第32話『体調を崩してしまった。』
5月8日、水曜日。
ゆっくりと目を覚ますと……全身が妙な温もりに包み込まれている。5月になって、朝晩も暖かく思える日も出てきたけど……今日は特別に暖かい。
壁に掛かっている時計を見ると……今は午前6時50分か。平日はいつも7時くらいに起きるし、もう起きるか。そう思って上体を起こすと、
「……あれ?」
体がかなり重く感じる。自分の体じゃないみたいだ。頭がちょっとクラクラする。あと、声を出したから、のどの痛みも感じた。
それに、上体を起こしたことで、上半身は掛け布団から出た状態になるけど……体を包み込む妙な温もりはそのままだ。ということは、
「風邪、引いたな……」
体調を崩してしまったのだと自覚した瞬間、全身に寒気が走った。息苦しさも感じてきて。
ベッドの上で仰向けになると……あぁ、体が楽だ。上体を起こしていたときに感じた体の重さやだるさが和らぐ。体調を崩したときに味わえる感覚だ。
「最近、体調を崩したようなこと……したかな……」
とりあえず、ここ数日……ゴールデンウィーク後半の4連休あたりから振り返ってみよう。
4連休初日。結菜と千弦と星野さんと一緒に映画を観に行き、その後はお昼ご飯を食べたり、調津駅周辺のお店を廻ったりした。
4連休2日目と3日目は、両日とも午前10時から午後6時までゾソールでバイトだった。
4連休最終日は結菜や琢磨達と一緒に、一日中東京パークランドで遊びまくった。
昨日。連休明け。学校に行き、放課後は午後4時から7時までゾソールでバイトだった。あと、昨日は火曜日だったから体育の授業があった。
「……振り返ると、ここ数日間はアクティブだったな」
ここ数日で疲れが溜まっていったのが原因かもしれない。特に2日連続で一日中バイトをしたり、その翌日にパークランドで一日遊んだりしたことで。連休中は外にいることが多かったから、家にいるときは課題をやったり、夜遅くまでラノベを読んだりすることが多かったし。そして、昨日の学校やバイトでの疲れが上乗せされて、体に限界がきてしまったのだろう。家にいるときはもっとゆっくりすべきだったな……。
そういえば、パークランドでジェットコースターに乗った後、マシンから降りたときに珍しくふらついた。あのときは猛スピードで走るマシンに久しぶりに乗ったからだと思っていたけど、本当は体に疲れが溜まり始めていて、ゆっくり休めというサインだったのかもしれない。ジェットコースターの楽しさや興奮もあって、疲れを感じていなかったけど。
「とにかく、家族に体調を崩したことと、学校を休むことを言わないと……」
ベッドから下りて、壁により掛かりながら1階のリビングに行く。階段では転び落ちないように気をつけて。
何とかして、リビングに辿り着く。
リビングに入ると、キッチンの食卓で朝食を食べ始めている父さんと結菜、弁当を作っている母親の姿が見える。
足音やリビングの扉が開く音が聞こえたのだろう。俺が何か言う前に結菜達がこちらに振り向く。
「おはよう、お兄ちゃん……ど、どうしたの! 顔赤いよ!」
「体調が悪くなった?」
「とりあえず、ソファーで横になろう。母さんか結菜、体温計を持ってきて」
「分かったわ」
結菜達はすぐに俺のところに駆け寄ってくる。父さんと母さんは落ち着いているけど、結菜は心配そうだ。何だか申し訳ない気持ちだ。
俺は父さんに肩を借りてソファーまで行き、ソファーの上で仰向けになる。ベッドほどじゃないけど、柔らかくて気持ちがいい。
母さんが体温計を持ってきてくれ、俺はさっそく体温を測る。
――ピピッ。
「……38度6分だ」
結構な高熱だな。これなら、全身に妙な熱っぽさが纏っているのも納得だ。
「結構高いわね」
「そうだな。洋平を運んだとき、洋平の体が熱かったからな……」
「でも、昨日まではお兄ちゃん、普通にしていたのに。体調が悪そうじゃなかったのに……」
「……疲れが溜まったんじゃないかと思ってる。連休中は2日連続で一日中バイトをしたり、遊園地で一日中遊んだりしたから。昨日も放課後はバイトがあったし」
「なるほど。気付かない間に疲れが蓄積していって、昨日の学校やバイトでの疲れで限界が来たって感じかな」
「俺もそう思ってる」
部屋で考えていたことだけど、人から言われると何とも言えない気分になるな。
「お兄ちゃん。症状はどんな感じ?」
「熱があって、体が重くて、あと喉も痛いかな。頭もちょっとクラクラする」
「そっか。お腹はどう?」
「お腹は大丈夫だ」
「お腹の調子が悪くないのは幸いね。……洋平。今日は学校を休みなさい。お母さんが欠席の連絡をしておくから」
「ああ。ありがとう」
「今日はバイトのシフトは入っているのか?」
「入ってない。次のバイトは……金曜日の放課後だ」
「そうか。それなら、バイト先には連絡しなくても大丈夫だな」
今日、バイトのシフトがなくて良かった。バイト先に迷惑を掛けずに済むし。
次のバイトは明後日の放課後か。あと2日あるから、そのときまでにはバイトができるくらいには体調が良くなっていると思うけど。ただ、体調次第ではバイトを休むと連絡しないと。
「9時になったらかかりつけのお医者さんが開くから、それまではベッドでゆっくりしていなさい」
「ああ、そうするよ、母さん」
「じゃあ、部屋まで行こう」
その後、父さんに肩を貸してもらって、自分の部屋まで戻り、ベッドで仰向けになった。ベッド凄く気持ちいいな。
かかりつけの病院が開院する午前9時まではあと2時間弱。それまでに、少しでも体のだるさがマシになっているといいな。
学校には欠席の連絡を母さんが入れてくれることになっている。それで、担任の山本先生から、千弦や琢磨達に俺が体調不良で欠席したことは伝えられるだろうけど……俺からも伝えておくか。今は午前7時を過ぎているし、送っても大丈夫だと思う。
スマホを手に取り、LIMEを開き……パークランドに一緒に行った人がメンバーのグループトークを開く。最近よく話す人達だし、担任の山本先生もいるから。
『体調を崩したので、今日は学校を休みます』
というメッセージを送った。これで、一緒にパークランドに行った人達には伝わるだろう。
みんな起きているのだろうか。俺の送ったメッセージに『既読』のマークが付き、メッセージを見た人数の数字が上がっていく。そして、
『洋平、ゆっくり休んでね。お大事に。放課後は特に予定ないからお見舞いに行くよ。あと、ノートを取っておくから、写したいときには言ってね』
『お大事に。私も特に予定ないから、千弦ちゃんと一緒にお見舞いに行くね』
『洋平休みか。分かったぜ。お大事にな! 部活が終わったらお見舞いに行くぜ!』
『ゆっくり休んでね、白石君。部活が終わったら、琢磨君と一緒に行くね』
『お大事に、白石。ゆっくり休むのよ。あたしも部活の後に行くわ』
『欠席、了解だよ。ゆっくり休んでね、白石君。今日は仕事が多いから、私はお見舞いには行けないな。体調が良くなったら学校で会おうね』
と、千弦や琢磨達が俺の体調を気遣うメッセージを送ってくれた。あと、俺が猫好きだからか、千弦と星野さんは『お大事に』という文字付きの猫のイラストスタンプを送ってくれて。文字やスタンプだけど、何だか気持ちが温かくなる。
放課後には山本先生以外みんなお見舞いに来てくれるのか。みんなに会えるのが楽しみだなぁ。それまでにちょっとでも元気になっていたいなぁ。
『みんな、ありがとうございます』
とお礼のメッセージを送った。
その直後、結菜からも『あたしからもありがとうございます。』とメッセージが送られた。そのメッセージを見て、ちょっと微笑ましい気分になった。
――コンコン。
部屋の扉がノックされる。誰だろう。
はい、と返事をすると、ゆっくりと扉が開き、中学の制服を着た結菜が部屋に入ってきた。
「お兄ちゃん。部活の朝練があるから、もう学校に行くね」
「ああ。いってらっしゃい。授業と部活頑張れよ」
「うん。お兄ちゃん、ゆっくり休んでね」
落ち着いた声色でそう言うと、結菜は俺の頭を優しく撫でてくれた。その際、結菜の笑顔は穏やかなもので。撫でられるのが気持ちいいし、笑顔が可愛いからちょっと元気になったぞ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
結菜は俺に手を振って部屋を出て行った。
千弦や琢磨達にも学校を休むって伝えたし、病院に行く9時頃まではゆっくりしよう。少しでも体調が良くなるためにも寝ておきたい。
目を瞑って、眠りやすくするために何も考えずにいようとするけど……体が熱くて、息苦しいからなかなか眠れない。眠れても短い時間で。こういうところからも、体調の悪さを実感する。昨日の夜はベッドに入ったらすぐに眠れたんだけどな。ただ、それは疲労が溜まっていたからだったのだろう。
あまり眠れないので、ベッドに横になりながら、音量を小さくして美少女キャラがたくさん出てくる日常系アニメを見た。アニメを見てからは時間の流れが多少は早く感じられた。キャラクターの可愛さに癒やされる。
寝ていた時間は短かったけど、ずっとベッドで横になっていたのもあり、朝起きたときに比べれば体のだるさはいくらか和らいでいた。なので、かかりつけの病院には俺一人で行くことに。
かかりつけの病院は家から徒歩数分のところにある。だけど、今はだるさがあるので10分近くかかってしまった。
受付を済まして、背もたれのあるソファーに腰を下ろす。歩いた疲れもあって、家にいるよりも眠れそうな気がする。ただ、眠りそうになる前に名前を呼ばれた。
「洋平君。今日はどうしたんだい?」
診察室に入り、病院の院長であるおばちゃん先生にそう言われる。幼稚園の頃から通っているけど、おばちゃん先生は昔から変わらない。おばちゃん先生を見ると、ちょっと安心感がある。
ここ数日のことをざっくりと話し、たぶん疲れが溜まり過ぎたからだと伝えると、
「そうだね。それが原因だね。過労って言っていいね」
「……過労ですか」
「そう。過労。たくさんバイトをしたことが、疲れが溜まった大きな理由の一つでもあるし。……昔はあんなに小さかった洋平君に、過労だって診断するときが来るなんてねぇ。時の流れは速いわねぇ」
と、おばちゃん先生は感慨深そうにしていた。初めて会ったときは幼稚園に通っていた俺が、今やバイトをしている高校生。10年以上の時が経っている。しかも、今回はバイトが一因である過労で受診しに来た。それらのことに色々と思うことがあるのかもしれない。
「もっとゆっくりする時間を作らないといけないよ。そうしないと、疲れが溜まっていっちゃうから」
「……はい」
「薬を処方するから、消化のいいものを食べて、薬を飲んで、ゆっくりと休むんだよ」
「……はい。ありがとうございました」
薬を処方してもらえて良かった。ここで処方される薬はよく効くから。
診察室を出てから数分ほどして俺の名前が呼ばれ、解熱剤や喉の痛みを和らげる薬などを受け取った。
再び10分近く歩いて帰宅すると、母親が玉子粥を作って待ってくれていた。玉子は好きな方だし、栄養を摂れるので、風邪を引くと両親は玉子粥を作ってくれることが多い。結菜が風邪を引いたときも同じだ。
自室で母さんの作ってくれた玉子粥を食べ、病院で処方された薬を飲んだ後、ベッドに入る。
薬の効果がさっそく出ているのだろうか。それとも、玉子粥を食べたからだろうか。はたまた、歩いて病院に行ったことで疲れもあるからだろうか。病院に行く前までとは違って、目を瞑るとすんなりと眠りに落ちていった。




