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真面目に働いていたら、見初められました

作者: とこ

よろしくお願いします。

 アーザ王国の端の端。山間の村でシーラ・トラモントは過ごしている。

 三年前まで、彼女は聖女専属の侍女として王都の教会で働いていた。しかし、聖女が第二王子との婚約が決まり引退をしたため、シーラも専属侍女の職を辞することになった。


 聖女というのは、その時々で聖なる力が大きな者に与えられる称号のようなものだ。聖女を筆頭に、聖なる力を持つ者が、毎日交代で教会に祈りを注ぐ。聖女の称号を与えられなかった者は、シスターと呼ばれている。聖女とシスターは王国の平穏や豊穣を神に祈る。そうすることで、王国は神から祝福を受け、豊かな大地と平和を保つことができるのである。


 シーラの生まれは伯爵家の三女で、姉二人に、兄と弟もいた彼女は、政略結婚も後継ぎの心配も全くなかった。そういう立場にある者はたいてい家庭教師や侍女などの勤め人になることが多い。シーラも幼い頃から王宮の侍女見習いをしていた。ちょうど、シーラより二つ年上に聖なる力を持つ者がいた。そして彼女は聖女となり、年が近く伯爵家という身分的にも問題ないシーラが専属の侍女に選ばれたのだ。

 聖女であるミランダは、銀髪に紫の瞳をした、いかにも聖女という美しい女性だった。聖女やシスターは王宮主催の行事にも参加するため、王族や貴族、彼らの側近、それから護衛や騎士などに見初められることが多い。ミランダも同様に第二王子との婚約が決まった。


 ミランダは聖女を辞める。王宮と教会は協力関係にあるが、繋がりが強すぎるのも良くない。あくまで別組織だ。シーラは王宮の侍女見習いであったため、教会の侍女になることはできたが、正規の侍女を王宮に異動させることはできなかった。


 「シーラにはたくさんお世話になったわ。ありがとう」


 ミランダからは教会からの退職金とは別に個人的な贈り物として、ミランダの私財の一部、宝飾品をいただいた。

 シーラにはそのまま教会の侍女として働くという選択もあったのだが、前聖女の専属であった彼女は侍女の中でも筆頭になってしまう。それもあまり良い顔をされなかったので、辞めるという選択しかなかったのだ。



 「ルイス様、急ですが報せがありました。明日、王太子殿下御一行の滞在とのことです」


 シーラの再就職先は王国の端にある山間の村。ここは隣国との境にあり、隣国に向かう最後の補給地である。誰も住みたがらない国の要所として有名だ。隣国とは国交がないこともないが、言語と文化が異なるため、比較的裕福で商会を持っている貴族が一生に数回の訪問があるかというくらいと、周辺国一帯は和平合意をしているため、年に数回の王族や国の要人が会議に出席するくらいでしか通過しない。月に数回は商会の者が商品の売買に出るが、その程度だ。


 ルイス・ソレイルは、第三王子の元側近だ。第二王子がミランダとの婚約が決まり王宮に残ることになった。第三王子は王宮に残る必要がなくなり、公爵位を与えられることになったため、王宮から出るために側近を減らした。ルイスは元々この国境近くの村が防衛能力に欠けることや補給地としての物資量や宿泊施設についても色々思うところがあったらしく、進んでここの管理をしたいと出てきたらしい。第三王子も喜んでこの村に出資をすることにした。そして人員の募集を見たシーラも侍女としての経験が活かせるとあって、ここに来たのである。


 「王太子殿下の他は誰が来る?」

 「王太子妃殿下、それから宰相補佐官殿です」


 二人は明日の作戦会議をする。


 「宿泊施設はもちろん、一番のここだけど、初めて身分のある女性が来るのか」

 「身の回りのことは侍女がいるでしょうけれども。またここに来たいとか、投資したいと思わせるためには何かしらの特典が必要では」


 王太子妃がここを気に入れば、王国中の貴族夫人や令嬢が来たがるに違いない。


 「でも明日だろう。なんでまた急に」

 「おそらくは、隣国の不作が原因かと」


 ルイスはああと言って隣国の方角を見る。長雨による作物の不作が発生していると先月通りがかった商人が言っていた。


 「とにかく、宿泊自体は問題ないだろう。お試しに来たうちの兄達も満足だと言っていた。あとは、王太子妃だ」

 「ちょっと外に出て知恵を借りてきます」

 「俺も付いていくよ。一人じゃ危ないし」

 「危ない?この村でまだそんなことを言っているのですか?王都に戻りますか?」

 「……分かった。気を付けて」


 ルイスはシーラが一人で村を出歩くことを心配することが多い。シーラは、王都と違ってそもそも人が少なく、誰もが知った顔であるこの村で何が危ないのか分かっていない。


 「ブランドおじさん、モナおばさん」


 シーラはこの村に元々住んでいた老夫婦を訪ねる。元々住んでいたのはもう老人ばかりで、ルイスやシーラ、あと数人の若者が来てとても喜んでくれている。


 「シーラちゃん。どうした?ぶどうはまだワインにはならないよ」

 「そんなにせっかちじゃないわ。ねえ、この村で貴族女性が喜んだ食べ物や植物、景色とか、なんでも良いからなかったかしら?」


 ブランドは白く伸ばしているひげを触り考えている。


 「うーん。そもそも貴族女性が来た記憶がなァ」


 シーラはですよねえと言って諦めかける。


 「シーラちゃん、アレよ。ルイスくん、良いカラダしてそうじゃない。彼をハダカにさせて、こうっ、両手をグッと握ってポージング?っていうのかね、アレをさせたら若い女性なんて大喜び」

 「ばーさんは黙っとれ」


 モナは名案と思ったことを夫に止められ不貞腐れながら畑仕事に戻った。


 「そうじゃ。昔、ここの出身でシスターになった者がおってな。彼女はもう両親を王都に連れて出てしまったんじゃが、ここに来た時には必ず湖に祈りを捧げておったわ。何でかは知らんが。あの湖、よく澄んでいるから夕焼け時に見るととてもきれいでな。この山間の村唯一の絶景スポットかもしれん」

 「本当!?私も見てみたいわ。今日確認してみて、良かったら、見やすいようにベンチを置いたりしてみようかしら」


 ブランドにお礼を言い、他の老人達も訪ねてみたが、無い、もしくは湖がきれい、しかなかったのでシーラは湖に賭けることにした。


 「ということで、今日の夕暮れ時に見に行ってみるわ。宿泊施設とも近いから護衛も問題ないし、周りの木とかはまた後日みんなでいい感じにして、あとお花植えたりとか。湖に影響が出ない程度にきれいに整備しましょう」


 さっそく湖見学案をルイスに伝え、湖に行くことにした。ルイスも、周りの森などの安全性を確かめると言って一緒に来た。


 「ああ、確かにきれいな湖だ」

 「ええほんと。周りの森もそのままで良いと思うわ」


 底が見えるほどに澄んだ湖。手つかずの自然とは思えないような湖だが、老人達は誰も何もしたことがないという。


 「この辺りにベンチを置きましょう」


 シーラがベンチを置く場所に座ろうとすると、ルイスが手で制した。


 「どうしたの?」

 「はい。これでいい。座ろう」


 ルイスは持っていたブランケットを敷いた。ありがとうと言ってシーラが座ると、ルイスも隣に腰掛けた。

 シーラはこれまでは侍女として聖女の座る場所や立つ場所に気を遣ってきたのに、その仕事から離れ自分のこととなると、全くそんな気遣いはしなくなったことに驚き、思わずクスクスと笑い出してしまう。


 「そんなに俺がおかしいか?」


 ルイスは不快そうに眉間にシワを寄せる。


 「いいえ?私は侍女を辞めてこんなクセはなくなってしまったのに、ルイス様はそうではないのだなと思いまして」

 「シーラだからなんだけどな」

 「ああ、女性に対しては紳士であることを忘れないと。なるほど」


 噛み合っているようで噛み合わない会話を続けているうちに、日が暮れていく。

 夕日が水面に映る。空と辺りの木々も水面に映り、鏡のようだ。風でたまに水面が揺れ、空を見るよりも幻想的で美しい夕日がそこに映し出されている。


 「きれい」


 シーラが思わず声を漏らした。そして、ふと、昔読んだ本の詩を思い出した。


 「夕暮れは、うた。暮れても側にいた。朝日が来るまで。愛とはそういうもの」


 なぜか分からないけれど、読んだ時に泣きそうになった。そして、その詩はこの場所のことを伝えているのではないかと思ってしまうくらい、シーラの心にすとんと落ちてきたのだ。

 ふと、ルイスはどんな表情をしているのかが気になって隣を見る。

 ルイスはシーラを見ていた。


 「その詩はどこで?」

 「小さい頃よ。王宮侍女の見習いをしていたの。休憩時間に図書館で見た詩集にあったの。もう作者も覚えていないし、他の詩も忘れたけど、これだけは覚えていて、泣きそうになったのを覚えているの。今、ここを見て、ここのことかなって思ったところ」


 そうだ。実家にはほとんど置いていなかった詩集。物語は休憩時間だけだと話が分からなくなってしまう。詩の短い文章であれば読み切ることができる。そんな理由で休憩時間に王宮の図書館に行っては詩集を読んでいたのだ。


 「とても良い詩だと思う。ここにぴったりだし、作者が分かったらこの辺りに石に彫って置いてもいいかもしれない」

 「良い考えね。でも作者が分からないわ」

 「王宮の図書館なら伝手がある。聞いてみるよ」


 きっと誰もが気に入る場所になるだろうと、二人は夕日が沈むまで湖を眺めていた。



 「おかえりなさいー。デートはどうでした?」


 シーラとルイスが戻ると、王都から一緒に来た者の一人、料理人のエイミが晩ごはんを用意してくれていた。


 「ただいまエイミ。晩ごはん美味しそうね。エイミ達も今度一緒にいきましょう」


 シーラはエイミが湖に行けなかったことにすねているのだと思っている。エイミは王宮の料理人で、そこで出会った夫と共にこの地に来た。隣国の珍しい食材も出入りする商人に頼めば手に入ることもあるため、新しいメニューを作るのだと夫婦ではりきっている。


 「シーラは教会で働いていたからなのかしら。いやでも聖女様は第二王子殿下と恋愛結婚でしょ……」


 エイミはブツブツ言いながら手際よく料理を運ぶ。夫のマリクはルイスと王太子殿下一行に出す食事の確認をしている。

 テーブルに食事が並ぶ。この場所は明日王太子殿下一行が宿泊する屋敷だが、来客用の食堂とは別に、使用人用の広い食堂や個人の部屋がある。ルイスをはじめ、この村に移民したメンバーは現在この屋敷で過ごしている。そのため、食事もエイミ達が作ったものをこの使用人用の食堂で食べている。そのついでにそれぞれの進捗を話しているが、落ち着いてきたらそれぞれ別に住むも良いとは言っている。


 「明日は午前中には王太子殿下一行が入る。私とシーラで案内をしていくが、一番の目的は隣国に向けての補給だ。食材や保存食など、用意するものは確保出来ているが、騎士への携帯食なども非常食として渡しておこう」


 ルイスがつらつらと必要なことを話していく。それぞれの持ち場で必要なことを聞き取り、今晩のうちにもう一度確認する。


 シーラは夕食後に王太子妃の使用する部屋を確認する。棚には必要な物品を揃えているが、一応確認し直す。うっかり、針の一本でもあると大事になるからだ。確認を終え、部屋を出ようとした時。

 何か違和感を覚えて部屋を見渡す。こういう時の直感はだいたい何かがあると、シーラは聖女の専属侍女としての経験から心得ている。

 だが、何かに気付くことができず、しかしそのままにしておく訳にもいかず、ルイスを頼ることにした。


 「ルイス様、夜分に申し訳ありません。使用する部屋を見ていただきたいのです」


 ルイスは嫌な顔ひとつせずに、比較的広めの使用人用個室から出てきた。


 「部屋に違和感?」

 「ええ。部屋を出る時に。何かが引っかかるのですが、何かが分からず。こういう場合は、たいてい何かがあるものなのです。侍女をしていた時にも、そういう違和感を探せなかった場合は他の者に見てもらうとすぐ分かっていたので」


 ルイスは部屋の扉を開け、部屋を見渡す。しかし、なかなか違和感に気付けない。


 「シーラ。シーラは何の確認をしながらこの部屋を出ようとしたか思い出せるだろうか」

 「はい。ルイス様のお兄様ご家族がご使用になって、不便はなかったと仰っていましたが、王太子妃殿下が使われるとなると、見落としはないかと思って見ておりました。ルイス様のお兄様ご家族はお子様が幼いということで、装飾品を外していましたが、今回は飾っております。それから部屋に置いてあるワインや栓抜きは危険物と見なされるのでその他果物ナイフなども含め置いていません。ベッドメイクも出来ておりますし、お手洗いも清潔です。タオルやバスローブ、交換用シーツも一泊分ですから最低限置いております」


 シーラが確認した道を辿るように話していると、ルイスがハッとした様子で、棚に近付く。


 「シーラ、それだ。ここに一人が泊まるとは限らない」


 シーラもなるほどと手を叩く。


 「そうでした!若いご夫婦ですから、どちらかのお部屋に向かわれる可能性があるのですね」


 ルイスの兄家族は、子供が二人で六歳と二歳だったため、夫婦それぞれが子供一人と一緒に寝ていた。行き来がない宿泊者だったのだ。しかし、今回は王太子夫婦である。身分や支度の関係で部屋は別だが、就寝時に本人達がどう動くか分からない。聖女もここだけの話、引退前に第二王子とこっそり会っていた。


 「それでは、王太子殿下のお部屋と、こちらのお部屋のどちらにもバスローブやタオルを二人分ご用意しておかなくてはならないですね。いや、タオルは多めにしておきますか」


 シーラがリネン室からタオルを何枚出そうかと考え始める。


 「シ、シーラ?その。単に二人分じゃ」

 「いえ、お若い夫婦ですから。念には念を入れましょう。以前、足りないと苦情が出たことがありますから」

 「シーラ。それは外で言ったらだめだと思うが」

 「ええもちろん。ルイス様は誰にも言わないでしょうし、ここの責任者として知るべきと思って言っています」


 シーラが苦情を言われた相手と言えば聖女だ。彼女のイメージをシーラが変えていい訳がないが、実際にあったことはあったことである。その経験を活かそうとするのは仕方がないことだ。


 「ルイス様、ありがとうございました。各物品を補充しておきます」


 シーラはスッキリとした表情で、タオルを運び、たいへん満足して就寝した。一方、ルイスは度々見える聖女と第二王子の裏話ともいえる情報に頭を痛くしながら就寝した。



 「ルイス・ソレイル、王太子殿下へご挨拶申し上げます」

 「シーラ・トラモント、王太子妃殿下へご挨拶申し上げます」


 ルイスとシーラは王国のマナー通りに挨拶をする。


 「ルイス、君の兄からここが良い宿泊施設になっているという話を聞いて楽しみに来たよ」


 ルイスの兄は王宮文官で、王族とのやり取りがあるという程には出世しているらしく、王太子との面識があるらしい。


 「シーラ、聖女の侍女として何度かお会いしたことがありますね。こちらでもよく働いていると聞きました」

 「覚えて頂いて光栄です」


 ルイスは王太子を、シーラは王太子妃をそれぞれの部屋へ案内する。


 「まあ、落ち着いていて、いい部屋ね。明日からは隣国ですから、ここでゆっくりくつろがせていただくわ」


 王太子妃はさっそく部屋のソファに座る。侍女達がお茶の用意を始めるため、シーラは侍女達に物品の場所を教えていく。


 「こちらの棚にタオルなどを入れています。ご自由にお使いください。使い終わったものはこちらで回収しますが、度々出るようでしたら、部屋を出て右手側のお部屋に籠がありますので、そちらに入れておいてください。食器類も同じようになっておりますので」


 侍女達は物品の場所と数を確認し、満足そうに頷いている。

 シーラの準備は十分だったらしい。


 昼食の提供も無事に済み、ルイスとシーラは宰相補佐官と話をすることになった。


 「ソレイル殿、トラモント殿、この土地は住んでみてどう思う?」


 宰相補佐官の言葉に、ルイスが答える。


 「不思議な土地です。そこまで天候に恵まれている訳でもないのに作物の収穫量は良いし、何より閉鎖的になりがちな村なのに、村人達も気さくに私達を受け入れている。裏があるかと思って調べたが何もない。ただの平和な村だ」


 続いてシーラも答える。


 「森なども手つかずの自然のはずですが、荒れていませんし、害獣もまだ確認できていません。湖も全く管理していないとは思えないほどきれいです」


 ルイスとシーラはこの村で驚いたことを次々と挙げてゆく。山間で日照時間が少ない割に作物がよく育ち、自然豊かにも関わらず害獣が出ない。村人達も閉鎖的にはなっていない。まるで、何かに守られているかのような土地に二人をはじめ、王都から来た人間は誰しもが驚きを隠せなかった。


 「二人が思っているように、ここは昔から作物の収穫量等が本当に良い。私個人の考えだが、何かの守護を受けている地域かもしれないと思っている。それこそ、大地の神とかの。まあ、その辺は君達からの報告を元に、王宮が調べることだから。二人は引続き、この宿泊施設の運営を軌道に乗せることを第一に考えてくれたらいい」


 ルイスとシーラは頷く。この世にはいくつかの神がいると言われている。太陽の神に、雨の神。海の神や、大地の神。神が気に入った場所は、神の守護を受け大切にされている。どうやってその場所が神に気に入られていると分かるのか、シーラ達は知らないが、王宮が調べていることは確かだ。王国民は、王宮よりこの場所は神に気に入られ守護されたところであると言われ、その場所を大切にすることを幼い頃から学んでいる。


 「それで、とても良い景色の湖だって?」

 「はい。昨日シーラとも確認したのですが、夕暮れ時がもっとも美しく、補佐官殿にも殿下方と共にぜひ見ていただきたいと」


 宰相補佐官は、宰相の手足となって王国の内外を問わず出回ることが多い。訪問先で様々な景色を見てきただろう補佐官の目にどう見えるのか気になるところだった。



 夕方、王太子一行は湖に集まる。昨日シーラ達が座っていた場所に王太子夫婦が腰を下ろす。もちろん、屋敷から椅子を持ち出してきた。

 王太子夫婦は陽が沈むにつれて口数が少なくなる。二人共、湖に映る景色に釘付けになっている。侍女や護衛、側近達、それから宰相補佐官も同じようだ。


 「美しい。これは」


 王太子の言葉に王太子妃も頷く。

 すると、王太子が椅子から立ち上がり、近付く護衛を手で制して、湖の側にひざまずく。

 そして、左手で湖の水面に触れる。風で穏やかに揺れていた水面に、幾重もの揺れが重なる。王太子は水面を見つめて口を開く。


 「血と太陽と影に誓う。神の側に私は居るか」


 穏やかに揺れていた水面。そこに規則的な波が立ち始めた。歓喜と恐怖が一緒に来るような気配がして、シーラは思わず隣にいたルイスの側に一步寄る。ルイスも、シーラの半歩前に出る。

 水面から、鈴のような、声のような音が聞こえる。何の音なのか声なのか分からないが、王太子は理解しているらしく、頷いている。


 「神の心に従います」


 王太子がそう言うと、水面はふたたび穏やかな表情を取り戻した。一瞬の出来事だった気がしていたが、太陽はほとんど沈みきって辺りは薄暗くなってきている。


 「やあ、いいものを見せてもらった。美しい景色をありがとう。屋敷に戻ろうか」


 王太子の言葉にそれぞれ従い、宿泊施設に戻っていく。シーラも何も言葉にできなかった。王太子の提案で、その日の晩餐はルイスとシーラも共にすることになった。


 「君達二人は見てしまったからね。大切なことを伝えないといけない」


 湖での光景のことだろう。王太子は、食事を摂りながら淡々と述べていく。


 「あの場所は神に気に入られているよ。海ではないから、とりあえず水の神とでも呼ぼうか。湖を中心として、ここは神のお気に入りだからちょっとやそっとのことではダメにならない土地なんだろうね。王宮にはさっき報せを出したから、近いうちに王宮からここを神に気に入られた場所だという発表があるだろう。きっと、ここを訪れる人も増えるだろうから、よろしく頼むよ」


 王太子がそう言った後に、今度は宰相補佐官が補足をする。


 「王太子殿下の行ったことや、その時の光景については、他言無用でお願いしますよ。あれは神の気配を見るための、王族の血の流れる者にしかできないことです」


 ルイスもシーラも、かしこまりましたと言って、食事を続ける。その後は昨今の隣国の状況や、王都での話など、他愛のない会話をして晩餐を終えた。



 夜中、シーラは眠れずにいた。湖での光景が頭から離れないのだ。


 「夕暮れは、うた。暮れても側にいた。朝日が来るまで。愛とはそういうもの」


 口に出して言うと、少し落ち着いた。何となく、ルイスに会いたくなったが、用事もない上に夜中だから迷惑だろう。そういえば、湖でとっさに側に寄ってしまったが、ルイスはシーラをかばうように居てくれたなと思う。


 シーラが聖女の専属侍女をしていたとき、もちろん第三王子の側近だったルイスとも面識はあった。第二王子と第三王子は、どちらかは王太子を支える王弟として王宮に残り、そうでない方は公爵位を賜り王宮を離れると幼い頃から決まっていたらしい。第二王子と聖女が恋仲になったとき、聖女と謁見した第三王子は、聖女にこう告げた。


 「君のおかげで兄上は王宮に残ることになりそうだ。私の大切な側近達も何人かは手放さないといけないし、私に良いことはないと思わないか」


 その言葉に、聖女はこう言い返した。


 「手放した方が彼らは幸せかもしれませんよ。なにせ、自由に恋愛ができるのですから。ルイスだってそうでしょう?」


 話を振られたルイスは、驚いた様子でこう言った。


 「聖女様、私はどこに所属をしていても関係ないと思うくらいには愛情深い人間ですよ」


 シーラはそれを聞いて、ルイスにはきっと恋人がいるのだと思っていた。身分の差があるなどで、側近という立場からは結婚できないかもしれない男爵家や子爵家の令嬢か、もしかしたら平民かもしれないと。

 現在、ルイスはこの王国の端の村にいる。シーラは宿泊施設の運営という点から、侍女としての経験が活かせると思って求人に応募したのだが、ルイスがいて正直驚いた。しかし彼は頻繁に王都へ手紙を出していたので、おそらく恋人とは遠距離恋愛で、ここの経営が軌道に乗れば呼び寄せるつもりだろうとシーラは推理している。


 ルイスにはきっと恋人がいる。シーラはそう思って、あまり彼のことを考えないようにしている。それでも、夕方に見た彼の姿を思い出すと、胸がざわざわしてしまうのだ。そのざわざわに蓋をする。しっかりと。


 シーラは何回か詩を呟き、なんとか心が落ち着いた時、部屋がノックされた。呟いたつもりが大きな声だったのだろうか、それとも王太子達に何かあったのだろうかと、慌てて扉を開けると、そこにはルイスが立っていた。


 「すまない。通りかかったら声が聞こえたものだから」

 「ルイス様、申し訳ありません。王太子殿下ご夫婦が宿泊していると思ったら緊張してしまいました。なかなか眠れなくて」


 シーラは取ってつけたような言い訳をする。


 「シーラもか。俺も少し眠れなくて、簡単に見回りをしていたところなんだ」


 二人共、少しぎこちなく微笑み合う。なぜかお互い少し気まずくなり、ルイスがお茶でも飲もうかと提案し、二人で使用人の使う食堂に向かうことにした。

 シーラは手際よくお茶の準備をする。夜中のため、よく眠れるようにハーブティーを淹れ、ルイスと向かい合って座る。


 「シーラのお茶はいつも最高に美味しいと思う。聖女様が最後まで手放したくない訳だ、といつも思う」


 そんな話は聞いたことがないとシーラは言う。教会で雇われた者は王宮で雇うことが出来ないことは有名な話だ。もちろん過去にも例外はないし、教会の侍女になるときにしっかりと契約書に明記してある上に口頭でも説明を受けた。


 「どなたかと間違いだと思いますよ」

 「いや、聖女専属侍女はシーラしかいないじゃないか」


 シーラは記憶を辿るが、やはりそのようなことを言われた記憶はない。


 「聖女様はあなたに苦労をさせたくないと言っていた。退職金だとか言ってやたらに高価な物をもらわなかったか?」

 「宝飾品をいただきましたけれど、身につける機会もないので」

 「中身をよく見ていなかったのか。あれを売ればおそらく死ぬまで苦労をすることはないだろう」


 そんな高価なものを頂いていただなんて、とシーラは息を呑む。その様子を見てルイスが補足する。


 「まあ、聖女様が高価なものを所持していると、王宮に知られるのも良くなかっただろうし、断捨離のひとつであったとは思う。ただ、シーラはそれを渡すに相応しい働きをしていたことは、誇りに思っていいと思う」

 「そう言っていただけると嬉しいです」


 二人はしばらく無言でハーブティーを飲む。あと一口か二口でカップが空になる頃かと思い、シーラはお代わりは必要かとルイスに尋ねた。


 「いいや、なんだかリラックスできたし、休もうかと思う」

 「かしこまりました」


 ルイスは少しだけ眉間にシワを寄せた。シーラは理由が分からず、首を傾げる。


 「シーラ、その。そういう侍女のクセ?というのだろうか。それはプライベートな時はあまり出さない方がいいのではと思う」


 ルイスはシーラを直視できず、斜め下を見ながら苦言を呈した。 


 「すみません、ちょっとどういうことか……」

 「だから、何というか。主と使用人という関係であれば、問題ないが。こういったプライベートな空間の中でお代わりがいるのかとか言われたら。その。もっと一緒にいたいと言われているような気がしてしまうだろう」


 ルイスの言葉にシーラは顔を赤くする。そもそも、この空間を仕事の延長だとシーラは思うことにしていたが、ルイスにとってはプライベートな場だと思っていたということ。シーラはプライベートな関係でお茶をしていたという事実に今更胸が高鳴る。

 その上、シーラの方からもっと一緒にいたいという意思表示をしたように捉えられていたことに、シーラの胸は恥ずかしさでいっぱいになる。


 「も、申し訳ありません。お相手のいらっしゃる方にそんなことを……ルイス様がおっしゃるように、侍女のクセといいますか。以後、気を付けます」


 シーラはこの宿泊施設でも一応宿泊客の接待をする、侍女のような仕事もするのだが、いざ採用されるとルイスに付いて運営の方にも関わっていたため、余計にルイスの侍女的なポジションだろうと思い込んでいた節もあったのだが。

 それにしても、恋人のいる人にそんな侍女風情がアプローチしただなんて知られたら大事だ。そんなことがシーラの頭の中ではぐるぐると回っていたが、一転してルイスの方は訳がわからないといった困惑顔だ。


 「お相手?何のことだ?」


 慌てて深呼吸しながら赤い顔を戻そうとしていたシーラは、ルイスの疑問にハッとする。


 「ルイス様には王都に恋人がいらっしゃるではないですか」

 「は?いないが」

 「え?」


 二人の間に長い沈黙が流れる。お互い、何をどこから聞けばよいのか分からないからだ。しばらくしてルイスが話し始めた。


 「私には妻も婚約者も恋人もいない。誰のことだろうか、それとも誰かと勘違いをしているのか……」


 シーラは、どこから話そうかと思いながら、結局は聖女と第三王子の会話や、推理したこと、王都に頻繁に出している手紙のことなどからも、ルイスには恋人がいると思っていたことを話した。


 「へえ、そういうことか。ふんふん、なるほど」


 ルイスは満足そうにしている。そして、シーラの目をしっかり見ていった。


 「俺に恋人がいたとしたら。まあ、いないことは今知ったところだと思うが。こんな夜中に、こんな薄手の寝間着で男女二人きりでいるなんてことはしないだろうな」


 シーラは自分の格好を見下ろす。何も思わずここに来たが、薄手のワンピースに上着を、それも部屋着のくたくたの物を着ている。そしてルイスはシャツだが薄手でやわらかそうな生地のもので、ボタンもいくつか外していて胸元が見えている。過去に、宿泊客が夜中にトラブルがあった際に……といっても、手紙を書く便箋が欲しいとか、ペンのインクがなくなってしまったというような内容だったが。その際にも二人は起きてくることがあったので、見覚えのある格好ではあったのだ。

 しかし、ルイスの言う通り、年頃の男女でどちらかに恋人がいたら、こんな誤解を招くようなシチュエーションは避けるべきである。いや、恋人がいなかったとしても、良くないことだ。寝間着でお茶を飲む仲、ということになるのだから。


 シーラの顔が再び熱を帯びる。ルイスはその様子も愉快なようで、先程まであった眉間のシワはどこへやら。すっかりご機嫌に口角を上げている。


 「ごめんごめん。からかうつもりはなかったんだ。お互い、仕事柄見慣れた光景だからな」


 その言葉に、シーラの顔の温度も少し下がり始める。そうだ、仕事柄なのだと。現実を突きつけられたような気もするが、シーラはそうだと納得することにした。

 しかし、ルイスはシーラが侍女の顔になったことが気に食わなくなった。


 「俺はシーラのそういう、顔色がちらちら変わるところや、きりっとした侍女の顔になるところも可愛いと思う」


 シーラはルイスの発した可愛いという言葉を理解することに時間がかかった。誰が、誰のことをと、一つずつ噛み砕くと共に、再び顔が熱くなる。


 「か、からかわないでくださいっ。おやすみなさい!」


 シーラはカップの残りをぐっと飲み干し、ささっと片付けて駆け足で部屋に戻った。その後ろ姿をルイスは目で追いながら、からかってないんだけどなあと呟いているが、シーラの耳には届かなかった。


 シーラは勢いにまかせて気合いで就寝した。何も考えないと自分に言い聞かせながら。一方ルイスは、シーラに明日何と声を掛けようかと考えながら就寝した。



 「短い間だったが世話になった。とても快適だったし、神のお気に入りである場所を見つけることもできた。とても有意義な滞在をさせてもらったよ。帰りも寄る予定だからまたよろしく頼む」


 翌朝、王太子一行は早くに宿泊施設を出た。

 予備のタオルなども使われた形跡があり、シーラは準備してよかったと、ほっとした。


 宿泊施設の職員や村人総動員で王太子一行を見送る。行きは旅の邪魔になるため手土産を渡すことができないが、帰りに宿泊するときには何か手土産を用意しないとなと、ルイスは考えている。



 「ルイス様、王太子妃殿下からの贈り物のようです」


 王太子妃の使った部屋に、小さな箱とメッセージカードがあった。忘れ物かと思ったが、よく見るとカードに「素敵な宿泊へのお礼」と書かれていた。身分の高い貴族などは、見送りの際など面と向かってお礼を渡すのでなく、このように忘れ物のように置いて去っていくということはよくある。

 シーラは箱とメッセージカードをルイスに渡す。


 「開けてみようか」


 昨夜のこともあり、シーラは気まずく感じて、目を合わせずに会話する。ルイスが箱を開ける様子を見守る。

 箱の中から出てきたのは、空のガラス瓶だった。


 「シーラ、これの意味が分かるだろうか」

 「ごく普通のガラス瓶にしか見えません」


 二人は頭を抱える。


 「ルイス様、あの湖の水を入れてみるというのはいかがでしょうか」


 高価なワイン等を提供できた訳もなく、この宿泊施設でガラス瓶に入れるような液体といえばそれしか思いつかなかった。ルイスも同じ考えのようで、頷く。

 二人はまた揃って湖に向かうことにした。


 「では、入れてみよう」


 ルイスがそう言ってガラス瓶を湖に入れる。コポコポと音を立てて、瓶に水が入っていった。ふと、隣を見ると、水中を興味深そうにシーラが覗き込んでいる。ルイスの悪戯心が刺激された。


 「おっと」


 ルイスはまるで湖に引き込まれるようなフリをした。


 「ル!ルイス様!?」


 シーラが慌ててルイスの腕を引っ張る。仕事でそれなりに動き回り物を運んだりするシーラの力は案外強く、ルイスはその勢いで尻もちをついた。ルイスが見上げると、額にじんわりと汗が滲んだシーラがいた。本気で焦ったシーラが愉快で笑いが止まらなくなる。


 「シーラは思いの外力持ちなんだな」


 その一言で、ルイスにからかわれたと気付いたシーラはツンとした様子で怒る。


 「またからかったのですね!」

 「シーラがただ水を汲んでいるだけなのに真面目な顔でじっと見ているものだから、びっくりさせたくなってね」


 シーラはひどい人と言って怒る。ルイスはそんな様子も可愛いなと思いながら、立ち上がる。


 「さあ、お嬢様のご機嫌をどのようにして取ったら良いかな。贈り物をしようか、それともデートでもしようか」

 「お、お嬢様だなんて!そんなに私をからかうのが面白いのですか!?」


 シーラは顔を赤くして怒る。顔が赤いのは、怒っているからだけではないだろう。


 「シーラを口説いてみようかと思って。どう?俺じゃだめかな?」


 シーラは目を見開く。口説くということは、シーラに気があるかもしれないと。これまでのルイスからすると、からかうことはあっても、誠実かそうでないかと言ったら、とても誠実な人だとシーラは思っている。ルイスは側近をしていた頃からだが、若い女性を口説きまくるみたいなタイプでもない。恋人がいるのだろうけど、特定の一人だろうと勘違いする程度には浮いた話がなかった。


 「それはどういう意味でしょうか?」

 「だから、俺はシーラのことが女性として気になっているんだけど、俺のことどう思う?」


 いつの間にかルイスは真剣な眼差しでシーラを見ていた。


 「わ、私としては、ルイス様にはずっと恋人がいらっしゃると思っていましたので、き、急にそんな」


 シーラは思考停止していた。今までルイスに対する気持ちには蓋をしていたのに。それに、恋人のことを抜きにしても、仕事仲間だ。そんな感情を持っていいのかも分からなかった。


 「聖女様や、シスター達だって、仕事中に見初められることが多いのは、シーラも見てきただろう?」


 ルイスは、シーラの考えていることがお見通しのようで、追い打ちをかけてくる。それでも、シーラは仕事モードの頭をフル回転させて、どうにかこの場を切り抜けようとする。しかし、ルイスはそれも見越しているようで、さらに追い打ちをかけた。


 「シーラが勘違いしていた、俺に恋人がいる話だけど。俺は側近だった頃からシーラのことが好ましいと思っていた。側近のまま、教会の侍女と付き合うのは少し政治的な見方をすると難しかったから、殿下が臣下に下るタイミングで出ることにした。そしたら、シーラも侍女を辞めて求職中だなんて聞いたから、ここに来てくれるように手配した。どう近付いてもシーラは侍女の顔を崩さなかったけど、この湖の一件でやっと色んな顔が見られたんだ」


 シーラはルイスから好ましいと思われていたということを理解する前に、ひとつかなり引っ掛かることがあった。


 「私がここに来るように手配した、とは?」

 「シーラに急に婚約や婚姻を申し込んでも断られるだろうと、シーラの兄上からのアドバイスがあったからね。まずは同じ職場で働いて互いをよく知ることで距離を縮め、様々な面を見ることができたらデートを始めてみるべきと。この案にはシーラの姉上方も大賛成で、幼い頃から侍女としての未来しか見えていなかったあの子は、きっと働いている間のことを一番に考えるからと」


 シーラの思考は今度は王都に住む家族へ行く。


 「ど、どうしてお兄様やお姉様と……」

 「シーラの兄上は俺の同級生だし、姉上方とはシーラの近況を伝える手紙でやりとりをしている。もちろん、シーラがここに来る前に一度挨拶には伺っているが。シーラ?」


 シーラは固まる。思いもよらないルイスとシーラの家族との繋がりに思考が追い付いていない。確かに年齢を考えればルイスと兄は同い年だ。しかしこれまで兄の口からもルイスの口からも、お互いのことを話したことはなかった。学園で同級生といっても、接点がなければ顔見知りですらないのと同じだ。


 「ルイス様は、私のことを好ましいと思っておいでなのでしょうか」


 考えることをやめたシーラは一番大切なことを聞こうと思い、そう口にした。


 「ああ。聖女様の専属侍女として働いている姿が好ましいと思っていた。ここに来て、シーラの仕事中の顔も、そうじゃない時の表情もたくさん知って、もっと知りたいと思うようになった。シーラの兄上達の助言通り、まずはデートから申し込みたいが、どうだろうか」


 ルイスは真剣な眼差しで見つめてくる。シーラは色々と聞きたいことは一旦隅に置いて、ルイスのことを考える。昨夜、とても会いたいと思ったことに、蓋をした。その蓋を開けてもいいのかなと思うことにした。


 「デートから。よろしくお願いします」


 シーラの返事を聞いたルイスは、ではさっそくと言って、湖の周りを散歩する。仕事中なのに、とシーラは思うが気にしないことにした。


 「そういえば、先程のガラス瓶に水は汲めましたか?」


 シーラの言葉に、ルイスはああ、と返事をして、ガラス瓶を見せる。


 「神のお気に入りである場所の水。もしかしたら普通の水とは違うのかもしれない。今日汲んだものと、また王太子殿下達の帰りに寄った時と、二つを王宮に持ち帰ってもらって調べてもらおう」


 王太子妃は、私達がこの水をガラス瓶に入れて、それを売ることで商売をしてもいいし、研究させてくれるもいいしと思い、ガラス瓶を残したのだろう。人としてどのような行いをするのかを試されたのだ。そして、忠告でもある。おそらくこの湖の水を勝手に汲んで、何かの効能があると謳って商売をする者が出てくる可能性もある。

 ルイスは、この場所の警備のために騎士か護衛を雇うことなどを考えている。そして、騎士や護衛が来る前にシーラと婚約をしておきたいとも考えている。


 数日で、湖にはベンチが設置された。そして、その側には木で看板が立てられた。そのうち石碑にしようと考えているが、とりあえず評判を聞いてからにしようということのようだ。その看板には、シーラが思い出した詩が書かれている。


 「夕暮れは、うた。暮れても側にいた。朝日が来るまで。愛とはそういうもの」


 この詩はルイスが調べたところ、王宮文官が過去に旅行した場所のことを残したものらしい。前後のページを見ると、ちょうどこの辺りのことだろうとのことだった。もう何十年も前の本で、著者の文官もすでに亡くなっている。一応血縁の者に確認したところ、これまで眠っていたような著書であるから、出してもらってかまわないとのことだった。

 神に気に入られている場所に何かを感じて残した詩が、シーラの心に残り、この場所を訪れた王太子に見つけられた。まるで、この時を待っていたかのように思える。


 「いつ来ても素敵な場所ね」


 シーラがそう言って目を輝かせている。ルイスは、湖を背景に嬉しそうに微笑むシーラこそが素敵だと思い、微笑んでいる。二人の恋はまだ始まったばかりだ。村人達も温かく見守っている。



 「ここの規模が大きくなる前にさっさと身を固めてしまいなさい。お互い誰かに掻っ攫われる前にね」

 「ちょうどいい。私達が証人になろう」


 隣国からの帰りに寄った王太子夫婦の勧めで、スピード婚約、スピード結婚をすることになるとは、今の二人は思ってもいなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 王太子が湖で神様と交信するシーンが神秘的で綺麗でした。
[一言] 詩を口ずさんでしまうほどの美しい風景と、緩やかに穏やかに紡がれる日々が結び合う優しい恋。作品そのものが装飾された小箱から響くオルゴールの音色のよう。派手ではないし華やかでもないのに、ふと思い…
[良い点] 不思議な感触のある話でした。静かで豊かな世界の、ひんやりした誠実さが感じられるような話というか…熱くない熱があり、それがとても好ましく思えます。 ちらちらと垣間見える王子たちとそのパートナ…
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