ララエ、覚醒?
ハッと気がついたハクロが慌てて身体を起こすと、嫣然と微笑むシオウが自分を見下ろしていた。
さっきまでのサロンとは違う部屋で……と、そこでようやく直前に何が起こったかを思い出す。
「――そうだ、ララエ!? ララエのあれは何だったんだ!」
「あの子はどうやら魔法使いの素質があるようですわね」
「魔法使い――つまり、アレは魔女ってことか!」
「言うに事欠いて魔女だなんて。ハクロ様とララエ様の間には真実の愛があったはずなのに、ずいぶんと酷い言いようなのではありませんか?」
くっくっと、シオウがとてもおかしそうに笑う。
「何を! そんなもの、ララエの裏切りで消えたと――」
「ララエ嬢が裏切ったとおっしゃるのですか? ハクロ様が?」
「そうだとも。三日間、ララエは俺に会いにすら来なかった。俺を放ったまま部屋に閉じこもって男を取っ替え引っ替えして遊んでたんだ。
さっきもそう言ったではないか!」
シオウは、ほうっと吐息を漏らし、扇子を畳むと指先でくるくると弄ぶ。少々はしたない行いだが、ハクロの言い草があまりに聞き苦しかったのだ。
「――わたくし、別に妾とか二号とかに目くじら立てるつもりはありません」
「なに?」
「けれど、度を越した馬鹿が身の程をわきまえないことは我慢なりませんのよ」
また小さく息を吐くシオウに「わかってくれるか!」とハクロは活気付く。
「そうなんだ、ララエはそもそもが平民だろう? 平民で身持ちの悪い女で芝居もうまかった。俺はすっかり騙されてたよ」
「あらまあ……ハクロ様はそうおっしゃるのですね?」
「ああ。事実だからな」
再度広げた扇子で口元を隠し、シオウはわずかに眉を顰める。
「――わたくし、なぜハクロ様がそうも愚かで最低の振る舞いをするようになったのか、未だに理解しかねるのですが……教育係のせいなのでしょうか。
少なくとも、わたくしと婚約した時はそのような方ではなかったと考えておりますが、もしや猫を被っていらしたのかしら?」
「何の話だ? 今はあの魔女ララエをどうにかするのが先だろう」
青筋を立てるハクロに、シオウは今度は深い溜息を吐く。
「ハクロ様。そのような口先だけの言でわたくしや大公殿下を謀れると、本当にお思いなのですか?」
「なに?」
「すでに、神殿からはハクロ様とララエ様のおふたりがこの三日をどのようにお過ごしだっか、詳細な報告が届いておりますのに」
ハクロの顔がカッと赤くなる。
まさか、そんなことにも思い至らなかったのかと、シオウは内心呆れてしまう。
「な――わ、罠を、まさか俺を罠にかけたのか!?」
「罠などと言えるようなものではありません。そもそも、ほんの少し考えれば明らかなことでしょうに」
俺の言葉なのだぞ、という呟きは、シオウに黙殺される。
「それに、愛の女神にお仕えする方々は、あれで同意なき相手に無理強いすることなど決してなさいません。それは愛に基づく行為ではないからですわ」
「だからなんだ」
「最初に確認されたのではありませんか? 恋人のことはよろしいのかと。でも、ハクロ様は今目の前にある愛の方が重要だとおっしゃったそうですね」
ぐ、とハクロは黙り込んでしまう。
そこまで知られてるなんて、とでも考えているのだろうか。
「そもそも、わたくしが手配しておふたりを神殿へとお送りしたのに、その程度のことも考えていらっしゃらないとは……わたくしはどれほど侮られていたのでしょう? 怒りを通り越して悲しくなってまいります」
「――俺を、どうするんだ」
「どうするも何も、婚約はこのまま続けます。大公殿下にご信任いただいているのですもの、ハクロ様がボンクラの考え無しの浮かれポンチでいらっしゃっても、わたくしが妻としてしっかりとフォローいたしますわよ」
シオウの言葉に、ハクロは瞠目する。
こんなことになっても、シオウは自分を捨てないなんて、まさか。
「お前、そこまで俺のことを……」
「あら、嫌ですわ。勘違いなさらないで」
愛してくれているのか。まさか、シオウこそがハクロに真実の愛を抱いていたのか――そんな都合の良い言い草を口にしかけたハクロを、シオウは鼻で笑う。
「わたくしのような高貴な家に生まれた者にとって、帝国臣民として、この北方大公領を愛するものとして当然の義務ですもの。それくらいやり遂げてみせると、この度の件で覚悟を新たにしましたのよ。
もっとも、ハクロ様こそがこの度弟君の予備となることに決まりましたけれど」
「な、に……?」
「もし、今すぐ現大公殿下に万一のことがあっても、十年保たせさえすれば弟君の準備は整います。
ハクロ様の奥の方として、頼りにならぬ夫を支え自らの采配ぶりを試す機会が訪れたその時には、身命を賭して期待に応えてみせますわ」
シオウが心底楽しみだと目を細める。
女の身である限り表立って政治に関わることはできないが、夫を挟めば別だ。
ハクロというこれ以上ない傀儡を手に入れて存分に己の手腕を試せる機会が得られたらと考えるだけで、最高にわくわくするではないか。
「お前……いや、ア=トウカ上位家が大公家を乗っ取るつもりか……」
「大公殿下には許可をいただいております。これに関して、もしその時にはわたくしの父と兄、つまりア=トウカ上位家の現当主と次期当主は介入しないとも、準備が整い次第、弟君に大公位を譲るとも“誓い”ました。
もちろん、契約の神の司祭立会いのもと、魔術契約を結んでのうえです」
「そんな……」
それでは、本当に弟が大公継嗣であり、自分はただの……ハクロはへたりと長椅子の背に身体を預けて、呆然とシオウを見上げた。
* * *
両腕を広げた大人ふたり分……というのが、この、呪文阻害の結界の大きさだ。そのさほど広くもない内部に入り込むと、純粋な魔力が渦巻き、瞬き……さすがのデオムルもひどい目眩と馬車酔のような気分に襲われた。
「ララエ嬢」
中心に蹲るララエの背に触れると、途端にぴしりと鞭打たれたような衝撃と痛みが走った。ちらりと見ると、長衣の袖が切れて血が滲んでいる。
「どうして? どうして私ばっかりこんな目に遭うの?」
「ララエ嬢、落ち着くんだ」
「父さんだって、上位家の令息引っかけてこいとしか言わないのよ。私のことまるっきり釣り餌扱いで、私だって好みくらいあるのに。父さんの命令がなきゃクソ男なんてこっちからお断りに決まってるのに」
「ララエ嬢、もういい、大丈夫だ」
「母さんだって私のこと二束三文だったの。私の顔がいいから引き換えにたくさん金貨がもらえたって、すごくうれしそうだった。どうせ見た目しか取り柄がないもの。だから、この顔でクズでも何でも上位家の令息釣って来いって言われるのよ。あんなクズ、大公の息子じゃなきゃ見向きもしないに決まってるじゃない。上位家ならどんなのでも歓迎されるってどうして? 私なんて、身分のいい男釣るまで帰る家もないっていうのに――」
「ララエ嬢……」
「もう嫌、家なんか知らない。貴族なんてなりたくない。私だって好きに勉強して、好きに自由恋愛したい――もう嫌!」
パン、と、また何かが破裂する。
結界内の魔力の渦はおさまる様子もなく、それ
どころかじわじわと威力が増している。もともと長く保つ結界ではないが、魔力暴走で消えるほうが先だろう
また、ボン、と小さな音を立てて何かが爆発した。
デオムルは、小さく深呼吸をして、集中する。
内なる魔力に呼びかけて、呪文を唱える。
「“混沌の海より生まれし力にデオムルが命じる。この娘の精神を我が手に”」
ぴくりとララエの身体が揺れて、顔を上げた。
「“ララエ・ナ=ケイ。まずは落ち着いて、私の話を聞きなさい”」
「は……い」
魔力の嵐が弱まる。
魔力暴発は、原因となった人物の感情の爆発に影響される。対象の感情を無理矢理にでも鎮めてしまえば、いちおうおさまるものではあるのだ。
司祭であれば、“沈静”の神術で落ち着かせることはできるが、あいにくとデオムルは魔法使いだ。無理矢理にでもというなら、魅了や精神支配の魔法を使うしかない。
ララエがぼんやりとデオムルを見つめている。
使ったのは、“魅了”よりも強力な“支配”の魔法だ。
対象を、その意思を無視して操るような呪文は、もちろん協会から濫用を禁じられているが、今は緊急事態だ。
遅れて荒れていた魔力が鎮まるのを確認して、デオムルは結界を解いた。
窓ガラスがすべて割れた部屋の中は、壁紙や絨毯もボロボロで調度もひっくり返り、ひどいありさまだ。
外も騒がしくなっている。
「場所を移動しよう。君の部屋へ行こうか」
ララエはこくりと頷いて、おとなしくデオムルの差し出す手を取った。
■契約の神
商売と契約を司る神。この神の司祭が立ち会って交わされた契約は法的な強制力を持つし、契約書等の書類は公的文書と扱われ法的な実効力を持つものとして扱われる。
教会は、日本で言うところの公証役場と商工会議所を合わせたような役割を担うことが多い。
■魔術契約
制約等により必ず遂行されるよう、魔法的な強制力を持たせた契約





