戻って、スマホを確認すると、千弦から、
『お父さん、生姜焼きもきんぴらごぼうも美味しそうに食べてくれた! プレゼントしたネクタイも喜んでくれたよ。明日の仕事に行くときにさっそく結ぶみたい』
というメッセージが届いていた。やはり、孝史さんは千弦の作った夕食を美味しそうに食べて、プレゼントを喜んだか。千弦のメッセージを見て嬉しい気持ちになる。
『良かったな、千弦。こっちも、俺のプレゼントした紅茶を喜んでくれたよ。結菜はカステラで。夕食後にさっそく楽しんでた』
というメッセージを送った。
すると、10秒もしないうちに、俺の送ったメッセージには千弦が見たことを示す『既読』マークが付いて、
『良かったね!』
と返信をくれた。そのシンプルなメッセージを見た瞬間、父さんが紅茶とスイーツを楽しんでいたときと同じくらいに嬉しい気持ちになった。




