11. アンソニー・エンゼル
「いや、僕はこれ以上変な噂が立っても困る」
「そうですよ」
ハロルドがすかさず同意する。
「タマラの婚約者のアンソニー・エンゼルだが。アンソニーがエリナにアプローチしたということは、タマラとは上手くいっていないのか?」
セバスチャンは例の皮肉げな微笑を浮かべた。
「アンソニー殿は、それまでタマラ様に『ベタ惚れ』と言われておりました。しかし、目の前に圧せばなびきそうな気弱な令嬢が、次期公爵というニンジンをぶら下げてフラフラしていたわけです。ちょっと口説いてみようとしたのでは」
「アンソニーはたしかに見た目が良いよな」
「アンソニー殿は、セント・ポール学園の人気投票『彼氏にしたい男子』で1位を獲得しております」
「僕が1位ではないのか」
自信満々なロイドはちょっと傷ついた。
「殿下は『遠目で愛でたい男子』1位でございます。学生でないにもかかわらず、ハロルド様が2位でございます」
ハロルドが吹き出した。
「自業自得ですよ、殿下。てゆーか何で自分の学園のランキング知らないんですか。殿下の側に立ってる俺ですら知ってますよ」
「ちなみにエリナ様は、『こっそりチョメチョメして涙目にしてみたくなる女子』1位でございます」
「そのランキング項目を考えたヤツに制裁を課す必要があるな」
ロイドはコメカミを揉んだ。
「真面目な話だが、アンソニーをこちら側に取り込みたい。権力や金に弱いなら長期的には問題だが、短期的には有効に活用できそうだ」
「そしてアンソニー殿をつうじてタマラ様をはじめエドモンド様の様子をうかがうと?」
「アンソニーだけをツールとするのは心許ないが、オプションの一つとして活用したい」
「承知いたしました」
「それに、学園でエリナの味方を増やすうえでも、その『彼氏にしたい男子』第一位とやらは役に立つのではないか。僕と違って女子に影響力があるんだろう」
「殿下は女子学生を避けがちでしたからね」
とハロルド。
「下手に仲良くすると、すぐに婚約者候補として親貴族が動くんだ。仕方ないだろ」
セバスチャンがまた皮肉な微笑を浮かべた。
「別の意味で殿下にはたくさんのサポーターがいますよ」
「そのサポーターは、エリナとの関係を深化させる点には協力的でないだろ」
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セント・ポール学園の授業中
アンソニー・エンゼルは、ぼんやりと斜め前に座るエリナを眺めていた。
『全く俺のタイプではないが、手に入らないとなるとちょっと惜しいな』
アンソニーは、堂々とした美女であるタマラこそが学園で一番美しいと思っていた。
美貌の高位貴族。
そんな彼女が自分の婚約者になった時には、有頂天になった。
気が強く、生意気なところはあるが、マクイーン侯爵家とのコネクションができると思うと、そんな些細なことは気にならなかった。
それで満足していたはずなのに。
エリナ・ストッケルが婚約破棄され、次期公爵となる婚約者の座が空いた。
アンソニーははじめてエリナに目を向けた。
儚げな美少女は、悪く言えば地味であり、アンソニーのタイプではない。
しかし、なかなか良いカラダつきをしており、化粧を濃くすれば妖艶な美女にもなりそうだ。
彼女をモノにすれば、次期公爵の座が手に入る…
アプローチをかけた途端、なんと彼女はロイド殿下と婚約してしまった。
まさかあの可笑しな告白が上手くいくとは…
彼女に対してちょっと食指が動いたことで、タマラはカンカンに怒ってしまった。
わからなくもないが…
猛烈に怒っているタマラのことはあまり好きになれなかった。
『ツンデレのタマラはカワイイのになぁ』
タマラは近頃目も合わせてくれない。
『ツンデレのデレが消えてしまった…』
そんなことを考えていると、授業が終わっていた。
教室移動があるようで、皆が教室から出て行く。
「アンソニー様、次は実験室ですわよ?一緒に参ります?」
キャピキャピした女子のグループが、ぼんやりしたアンソニーを気遣ってくれた。
「ありがとう。俺はあとから行くよ」
アンソニーはハァァとため息をついて、荷物をまとめた。
アンソニーがトボトボと歩き始めた頃には、もう教室には誰も残っていなかった。
「実験室ってA棟の3階だっけ」
A棟はしーんとした静寂に包まれていて、何だか不気味だった。
アンソニーが思わず歩調を早めて階段を登り始めたその時。
「こんにちは、アンソニー・エンゼル殿」
「ひぃぃぃ」
「私はセバスチャン・マコガナルと申します」
アンソニーの前に突然黒髪黒目のスラリとした男が現れた。
年齢不詳だが、学生でないことは確かだ。
「何の用かな?」
「私の主が、アンソニー様とお話ししたいと申しております。ご同行を」
「えっ、断る」
「ご同行を」
セバスチャンの有無を言わさぬ姿勢に、アンソニーは従うしかなかった。