第1話『明日から』
結菜と父さんとの挨拶が終わってすぐ、千弦は家に帰ることになった。俺は千弦を最寄り駅の洲中駅の南口まで送ることにした。
今は午後6時半近くだけど、陽がとても長い時期なのもあって、空はまだちょっと明るい。ただ、陽がだいぶ傾いているのもあり、昼間のような暑さはなくて過ごしやすい気候になっている。柔く吹く風が涼しいと思えるくらいだ。
「お家デートとても楽しかった! 洋平君と一緒にいっぱいアニメを観たし。それに、キスを何回もしたから……」
千弦は言葉通りの楽しそうな笑顔でそう言ってくれた。ただ、その笑顔は頬を中心にほんのりと赤くなっていて。デート中にしたキスを思い出しているのかな。
「凄く楽しかったよな。千弦と一緒にアニメを観るのは面白かったし、キスも凄く良かったから」
「そっか。洋平君も楽しめて嬉しいよ」
「俺も千弦が楽しめて嬉しいよ」
「ふふっ。これからも今日みたいなお家デートしようね」
「そうだな」
俺がそう言うと、千弦の笑顔はニッコリとした可愛らしいものになった。
千弦と2人きりでゆっくり過ごせたし、千弦と一緒にアニメを観るのがとても楽しかった。千弦も俺と一緒にアニメを観るのが楽しかったって言っていたから、お家デートは俺達のデートの定番になりそうだ。
「あと、洋平君の家族全員に、洋平君と付き合い始めたって直接挨拶できて良かったな。みんなからおめでとうって言ってもらえて嬉しかった」
「俺も付き合い始めたことを祝ってもらえて嬉しかったよ。千弦が挨拶したし、俺も近いうちに千弦の御両親に付き合い始めたって直接挨拶したいな」
「分かった。さっそく明日の放課後に私の家に行く?」
「明日はバイトがあるから別の日がいいかな。明後日は……金曜日だから千弦の部活があるか」
「うん。手芸部の活動があるね。じゃあ、週末にしようか」
「そうだな。今週末は…土曜日は空いてる。千弦と御両親はどうかな?」
「私は大丈夫。お母さんとお父さんも特に予定はなかったから大丈夫だと思うよ」
「分かった。じゃあ、土曜日に挨拶に行くよ。で、その後にお家デートしたいな」
「それいいね! 分かった!」
千弦は嬉しそうな笑顔でそう言った。
大好きな千弦とのデートの予定ができるのって嬉しいな。御両親に挨拶するのはちょっと緊張するけど、お家デートが楽しみだ。明日と明後日の学校や、明日の放課後にあるバイトを頑張れそうだ。
それからは今日のお家デートのことやデート中に観たアニメの話などをしながら、洲中駅に向かって歩いていく。楽しい時間だったのもあり話が盛り上がって。
数分ほど歩いて、洲中駅の南口が見え始めたとき、
「ねえ、洋平君。明日からのことで相談したいことがあるんだけど……」
「うん、どんなことだ?」
「……洋平君とも一緒に登校したいなって。どうかな?」
千弦は俺の目を見つめながらそんなことを言ってくる。
俺とも一緒に登校したい……か。千弦はいつも親友の星野さんと一緒に登校している。俺とも一緒に登校したのは、千弦が素を明かした日くらいだ。ただ、恋人として付き合い始めたから、これからは俺とも毎日一緒に登校したいと考えているのだろう。可愛い相談をしてくる。
あと、洋平君と「も」と言うところが、千弦らしいなと思った。それだけ、星野さんと一緒に登校するのが楽しいのだろう。
「一緒に登校か。俺もそうしたいな」
少しの時間だけど、今までよりも千弦と一緒にいられる時間が長くなるし。
「そう言ってくれて良かった」
俺が提案を受け入れたのが嬉しいからか、千弦は嬉しそうな笑顔でそう言う。可愛いな。
「じゃあ、彩葉ちゃんに相談してみようか」
「そうだな。千弦は星野さんと一緒に登校しているし」
星野さんがどのような考えでも、それを尊重したいと思う。
俺達は周りの人の邪魔にならなさそうな場所で立ち止まり、俺はスラックスのポケットから、千弦はスクールバッグからそれぞれ自分のスマホを取り出す。
LINEの俺、千弦、星野さんがメンバーであるグループトークを開き、
『彩葉ちゃん。登校のことで相談があって。洋平君と付き合い始めたから、明日から洋平君とも一緒に登校したいなって思っていて。彩葉ちゃんはどうかな?』
『星野さんの意見を聞きたいんだ』
千弦と俺はそんなメッセージを送信する。
千弦がグループトークを開いているので、俺が送信したメッセージにはすぐに『既読1』と、グループのメンバーの1人がメッセージを見たと示す文言が表示された。
果たして、星野さんは俺達のメッセージを見てどう思うだろうか。一緒に登校していいと思ってくれたら嬉しいけど。
それから程なくして、俺の送信したメッセージが『既読2』となる。そして、
『いいよ。白石君と一緒に登校しても』
『ただ、千弦ちゃんと白石君が2人きりで登校したいって言うと思ってたよ。付き合い始めたんだし、2人きりで登校してもかまわないよ?』
という2つのメッセージが星野さんから送信された。
一緒に登校してもいいと言ってくれるだけじゃなくて、千弦と俺が2人きりで登校してもいいと言ってくれるとは。優しいなぁ、星野さん。千弦と俺が一緒に登校するなら、自分が一緒にいるよりも2人きりの方がいいんじゃないかと気遣ってくれているのもありそうだ。
「一緒に登校していいって彩葉ちゃんが言ってくれて良かった。それに、2人きりで登校してもかまわないって言ってくれるなんて。彩葉ちゃん……優しいな」
「俺も優しいなって思ったよ。一緒に登校してもいいって言ってくれたのは良かったけど、千弦の2人で登校するのは魅力的だなって思ってる。千弦と一緒に家に帰ったときも、それに今も千弦と2人で歩くのは楽しいし」
「私も洋平君と2人で歩くのが楽しいから、2人きりの登校もいいなって思ってる。素を明かした日に3人で登校したのも良かったけど」
「そうか。同じ気持ちで嬉しいよ」
「私も」
千弦はニコッとした笑顔でそう言った。
「じゃあ……明日からは俺と2人で登校するか?」
「うん。そうしよう」
千弦と俺の意見がまとまったので、
『彩葉ちゃん、2人きりで行く提案をしてくれてありがとう。明日から洋平君と2人きりで登校するね』
『千弦と2人きりで登校するよ』
と、星野さんと3人でのグループトークにそんなメッセージを送る。
俺の送ったメッセージはすぐに『既読2』と付き、
『分かった!』
と、星野さんからメッセージが届いた。
こうして、明日からは千弦と俺の2人で登校することが決まった。今から明日の登校が楽しみだ。千弦も同じ気持ちなのか、楽しげな笑顔になっている。
俺と千弦は星野さんに向けて『ありがとう』とメッセージを送った。
「明日からよろしくね、洋平君」
「ああ。こちらこそよろしく。……待ち合わせをする場所はどうする? この前、3人で登校したときは駅の南口で待ち合わせしたけど」
「駅で何度も待ち合わせしたことがあったから、あのときは駅にしようって言ったんだ。ただ、洋平君にとっては駅前の道を往復することになるから……駅前の道と、学校へ行く道がぶつかるあの交差点がいいかなって思ってるんだけど」
そう言い、千弦は駅前に行ける道路と学校へ行ける道路の交差点を指さす。あの交差点なら俺の通学ルートだ。歩道もそれなりに広いので、立ち止まっていても通行する人の邪魔にはなりにくいだろうから良さそうだ。
「いい場所だな」
「じゃあ、あの交差点で待ち合わせしようか」
「分かった。時間はどうしようか? この前、3人で登校したときと同じで午前8時にするか?」
「うん、それでかまわないよ」
「了解。じゃあ、午前8時に交差点で待ち合わせしよう。何かあって遅れそうなときとか、先に学校へ行ってほしいときなどには連絡するってことで」
「うんっ!」
千弦は元気良く返事をした。可愛いな。
登校時の待ち合わせについて一通り決まったので、俺と千弦は再び手を繋いで洲中駅の南口向かって歩き始める。まあ、既に南口は見えているので、歩き始めてすぐに南口の前まで辿り着いた。
「到着だな」
「うん。送ってくれてありがとう」
「いえいえ。千弦と話していたから楽しかった」
「良かった。……今日は勇気を出して洋平君に告白して。恋人になることができて。洋平君の家でお家デートできて。キスもできて。凄く素敵ないい一日だったよ。ありがとう、洋平君」
「いえいえ。こちらこそありがとう。千弦が告白してくれたおかげで、俺にとっても凄く素敵でいい一日になった。忘れられない日にもなったよ」
「私もだよ」
千弦はとても可愛い笑顔でそう言った。今の千弦を見ていると、今日の出来事をいっぱい思い出すよ。特に、放課後に千弦から告白されてからのことが。それもあり、胸が温かくなっていく。
「あと、今くらいの時間帯に洋平君と一緒にここにいると、4月に私をナンパから助けてくれたときのことを思い出すよ。あの頃は空が暗かったけどね」
「そうか」
今いる場所のあたりで、ナンパをしてきた男達から千弦を助けたことがきっかけで、千弦と友達になって関わりが増えていったんだよな。ナンパから助けたのは4月の下旬頃だけど、それから色々なことがあったから随分と昔のことのように思える。
「あのとき、洋平君が私を助けてくれて嬉しかった。あと、あのときの洋平君がかっこよかったな」
依然として、千弦はとても可愛い笑顔でそう言ってくれる。千弦から嬉しいとかかっこいいって言われると、凄く嬉しい気持ちになる。
あと、今の千弦の笑顔は、ナンパから助けたときに俺にお礼を言ったときの笑顔と重なる。あの頃、千弦は外では中性的な雰囲気で振る舞っていたから、女の子らしい可愛い笑顔がとても印象的だったことを覚えている。
「そう言ってくれて嬉しいよ、千弦」
そう言い、俺は千弦の頭を優しく撫でる。千弦のワンレングスボブの黒髪の触り心地がとてもいい。
撫でられるのが気持ちいいのか、千弦の笑顔は柔らかいものになって。
「気持ちいい。頭撫でられるの……好きだな」
「ははっ、そっか。良かった」
自分のしたことが好きだと言ってもらえて嬉しい。覚えておこう。
「じゃあ、帰るね」
「ああ。気をつけて帰れよ」
「うんっ。また明日ね!」
「また明日」
そっと手を離すと、千弦は笑顔で俺に手を振ってくる。俺も千弦に向けて手を振る。
千弦は一人で洲中駅の構内に入り、北口の方へ向かっていく。たまにこちらに振り向いて手を振りながら。
千弦の姿が見えなくなるまで、俺はその場で見守り続けた。




