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夜空へ虹の架け橋を  作者: 寶井かもめ
第一章 夏の雨
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安らぎの時間

 ―― 二〇二九年 八月二十六日 日曜日 ――


 機械仕掛けのような平日を乗り切り、土曜日の掃除、洗濯、買い出しを終えた翌日、ようやく日曜日が訪れた。


 仕事と雑務に追われた一週間を、今週も投げ出さずにやり遂げたのだ。


 今日は結弦に会える。

 大好きな結弦のもとへ行き、たくさん話をしよう。

 今週はいつも以上に怒られたから、少しくらい愚痴を言うのもいいかもしれない。

 だって結弦は、わたしがどんな話をしても、いつも静かに聞いてくれるのだから。


 彼方に入道雲を携えた八月の蒼穹は、照りつける太陽に後押しされるように澄んでいる。


 結弦の待つ部屋までは歩くと四十分ほどかかってしまうが、のんびりとした散歩を兼ねたこの時間が、わたしは好きだ。


 いつものコンビニでおにぎりをふたつとお茶を一本買って、結弦が待っている部屋へと向かった。

 自動ドアを二枚抜けてエントランスを早歩きで通り過ぎ、そのまま通路奥にあるエレベーターへ乗り込む。慣れた手つきでボタンを押すと、目的の階層へ着くまでの間に服のしわをさっと手で伸ばした。

 間もなくしてピンポンと音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。


 浮きたつ足は軽快なステップを踏むように、無意識に前へ前へと歩みを進めていく。結弦の部屋の前に立ち、一応ノックをしてからスライド式の扉を開けた。


「結弦!」


 ようやく会えた。一週間は長い。


「先週は残業ばかりで夜もろくに会えなかったし、なんか久しぶりだね」


 ……返事はない。


「結弦はどうしてたの?」


 ……やはり返事はない。


「また、部屋から出てないんだね」


 …………。


「だめだよ、寝てばかりいちゃ」


 結弦はなにも応えずに、穏やかな顔で眠り続けている。


「ねえ、そろそろ起きてどこか行こうよ。体にカビ生えちゃってもしらないよ?」


 くすくす微笑みながら冗談を言っても、結弦はなにも応えない。

 

 七色ダム湖へのバス転落事故から結弦はずっと眠り続けている。七年間ほとんど欠かさず続けてきた結弦との週末の時間は、いつもわたしが一方的に話すだけ。


 いつ目覚めてくれるのだろう? このままだとわたしは、世界にひとりも同然なのに。


 午前中に一週間の出来事などを一方的に話して、お腹が空くと買っておいたおにぎりとお茶で昼食を摂る。

 午後からは結弦の隣で文庫本を読んで過ごした。


 それは、海の見える町で育った高校生の恋物語。


 幼い頃に家族を事故で亡くした男の子に、自立を促し、自分がいなくてもしっかりと生きていけるようにと奮闘する彼女。

 もう自分がいなくても大丈夫だと安堵した彼女は、ある日子どもを助けるため海に飛び込んで亡くなってしまう。

 彼女には未来が見えていた。自分の死の運命を知っていた彼女は、自分がいなくなっても彼がひとりで生きていけることを望み、残りの余生を過ごしていた。

 それを知った男の子は、彼女の死を受け入れて、前を向いて歩き始める。


 そこで物語は終わる。


 物語の世界とはいえ家族だけでなく恋人にまで先立たれてしまったこの男の子は、この先どうやって生きていくのだろう?

 わたしは結弦が生きていてくれるだけ、まだ幸せなのかもしれない。会話ができなくても伝えることはできるし、こうして大人になった顔もずっと見ていられるのだから……。


 褥瘡ができないようにと、看護師さんが何度か来ては結弦の体勢を変えてくれる。気づけば面会時間は目前まで迫っていた。


 そろそろ帰らなきゃ、と思った頃に顔見知りの看護師さんに声をかけられ、少し談笑をしてから結弦に「またね」と告げると、わたしは病室をあとにした。


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