第45話『母の日-前編-』
5月12日、日曜日。
今日は正午からゾソールでバイトをしている。午後6時までのシフトだ。
今日は日曜日だし、天気もいい。それに加えてお昼時なのもあって、シフトに入った直後から、たくさんのお客様に接客している。これなら、今日のバイトもあっという間に時間が過ぎていきそうかな。バイト中に千弦が来てくれる予定だし頑張れそうだ。
あと、今日はいつもよりも親子連れが多い。特に母と娘と思われる組み合わせが。今日は母の日だからだろうか。
また、これも母の日の影響なのか、いつもよりお持ち帰りのお客様が多い。スイーツやインスタントコーヒーなどがよく注文される。母の日のプレゼントにするのかな。
いつもとは違う光景や状況を楽しみつつ、カウンターでの接客を中心とした仕事をしていく。
休憩を1回挟んで、午後3時過ぎに、
「やあ、洋平。来たよ」
千弦がお店に来てくれた。一人での来店だけど、外だからか今は中性的な雰囲気の王子様モードになっている。スラックスにフレンチスリーブのブラウスがよく似合っていて。体のラインが出ており、千弦のスタイルの良さがよく分かる。
また、千弦はショルダーバッグの他に、少し大きめの紙の手提げ袋を持っていた。母の日のプレゼントを買ったのかな。
「いらっしゃいませ。来てくれてありがとう、千弦」
「いえいえ」
「今日の服もよく似合っているね」
「ありがとう。嬉しいな」
千弦はお礼を言うと、俺にニコッと笑いかけてくれる。中性的な雰囲気を演じているときでもニコッと笑うことはあるけど、今までよりも柔らかい感じがする。千弦から素の自分を教えてもらったからだろうか。
「母の日のプレゼントを買うって言っていたけど、無事に買えたか?」
「うん。ボディークリームと、この近くにあるお花屋さんで赤いカーネーションを鉢植えでね。カーネーションの方は今日受け取れるように予約していたんだ」
「そうなんだ。無事に買えて良かったな」
「ありがとう。ゴールデンウィークにバイトをしたから奮発したよ。あとは夕ご飯にお母さんの大好きなオムライスを作ることになっているんだ」
「そうなのか。好きな料理を作るっていうのもいいな。きっと、果穂さんは喜んでくれるよ」
何回か軽く話した程度だけど、果穂さんは千弦のことが大好きで大切に思っているのが伝わってきたから。果穂さんなら喜んでくれると思っている。
「うん。喜んでくれたら嬉しいな」
千弦はニッコリとした笑顔でそう言い、一度頷いた。その笑顔でプレゼントを渡したり、一緒にオムライスを食べたりすれば果穂さんは絶対に喜んでくれるさ。
「洋平は由美さんに母の日のプレゼントを渡すの?」
「ああ。バイト上がりにここのインスタントコーヒーを買って、母さんにプレゼントするよ。去年と同じだけど、母さんはコーヒーが好きだからな。今年はバイトをしてお金があるから、奮発してセットにしようと思ってる」
「そうなんだ。ここでバイトをしている洋平らしいプレゼントだね」
「そう言ってくれて嬉しいな。結菜がスイーツをプレゼントするから、コーヒーと一緒に楽しんでもらおうってことになってる」
「おぉ、なるほどね。きょうだいだからできる形の素敵なプレゼントだね。きっと、由美さんは喜んでくれるよ」
「ああ。喜んでくれると嬉しいな」
母さんはコーヒーもスイーツも好きだと分かっている。ただ、友達の千弦から喜んでくれるだろうって言われると嬉しいし、心強い。温かい気持ちにもなって。もしかしたら、さっき、千弦はこういう思いを抱いていたのかもしれない。
「いつでもここで話したらいけないね。注文していいかな?」
「もちろん。……店内でのご利用ですか?」
「今日はお持ち帰りで」
「お持ち帰りですね。かしこまりました。ご注文をお伺いします」
「アイスコーヒーのMサイズで。それを、この水筒に入れてもらえますか?」
そう言い、千弦はショルダーバッグから赤い水筒を取り出す。学校に持ってくる水筒よりもちょっと小さめのものだ。
ゾソールではマイボトルやマイカップの持ち込みが可能で、それらにドリンクを入れてもらうこともできる。千弦のように水筒やタンブラーにドリンクを入れてお持ち帰りするお客様もいれば、自分のマグカップにドリンクを入れて店内で楽しむお客様もいる。
「かしこまりました。ガムシロップやミルクはお付けしますか?」
「どちらもいりません。以上で」
「かしこまりました。アイスコーヒーMサイズがお一つで、300円になります」
千弦は300円ちょうど出してくれたので、レシートのみを渡した。
お店のMサイズのカップにアイスコーヒーを淹れた後、千弦から渡された水筒にアイスコーヒーを注いだ。
「お待たせしました。アイスコーヒーのMサイズになります」
「ありがとう」
Mサイズ分のアイスコーヒーが入った水筒を千弦に手渡した。
「このコーヒーを飲んでゆっくりしたり、夕食のオムライス作りを頑張ったりするよ」
「そうか。オムライス作り、頑張れよ」
「ありがとう」
千弦は爽やかな笑顔でお礼を言う。ただ、その直後に千弦は周りをキョロキョロと見ている。どうしたんだろう?
「友達や知り合いはいない……か」
そう独り言ちると、千弦はゆっくりと俺に顔を近づけて、
「この後のバイトも頑張ってね、洋平君」
昨日のお家デートでたくさん見た可愛らしい笑顔になり、俺にしか聞こえないような小さくて可愛らしい声で千弦はそう言ってくれた。俺を洋平君とも言っているし、今は素のモードになっているのか。
周りを見たのは、素になっても大丈夫かどうかを判断するためだったんだな。
千弦の自宅ではないし、普通に王子様モードで接していたので、不意打ちで素のモードで頑張ってと言われると、ギャップでドキッとする。
「ありがとう、千弦」
「うんっ」
素の可愛い笑顔で頷くと、千弦は「ふーっ」と長めに呼吸して、再び中性的な落ち着いた笑顔になる。昨日のお家デートでも、俺に壁ドンをする際に王子様モードになったときは長めの呼吸をしていたな。そうすることで、意識を王子様モードに切り替えられるのかもしれない。
「じゃあ、また明日、学校でね。洋平」
「ああ。また明日な」
俺がそう言うと、千弦はニコッと笑い、俺に小さく手を振ってお店を後にした。
千弦が来てくれたから、これまでのバイトの疲れがちょっと取れた。残り半分ほどのバイトを頑張ろう。
再び、カウンターでの接客を中心に仕事をしていく。
おやつ時の時間帯なのもあって、ドリンクだけじゃなくてフードメニューを頼まれるお客様も多いな。
客席ではドリンクやフードを楽しんでいるお客様がいっぱいいて。中にはスイーツを食べさせ合っているお客様達もいて。その光景を見て、ゴールデンウィークに千弦達とここに来て、スイーツを食べさせ合ったことを思い出した。あのときは楽しかったな。
シフト通りにバイトが終わり、俺は従業員用の出入口からお店の外に出る。
ただ、母さんに母の日のプレゼントを買うため、お客様用の出入口の方に向かって、再び店内に入った。こういうことは全然ないので、ちょっと不思議な感覚に。
インスタントコーヒーセットはまだあり、無事に購入することができた。良かった。母さんが喜んでくれると嬉しいなと思いつつ、俺は帰路に就いた。




