うつわをみたす
きつねがあった。
人をだますといわれているが、それにはだまされる側も必要だ。望むものが得られなくて裏切られたと感じたとき、恥も外聞もかなぐり捨てて自分は悪くないと叫ぶ。
ほんとうに悪くはないのかもしれない。だからといって全部きつねのせいにするのは、少し情けなくもあろう。
きつねと出会ったのは、宵も更けてきたころだった。
ただ出歩くには寒い、けれど呑めばなんということもない。暗い道の向こうから、うす汚れた稲荷色がよびかけてくる。
「だんな、だんな。満たしませんか」
「………?」
きつねに限らず、こういう手合いは分かりにくい言葉をつかう。
たぶん悪意はない。ちんちくりんで見るからに弱そう。だれからも信じてもらえなくて、とにかく必死なのだろうか。
要は、供物の無心である。何かおもしろいものを見せてくれたら、立ち喰いそばのひとつも奉るとしよう。
「満たすって、どういうことだい」
「そのままの意味でさ。箱でも袋でも、容れ物は何でもいっぱいにします」
ただし、ひとつは本物が入らないといけない。じかに人の心を満たすことはできませんが、とつまらない冗談をいう。ふところから巾着を出すと、男はたわむれに小判を一枚いれた。
「じゃあ、これを満たしてくれ」
「…だんな。小判は千両箱にいれるものですぜ……」
物乞いの神さまは、さも大儀そうに溜息をついて呆れかえった。
☆★☆★☆★☆★☆
つまり、こういうことらしい。
ものをいれるには、それぞれふさわしいかたちがある。
酒は樽に、銭は紙入れに。まあ徳利や小さなつぼにしまい込むことはあるかもしれない。だがお銚子にしょうゆはない。ひしゃくにみそを詰めたりもしない。ところによっては、とんでもないものとまちがわれる。
「のみこめてきたぞ。これなら、よいのだな」
みやげの菓子箱を開けて、中身の落雁をひとつほおばる。それから蓋をして、きつねのほうに差しだす。
「へえ、へえ。そういうことで」
笑いながら受けとる。また開けてみると、減ったはずの落雁が元にもどっていた。
「こいつはすごい」
落雁が好きな人なら、ずっと一緒にいたくなるだろう。
「いや、おもしろいものを見せてもらった。お礼に供え物をなんでも差しあげましょう」
口を閉じてから、男はしまったと後悔した。相手はあやかしである。言葉じりをとらえて、無理難題を押しつけられることもあるのだ。
「それなら、感謝してくだせえ」
きつねは答えた。
「ほんとうの感謝を。それが何よりのごちそうなんで」
だが男も、当代の人なみには疑りぶかい。
「あとで高くつくことはあるまいね」
「ええ」
「だれかに教えても?」
「かまいやせん。なるべく大勢に伝えてくれれば」
「……………」
「信じてくだせえ。きっと、いいことがありますよ」
「そういう、もんかねえ」
きつねのうわさは、やがて町じゅうに広まる。
★☆★☆★☆★☆★
「おきつねさま。おしょうゆを一杯にしていただけませんか。娘の嫁ぎ先からいただいた特別なもので……」
「持病の薬を増やしてくだされ。どうにも高うてなりません」
「米が、残りすくないんだ。こんな枡でもできるのかい」
うつわを満たしてもらい、よろこんだ人々はお供え物をして帰ってゆく。きつねはいらないといっているのだ、と男が説明してもきかない。あまり押しよせるとつかれてしまうので、いつのまにやら付き人のようなまねをしている。
「あなたが、もらったらいい」
きつねは上機嫌。
「わたしも感謝してるんだよ。みなと同じようにね」
言葉づかいや、からだつきまで立派になった。
「でも……」
「だいたいあなたは、あれからまったく望みをいわないじゃないか」
不満そうにつぶやく。
「おれは、べつに困っていないから」
「困ってなければ、何かを願ってはいけないのかい」
「そんなことは……」
「だったら、満たしてほしいものがないか考えることだね」
次の日、見るからに困っていなさそうな男があらわれた。
ふたりの前には千両箱。ていねいに〆た小判の包みがひとつだけ入っている。
「これを満たしてくれ。できるんだろう?」
「ええ、まあ。でも、ほんとうにいいのかい」
千両箱をもちこんだ男が気色ばむ。
「どういう意味だ」
「そのままだよ。にせ金を増やして大丈夫なのかな」
蒼ざめて帰っていった。そしてまたあらわれ、涙ながらに感謝する。
「ありがとう。あやうく首が飛ぶところだった」
とある大商いで受けとったお代が、全部にせ金だったという。
あわててお上にとどけ、かれは事なきを得た。損失はきつねがほとんどなかったことにしてくれるのだから、是非もない。
「ありがとう、ありがとう。この金は、世のため人のためにつかうよ」
その夜、花街で大盤振舞いがあった。
どこかのお大尽が小僧を連れてまわり、会う人すべてにご祝儀を配ったと。どうしてこんなことをするのかたずねた人は、答えを聞いて仰天した。
きつねと男のまわりは、それからますます騒がしくなってしまう。
★☆★☆★☆★☆★
お足を増やせるとわかり、猫も杓子も紙入れを持ってくるようになって数日。
男の手元には、結構な額がたまっていた。それというのも、きつねが例によって寄進を受け取らないからである。
「ほんとうに、そちは頑固じゃな」
「あんたもだろ。これじゃあまるで、おれが悪いやつみたいじゃないか」
そうまでいわなくとも、男のことをやっかむ向きはあった。だれでもいい思いができるとわかるにつれ、気にする人もなくなっていったが。
「ううむ。では、こうしようぞ」
えらそうにのたまった。いよいよ貫禄もついて、神々しくさえある。
「ぬしは、これが余の金と申したな。さすれば今宵はおごって進ぜよう。遠慮なくたのしむがよい。否、遠慮はゆるさぬ」
そうたたみかけられては、断りようがない。
「…わかったよ。でも今回だけだぞ」
きつねは、うれしそうにうなずいた。
「うむ、うむ。どうせ今夜あたりが最後じゃろうからな」
おかしなことをいったが、ことさら確かめる気にもなれない。
その晩。きつねと男は、町一番の店で夕餉をかこんだ。きつねは食べる必要などないが、相伴したのである。寄進をつかいきる勢いで高い酒をたのみ、喰らいきれないとみるや人々に分けあたえた。いつもとちがうのは、顔をかくしていること。そもそも感謝してもらいたくて、あんなことを続けたのではなかったか。
「焼け石に水だからね。もらえていたものが急にもらえなくなったとき、人はだまされたっていうんだ」
きつねが何をいっているのか、やはり男にはわからない。しかし気づいてしまう――きつねの言葉づかいが数日前のものにもどっていることを。
きつねは、さびしそうに笑った。
「当たり前のことに、いちいち感謝はしないものさ」
ありったけの金を置いて立ちあがる。
「さあ、急いだほうがいい。ここにいると、ひどい目にあう」
表は、まだにぎわっていた。裏道をぬけ、関所をとおらなくてすむ在のほうへ。
ひとごこちついて、男はきつねを問いただした。こうも人目をはばからねばならぬわけは何なのか、と。きつねの姿は、出会ったころにもどりかけている。
「だんなは利口ですよ。借りて増やした金をつかいきり、また借りようとする連中なぞとはちがいなさる」
元手をのこしておくのは商いの基本。商人でなくとも、宵越しの銭を持たぬでは食いつめる。忘れたうちの何人かは、首がまわらなくなるのだろう。町のどこかにいるきつねを探す手間をおしみ、考えなしに借金をかさねた愚か者が。
より賢い者は、金を増やしてもらってすぐ遠出した。いずれ金余りになるとみて、ものの値段が安い土地でさまざまなものを買い占めておく。二度、三度とくりかえすより、そのほうが得になると見きわめたのだ。
こうなっては、感謝するもない。ふだんと同じ、商人たちはおのれの才覚でかせいだものと思うだろう。
「また、こうなりやしたか。あっしの望みは、いつになったらかなうのかねえ」
おそろしくもあったが、毒を喰らわば皿まで。男は、きつねに訊いてみた。
「あっしの望み?そりゃあ、かんたんなことですよ」
気負わずに、あるいは悪びれずにいう。
「こころを満たすこと。いっぺんでいいから、人をしあわせにしてみたいんですよ」
「ばかな。そんなこと」
できるものか。ものを増やしたくらいで、金を増やしたくらいで。あって悪いものではないが、あればあっただけよいものでも、しあわせの必要十分条件でもない。
「おまえの名は、なんというのだ」
「人がつくりだした悪魔。そのなりそこないですよ」




