最低男と濡れ衣と
神殿での三日間、ララエはなんとか抜け出そうとがんばるつもりだった。だが、やはり監視されているのか、人目を忍んで部屋を抜け出たはずなのにたちまち見つかって部屋へ戻されてしまう。
五回ほどは繰り返してみた――が、やはりダメだった。ララエは破滅から逃れられない運命らしい。
最後の日の夜も結局まんじりともできず、ただただぼんやりと夜空を眺めているだけで終わってしまった。
夜と眠りの女神が、自分をこのまま覚めない眠りに落としてくれればいいのに――なんてことを考えながら。
神殿を出る朝、ようやく顔を見せたハクロは肌もつやつやで、三日間全力で神殿の生活を楽しんでいたことがどこから見ても丸わかりだった。
隠すつもりもないのかよ、とララエは小さく溜息をこぼす。
それに対して、ララエはすっかり面やつれしている。昼も夜も悩みが尽きず、ろくに眠れもしなかったのだからあたりまえだ。
ハクロはこれからシオウとどんな顔で会うつもりなのだろう。
まさか、婚約解消の書類のこととか全部まるっと忘れたわけじゃあるまいな。
ハクロが何をどう考えているのか、ララエにはさっぱりわからない。
しかし今の状況では、どう転んでもララエに良いことがないのは確かだろう。
現に、ハクロはわざとなのか何なのか、今この場ですら、ろくにララエの顔も見やしないのだから。
――父の命令なんて無視して、勉強だけしてればよかった。
迎えの馬車に乗り込むと、ハクロは向かいに座った。
以前ならララエの横に座っていたのに。どうやら神殿で美女たちと楽しみまくった今は、ララエにぴくりとも食指が動かないらしい。
神殿から学院……シオウの待つ場所までおおよそ半刻。ララエのことは本気でどうでも良くなったのか、ララエを無視して黙り込んだままのハクロと、重苦しい雰囲気のまま運ばれていった。
* * *
「おかえりなさいませ」
「ああ」
学院のサロンを借り切ったシオウが艶やかな姿でにこやかに出迎えると、ハクロも負けじとにこやかに頷き返した。
ララエは暗く落ち込んだまま、腰を落として淑女の礼をする。
今から何がどうなるのかさっぱりだが、良いことが起こるわけないことだけははっきりとわかっている。
シオウのことだ。神殿であったことくらい抜かりなく調査済で、すべて筒抜けだろう。ララエだって、自分だけなら胸を張って誘惑なんてされなかったと報告できるが、このハクロが一緒なのだ。
本当に、どうするつもりなのか。
ララエは固唾を呑んでびくびくとハクロを伺う。
嘘を吐いたところで絶対バレるのだ。
どうして彼はそんなに余裕でいられるのか。
「神殿はいかがでございましたか、ハクロ様」
「愛の女神は自由な気風とはいえ、やはり少々窮屈だったな」
「さようでございますか――ララエ様は?」
ふふ、と笑って扇子を広げるシオウに呼ばれて、ララエは身を竦める。
「そ、それは、あの――」
「ああ、聞いてくれるか、シオウ」
続けようとしたララエの言葉を遮るように一瞥し、ハクロが溜息を吐く。
「――ええ、ハクロ様」
シオウが僅かに目を眇めて先を促した。
「ララエの不埒な行いのせいで、俺の“真実の愛”の証明はなされなかったのだ」
「――え?」
いきなり言われて、ララエはぽかんと口を開けた。
いったい何故そうなるのか、意味がわからない。
「俺と離されて、神官や聖騎士たちにかしずかれて、ララエは調子に乗ったようだよ。俺の愛が踏み躙られるなんて、思いもしなかったよ」
顔を上げたララエは、あまりのことに声も出ない。
つまりハクロは、自身のやらかしたことをすべてララエに転嫁したうえで、自分こそが裏切られた被害者ということにしたいらしい。
「そっ、なんで、私が……私、ずっと部屋で……」
「そうだ。俺に会おうともせずずっと部屋に引きこもって、男を取っ替え引っ替えしていたのだろう? おおかた、部屋にこもってればバレないとでも考えたのだな。
こうも面やつれするほど楽しんでいたとは、さすがの俺も驚いた。まさか、こんなアバズレだなんて、すっかり騙されていたよ」
「あらまあ……」
苦々しげに吐き捨てるハクロに、扇子で口元を隠したまま、シオウは二の句が告げないようだった。
ララエは何と返せばいいのか分からなくて、ただ、ぱくぱくと口を開け閉めする。まさかこんな最低な裏切りにあうなんて――頭が真っ白だ。
「そ、な……なんで、なんで、私、何も……」
このままララエを性悪の嘘吐きの不埒者に仕立て上げ、自分は騙されていただけなのだとシオウに許しでも乞うつもりなのか。シオウを見れば、扇子で口元を隠したまま、じっと観察するようにララエを見つめていた。
シオウはララエの言葉を信じるだろうか。
癪に触りこそすれ、信じる理由なんて何もないのに。
「考えてみれば、ララエは下賤の生まれだった。シオウには最初からわかっていたから、俺にあれこれと忠言をしてくれたんだろう?」
――違う、という言葉ももう出てこなかった。
ララエは大きく目を見開いたまま、茫然と立ち尽くす。
これが貴族のやり方なんだ、とそんなことだけをぼんやりと考えていた。
「シオウ様、よろしいですか?」
「何かしら、デオムル」
割り込む声に、ララエは視線だけを動かす。
つい最近、シオウが雇ったという、得体の知れない悪魔混じりだ。
瞳のない、どこを見ているかわからないはずの目は、ララエを見ているのだろうか――彼はこほんと小さく咳払いをすると、空中に向かって手を差し出す。
その手の上に、醜い皮の翼を持つ小さな魔物がいきなり現れた。
「なんだ、魔物か!?」
「私の使い魔です。名前は……特に付けてはいませんね。一時的に召喚しているだけなので」
ハクロもララエもぎょっとして、その魔物を凝視してしまう。
「魔法使いの使い魔についてご存知ですか? なんと例えればいいか……遠隔操作できる、便利な第二の目と耳とでも言うと、わかりやすいでしょうか」
「それが何だというんだ」
「しかもこのタイプの使い魔は、言葉を解するし姿も消せる。おまけに小さくて飛べる。隠密行動が必要な調査には、非常にうってつけなんですよね」
「――まさか」
ハクロの顔色が変わる。けれど、ララエは使い魔がいるから何だというのかさっぱりわからず、困惑するばかりだ。
「こいつにララエ嬢の監視をさせてたんですよね。昼も夜もずっと離さず、ララエ嬢に張り付けて」
「かん、し……」
監視。
ララエの頭の中で、言葉が意味を持つ。
つまり――
「あ、あ、あなた、私を、監視? 見ていたの?」
「はい、見ていました、ずっと。私の仕事なので。だから、神殿で何があったか、シオウ様も――ララエ嬢?」
ひくりと喉が引き攣った。
悪魔混じりの魔法使いは、男だ。
その目と耳が自分に張り付いて、ずっと、ララエを監視していた。
羞恥にカッと顔が熱くなる。
「いやああああああああ!」
「ララエ嬢!」
もう限界だ。
ハクロには真実の愛どころか普通の愛すらなくて陥れられたし、自分が本当はどんなことをしていたかも何もかも見られていた。
いや、言ってたことまで全部聞かれていたのだ。
真っ白になったララエの頭の中で、何かが弾け飛んだような気がした。
「シオウ様、下がって!」
デオムルが叫ぶと同時に、パン、とサロンの窓ガラスが破裂した。
衝撃なのか突風なのか判別のつかない力に突き飛ばされて、ハクロが倒れ込んだ。護衛と侍女がシオウを庇うように抱き込み、デオムルが素早く呪文を唱える。
「デオムル、いったい何事なの!」
「魔力暴走です」
「何ですって!?」
うずくまったララエを、デオムルの作り出した結界が囲む。
嵐のような訳のわからない力の本流は落ち着いた。だが、低級の魔法なら防げる程度の簡易な障壁だ。魔力暴走にどこまで有効かはわからない。
「シオウ様はすぐにここを離れてください。できれば協会に連絡を。そこに転がってるのも連れてってください」
「お前は?」
「彼女を何とかします」
シオウは少しの逡巡の後に頷いて、ハクロを護衛に担がせると、すぐにサロンを出て行く。デオムルはそれを確認して、結界の中へと足を踏み入れた。





