高梨カナコはとにかくチョロい
高校2年、17才。高梨カナコはとにかくチョロい。
男に優しくされるとすぐに惚れ、フラれて愚痴るまでがワンセットである。
愚痴るからには誰かが聞かされるわけで、今日もカナコは学校から帰るなり、隣の家に飛びこんだ――。
隣の家の縁側で本を開いているのは彼女の幼馴染、吉田義男。25才。
ろくに売れない本を書いて糊口をしのぎ、日がな一日、本ばかり読んでいる要注意人物だ。
カナコはそんな甲斐性なしに向かって駆け寄ると、縁側にトサリと腰かける。
「ヨシ兄、話ば聞いてくれんね!」
「……お前、また来たのか」
義男はそう言うと、文庫本のページをパラリとめくる。
と、カナコはその手から本を奪い取った。
「おいこら、いいとこなんだぞ」
「うちが遊びに来たとに、こがんもん読んどる方が悪い」
言い返そうとした義男は、なにか言いたげに黙りこむカナコを見て溜息をつく。
「またフラれたのか」
「……フラれとらん。うちからフッたようなもんや」
カナコは膝を抱えてうずくまる。
しばらくたってから、義男は何気ない口調で言う。
「西瓜冷えとるぞ。食わんか」
「……ヨシ兄、うちにはなんか食べさせとけばよかと思っとらんね」
「食わんのか」
「食べんとは言うとらん」
カナコは勢い良く立ち上がると、勝手に家に上がりこむ。
義男はさっきカナコに奪われた文庫本を取り戻すと、再び読み始める。
――シャワシャワと降りしきる蝉時雨。
文庫本に陽が当たり始めて義男が身をよじっていると、両手でお盆を抱えたカナコが戻ってきた。
「なんでラノベなん読んどん。ヨシ兄は芥川賞ば取るんやなかとか」
「いつか取る。取るが今は『やがてママになる』の最新刊が最優先だ」
呆れた顔でカナコがお盆を縁側に置くと、義男も負けじと呆れ顔をする。
「なんだ一玉全部切ったのか」
「ヨシ兄も食うじゃろ」
「食うが一切れで十分だ」
ワシワシと西瓜を食べるカナコの隣で、義男は一欠けをチビチビかじる。
カナコが4切れほどを食いつくしたころ、義男はゆっくりと口を開く。
「また告白する前にフラれたのか」
「……キレか女と歩いとった」
「友達かもしれんだろ」
「友達とは手ば繋がんやろ」
ワシワシワシ。
カナコは5切れ目の西瓜を食べ始める。
義男はかける言葉もなく、西瓜の皮をお盆に置いた。
カナコがそれをジロリと見る。
「まだ赤かトコ残っとーばい」
「外の方は固いだろ」
「ヨシ兄はボンやなあ」
言い返そうとした義男はそれを堪えると、二つ目の西瓜に手を伸ばす。
「今回の男は、こないだフラれたやつとは別なのか」
「どん話と?」
「ほら、いつも甘いモノくれるってやつ」
カナコは不機嫌そうに西瓜の種を庭に飛ばす。
「あいつはつまらん。女心が分からんとよ。うちば子供扱いして、甘かもんば食べさせとけばよかと思うとっと」
「そいつは脈がないからやめとけよ」
「……やめんけん。うちん見立てではもう一押しなんやって」
「フラれたんじゃなかったのか」
「そいつもフラるる前に、うちがフッたようなもんや」
夏の雲を眺めながら思案顔をしていた義男は、ぼそりと言った。
「……ま、それならいいか」
「なにがよかさ」
「いのち短し恋せよ乙女だ。子供のうちはたくさん恋をして、男を見る目を養えばいい」
カナコは義男の言葉に、抗議するように口をとがらせる。
「恋なんて一つでよかろ。運命ん人とくっつけば、それでハッピーエンドやなか?」
「そうは言っても、カナコは男と長続きしたことないだろ」
「……続くどころか始まってんおらん」
プイと顔を逸らすカナコ。
義男は驚いた顔をする。
「なんだお前、あれだけ男に惚れてて、彼氏が出来たことなかったのか」
「大きなお世話ばい。ヨシ兄こそ彼女ん一人もおるとか?」
「おらんと誰が言った」
「おると?」
「おるとも言っとらん」
一瞬、表情を明るくしたカナコは、再び不機嫌の衣をまとう。
「……じゃあ、こないだ来とった新しか女の編集はどうなん」
「なんでここで編集者の話が出てくるんだ?」
ジッと黙りこむカナコに、義男は諦めて話しだす。
「新しいというか、昔一緒に仕事してた相手だよ。次の仕事の話をしたが、結局うまくはいかんかった」
「そんわりには仲良さそうたったよね」
「そりゃ、昔は世話になったからな」
「……世話になったら、編集者と手ば繋ぐんか」
「見てたのか」
「見よったばい」
義男は思わず天を仰ぐ。
そして覚悟を決めたように口を開いた。
「……むかし一緒にやってた頃、色々あったんだ。色々あったから上手くいかなくなった」
カナコの視線から逃れるように空を眺めたまま、言葉を続ける。
「お互いもう少し大人になっていると思ったが、意外とそうじゃなかっただけだ」
「焼けぼっくいに火が付く、言うやんか」
「付かなかったから、この話はこれでおしまいだ。はい、子供にはこれ以上聞かせられないな」
冗談めかして立ち上がろうとすると、カナコがその手をつかむ。
「……うちはもう子供じゃなか」
――シュワシュワシュワ
蝉の声。
遠くに響く子供たちのはしゃぐ声――。
リン――――縁側の風鈴が、目を覚ましたかのように澄んだ音を立てる。
それを合図にしたように、再び二人が動き出す。
義男は初めてなにかに気付いたような、そんな顔をしてかぶりを振る。
「だな、悪かった。たくさんの男に恋をしてきたからには、俺よりよっぽど大人かもな」
「……まだ一人目ばい」
「なんか言ったか?」
「言うとらん」
カナコは西瓜の最後の一切れを手に取った。
「いつかよか男つかまえて、ヨシ兄にギャフンと言わせるけん」
「ああ、楽しみにしてる。カナコは顔もよくて気立てもいい。俺が太鼓判を押す」
その言葉に、ビクリとカナコの肩が震える。
「……そがんとこばい」
そう呟くと、綺麗に白くなった西瓜の皮をお盆に置く。
義男が目を丸くする。
「お前、全部食ったのか」
「西瓜は水ばい。うち昼ご飯もまだだし、なにか食べさせんね」
「そうはいっても素麺ぐらいしかないぞ」
ヤレヤレ顔で立ち上がる義男。
「六釜のおばちゃんから茄子とトマトもろうとったやろ」
「よく知ってるな。食ってくならお前も手伝え」
義男が手招きすると、カナコは笑みを隠そうともせず立ち上がる。
「しょんなかね、ヨシ兄はうちがおらんとダメばい!」
台所に向かう義男の後をカナコが追う。
誰もいなくなった縁側に、風鈴がリンと澄んだ音を立てた――
高梨カナコはとにかくチョロい。
会うたび惚れては、相手にされずに涙を流す。
それでもいつかは思いは届くと信じて、今日も新たに恋をする。