第34話『桃のゼリーを食べさせてもらった。』
下半身の方を拭いたり、下着を含めて着替えたりしたいため、千弦に上半身を拭いてもらった後は2人には一旦部屋を出て行ってもらった。
下半身をバスタオルで拭いていく。千弦と星野さんなら入ってこないだろうと思うけど、鍵のない扉の向こうにクラスメイトの女子2人がいる中で裸になるのはちょっと緊張感があったし、気持ちが落ち着かなかった。2人の笑い声が廊下から聞こえてくるし。
タンスから新しい寝間着と下着とインナーシャツを取り出して着替える。汗を拭いてもらって、着替えたから体がスッキリしていい気分だ。
下着もあるから、今まで着ていた服は汗拭きで使ったタオルに包んでおこう。
「千弦、星野さん、着替え終わったから入ってきていいよ」
『はーい』
声を揃えて返事をして、千弦と星野さんが再び部屋に入ってきた。
「おっ、水色の寝間着だ。それも似合ってるよ」
「爽やかな雰囲気でいいね。さっきの紺色は落ち着いた雰囲気があって良かったけど」
「そうか。ありがとう。あと、千弦は汗を拭いてくれてありがとう。気持ち良かったし、汗を拭いてもらったからスッキリした」
「いえいえ。それに、洋平にも汗拭きを気持ちいいって言ってもらえて嬉しかったよ」
「ははっ。今後も、お見舞いのときには千弦に汗拭きを頼もうかな。まあ、健康であることが一番だけど」
「健康に越したことはないね。ただ、体調を崩したときには喜んで汗を拭くよ」
千弦は爽やかな笑顔でそう言ってくれる。俺に向けている千弦の目つきは優しくて。きっと、建前ではなく本音なのだろう。
「俺、タオルと今まで着ていた服を洗面所に置いてくるよ。2人はくつろいでいてくれ」
「ああ、分かった」
「いってらっしゃい、白石君」
「いってらっしゃい」
千弦と星野さんから「いってらっしゃい」って言われるのは何だかいいな。新鮮だし。
俺は今まで着ていた服を包んだバスタオルを持って、自分の部屋を後にする。
階段で1階に下りて、洗面所へ。
洗面所には洗い物を入れる水色の洗濯カゴがある。バスタオルを広げ、空っぽの洗濯カゴにバスタオルと今まで着ていた服を入れた。
「あっ、洋平」
扉の方から母さんの声が聞こえたのでそちらを見ると、扉の近くに母さんが立っていた。
「どうした、母さん」
「誰かが階段の下りる音と洗面所の方で足音が聞こえたから、どうしたのかなと思って」
「そういうことか。汗を掻いたから、千弦に汗を拭いてもらって、寝間着と下着とインナーシャツを着替えたんだ。それで、タオルと今まで着ていた服をここに置きに来たんだ。あっ、千弦に拭いてもらったっていっても、上半身だけだからな」
「そうなのね。……お見舞いに行って、男の子の体を拭くかぁ。私も、高校時代にお父さんと付き合っているとき、風邪を引いたお父さんのお見舞いに行ってタオルで汗を拭いてあげたっけ……」
うふふっ、と母さんは楽しそうに笑っている。そんな母さんの頬はほんのりと赤くなっていて、恍惚とした雰囲気になっている。そのときのことを思い出しているのだろうか。父さんとラブラブな母さんのことだから、汗を拭いたときに服を脱いだ父さんの体も思い出していそうだ。
「ところで、体調はどう? フラフラせずに立てているし、顔色も良くなっているから、結構良くなってきている感じはするけど」
「結構良くなったよ。さっき熱を測ったら、36度9分だった」
「良かったわ」
母さんはほっと胸を撫で下ろした。そうなるのはきっと、今朝の俺を見ているからだろう。
「あと、バスタオルとスポーツドリンクありがとう」
「いえいえ。熱が出ているから汗を掻くと思って、寝ている間に体温計と一緒に置いておいたの」
「そうだったんだ。ありがとう。千弦と星野さんが待っているし、俺は部屋に戻るよ」
「うん。母さんはリビングにいるから、何かあったら遠慮なく言いなさいね」
「ああ、分かった」
俺は洗面所を後にして、2階にある自分の部屋に戻る。
部屋に戻ると、千弦と星野さんがクッションに座りながら談笑していた。今日は学校を欠席していたから、2人の話し声や笑い声を直接聞けることを嬉しく思える。
「ただいま。ちょっと母さんと話してた。今の体調を伝えたらほっとしてた」
「そうだったんだ。おかえり」
「おかえりなさい」
千弦と星野さんは穏やかな笑顔でそう言ってくれた。さっき、「いってらっしゃい」と言われたので、おかえりと言ってくれるかもと思っていたけど、実際に言われると嬉しいものがある。
「あと、玲央と早希と坂井君はこの後お見舞いに来るけど、パークランドに行った人がメンバーのグループトークに、洋平の体調が良くなってきたってメッセージ送っておいたよ」
「飛鳥先生と結菜ちゃんからはすぐに『良かった』って返信来てたよ」
「そっか。ありがとう」
ベッドに置いてあるスマホを手に取り、LIMEのパークランドに行った8人のグループトークを見ると、千弦と星野さんが俺の現状の体調を伝えるメッセージが送られており、それに対して結菜と山本先生から『良かった』とメッセージが届いていた。
俺からも『だいぶ良くなってきました。心配掛けてごめんなさい。』とメッセージを送っておいた。これで、みんながより安心できるだろう。
スマホを置いて、俺はローテーブルの側に置いてあるクッションに座る。
「洋平。他に何かしてほしいことはある?」
「何でもいいよ」
「そうだな……じゃあ、2人が買ってきてくれたものを食べさせてもらおうかな」
「分かった」
「私がやってもいい? 汗拭きは千弦ちゃんがやったから。私も白石君のために何かしたいし」
右手を顔の高さくらいまで挙げながら、星野さんはそう言ってくれる。星野さんはやる気になっていて。千弦が俺の体を拭いているときから、次に何かお願いされたら自分がやろうと決めていたのかもしれない。
「うん、いいよ。洋平もいいかな?」
「ああ、いいぞ」
「ありがとう。桃のゼリーとプリンがあるけど、どっちがいい?」
「そうだな……今は桃のゼリーを食べたい気分だ」
「桃のゼリーだね。分かった」
「プリンは夕食のデザートにいただくよ」
まだ健康ではないし、さすがに一気に2個は食べられないだろうから。
星野さんは俺の近くまで来て、コンビニのレジ袋から桃のゼリーとプラスチックのスプーンを取り出す。スプーンを袋から取り出し、ゼリーの蓋を丁寧に剥がした。
星野さんに食べてもらいやすいように、俺は星野さんと向かい合う体勢に。
星野さんはスプーンで桃のゼリーを一口分救う。
「はい、あ~ん」
「あーん」
俺は星野さんに桃のゼリーを食べさせてもらう。近くで千弦に見守られながら。
冷やされているものを買ってきてくれたのだろうか。口の中に入った瞬間、ゼリーの冷たさが感じられて。その後に桃の優しい甘みが口の中に広がっていく。やっぱり、桃は好きだ。
喉を通ると、体にゼリーの冷たさが広がっていって。今も平熱よりは高いので、この冷たさがたまらない。
「甘くて美味しいな。桃らしい優しい甘さで」
「桃の甘みっていいよね。私も桃好きだな。私、たまに桃の天然水買うよ」
「買うよね、彩葉。そのときは一口もらうことが多いんだ」
「そうだね」
「桃の天然水も美味しいよな。……このゼリー、冷たいのがまたいいな」
「良かった」
星野さんは持ち前の優しい笑顔でそう言う。千弦もニコッと笑っている。
「37度近くまで下がったけど、熱が出たときに食べる冷たいものって美味しいよね」
「そうだな、星野さん」
「結菜ちゃんから、洋平はお腹を壊してはいないって聞いていて。それで冷やされているゼリーとプリンを買ったんだ」
「そうだったのか。2人の心遣いに感謝だ。ありがとう」
お腹の調子が悪かったら、冷たいものを食べるのはダメだからな。より体調を悪くしてしまう恐れがあるし。
俺からのお礼の言葉に対して、千弦と星野さんは穏やかな笑顔で「いえいえ」と言った。
あ~ん、と星野さんに桃のゼリーをもう一口食べさせてもらう。本当に美味しいな。ここまで美味しく感じるのは、星野さんに食べさせてもらっているからかな。
何口か食べさせてもらうと、星野さんは「ふふっ」と優しくて可愛らしさもある声で笑う。
「どうした、星野さん。急に笑って」
「ゼリーを食べさせているから、白石君が可愛く思えて。この前、ゾソールでスイーツを食べさせたときも思ったけど。普段は落ち着いていて、バイトもしっかりとやっているから、今の白石君は新鮮だよ。ギャップもあっていいなって」
「そ、そうか」
星野さんに何か食べさせてもらうのは、映画を観に行った日にゾソールでスイーツを食べさせてもらったことくらいだから、今の俺が新鮮に思えるのだろう。
「可愛いって彩葉が言うの分かる。私もアイスとかスイーツを食べさせたとき、洋平がちょっと可愛いなって思ったから」
「ふふっ、そっか」
星野さんはそう言うと、千弦と楽しそうに笑い合っている。こういうことでも2人に笑いを提供できて嬉しいよ。
それからも、星野さんに桃のゼリーを食べさせてもらった。星野さんに食べさせてもらったし、ゼリーが甘くて美味しいのもあって難なく完食できた。ごちそうさまでした。




