悪役令嬢の本気というのは
その昔、ララエの母ミクナは、ナ=ケイ下位家当主ハジムと恋に落ちた。
ふたりはひっそりと愛を育んだものの、ララエを身籠ったミクナはその身分差にようやく思い至り、身を引いて行方をくらましてしまう。
ハジムはミクナを必死に探した。しかしその行方はようとして知れず――ようやく探し当てた時には、ひとりでララエを産み育てた末に儚くなった後だった。
おおいに嘆いたハジムは、ミクナの面影を宿した娘は自分の真の娘であると宣言し、本宅に引き取ったのだ。
――という建前の美談を信じている者なんて存在するのだろうか。
ララエなんて、その見目の良さに目をつけたハジムが彼女の母から買い取った、血の繋がりも何もない単なる平民の娘だというのが本当のところなのに。
* * *
は、と溜息を吐いて、ララエは学院寮の自室の鏡を覗き込む。
艶のある赤みがかった淡い金の髪に、青みの強い紫の瞳。薔薇色の頬と艶やかで柔らかそうな唇……華奢でたおやかな、思わず守りたくなる儚げな佇まい。
よくもまあ、こんな貴族然とした容姿に生まれついてしまったものだ。
外見詐欺にも程がある。
それとも、顔も知らない本当の父が実は貴族で……なんてこと、あるだろうか。
「あーもう、何が“真実の愛”よ」
“真実の愛”なんてものが本当にあるなら、世の中に伴侶の浮気だのヤリ捨てだので悲しむ者なんかいないんじゃないのか。
親子の間にだって“真実の親子愛”なんて存在しないのに、赤の他人の男女の間に“真実の愛”があると信じるなんて、ちゃんちゃらおかしいだろう。
「大公継嗣って絶対頭悪いよね。それに、シオウ様捨てて本気で私とっていうなら、もうちょっとあれこれ考えてもいいはずじゃない?
未だに学院の一般寮に入れとくとか、シオウ様次第でいつア=トウカ上位家の刺客にプチッとやられても、おかしくないと思うんだけど」
シオウを前に「貴様との婚約を破棄する!」なんて宣言していたけれど、あれは絶対本気にされていなかった。
ララエにすらわかったのに、本当にハクロにはわからなかったのだろうか。
まさかとは思うが、シオウとハクロが結託してララエを騙して遊んでいる……なんてことはないだろうか。
そもそも、あんな子供騙しですらない“嫌がらせ”を、ハクロがまさか鵜呑みにして真に受けるなんて、ララエ自身も驚いた。
けれど、今さら止めることはできない。
正直、“父親”や“実家”がどうなろうとララエにはどうでもいい。むしろさっさとどうにかなってほしい。
でも、できればこの学院には最後まで居続けたい。学ぶこと自体は楽しいし、どうせララエには、学んで身につけられたものしか残らないのだから。
「ララエ!」
「ハクロ様!」
普段よりやや甲高い声で応えながら、ララエは軽く息を詰めてそれとなく顔に力を入れて、なんとか頬を薔薇色に染める。身長の低さを活かしてやや上目遣いに、距離はちょっと近めに、軽く、やりすぎない程度に腕に触れて……我ながらなかなかの媚びっぷりだろう。
「ララエ、今日はどうだった? シオウはまだお前に嫌がらせをしているのか?」
「え、ええと……今日は、まだ大丈夫です。きっと、ハクロ様がしっかりと怒ってくださったから、シオウ様も自重していらっしゃるんです」
「そうか!」
ハクロがうれしそうに笑う。
チョロい。本当にチョロい。
その見た目を有効活用して上位家の嫡男を引っ掛けて来い――行儀作法を叩き込まれ、そう命じられてこの学院に入れられたのは、ララエが十五の歳だった。
それから半年、ララエはそれなりにがんばっている。
けれど、どこの家の令息も、まともな嫡男ともなればもれなく婚約者は付いてるし、いかにララエが媚びても浮ついたところは見せず……
当たり前だ。ララエ程度の色仕掛けに引っかかるようじゃ、生き馬の目を抜く貴族社会で、名家の嫡男なんてやってられないのだろう。
もちろん例外はいるし、平民とほぼ変わらないララエを一時の遊び相手にしようという不埒者はゼロじゃない。
だが、目的を達成できない相手なんて、ララエのほうだってお断りだ。
そうやってあれこれと見繕いつつがんばったララエが引っ掛けられたのが、このフゥ=クゥム大公家嫡男のハクロだった。
立派な上位家の姫を婚約者に持つ大公継嗣が何故ララエなんかをと、最初こそ遊びか陰謀かを疑わずにはいられなかった。
――が、ハクロを知れば知るほど、それは無いと理解した。
そして理解すればするほど、ララエは溜息を禁じ得ない。
正直言えば、公妃がシオウで自分が妾か側室だというならまだ納得できた。大公への交渉だってア=トウカ上位家への根回しだって、それならなんとかなっただろう。ララエだって、別に正妻の地位になんて拘らない。
生活に困らない程度の居場所ができて、父には家のためにがんばってるからと言い訳できる程度のそこそこのポジションになれれば、それでいいのだから。
なのに、根回しも何もなくシオウ・ア=トウカに正面切っての宣戦布告とは、頭が沸いてるとしか思えない。
相手がシオウだから「つまらない冗談を」という対応で済まされたのだ。
シオウの心ひとつで、ナ=ケイ下位家は潰えていたし、下手打ったハクロだって廃嫡だったろう。そうなれば、ララエだって今ごろアケロン河の向こう岸へと旅立ってたはずだ。
なんて危ない橋を渡らせるのか。
シオウにハクロは勿体なさすぎる。
こいつが次期大公とか、北方にとっての悪夢なのではないか。
最近のララエにはそうとしか思えない。
よくぞ次期大公をたらし込んだなどと無邪気に浮かれてる父はただの馬鹿だ。
父がそうだからナ=ケイ下位家が底辺の貧乏貴族でしかいられないのに、絶対わかってない。ララエのような元平民の底辺貴族が何の問題もなく大公妃になれるなんて夢見すぎだと、ララエ自身にだってすぐわかるのに。
できるなら、今すぐ逃げ出したい。
でも、逃げていったいどこに行けばいい? 大公家の腕もア=トウカ上位家の腕も、きっと、ララエが想像するよりずっと長い。
――ララエには、逃げる場所すらないのだ。
「あらまあ、ハクロ様にララエ様、おはようございます」
噂をすれば影、とばかりにシオウが現れた。
ララエを庇うようにハクロが一歩踏み出し、その背に隠れる形になったララエは、慌てて怯えた表情を作る。
シオウはいつものように侍女と護衛と……。
え、とララエは小さく声を漏らした。
あの角にどこを見てるかわからない目は、“悪魔混じり”ではないだろうか。
「――そんな悪魔もどきを拾って連れ歩くとは、シオウ・ア=トウカの権威と名誉も地に落ちたものだな」
「まあ、失礼な。種族の貴賎を問わず実力を見て拾い上げるというのが、我がア=トウカ上位家の家訓ですわ。
彼はデオムルと申しまして、たいへんに優秀な魔法使いですの。わたくしの専属ですのよ。以後よろしくお見知り置きくださいませ」
うふふと笑って、シオウは扇子を広げた。
ちょっとした動作まで優雅に美しく見せるなんて、ララエには真似できない。せいぜい、容姿の良さは負けてないかもしれない程度だ。
その程度じゃ、きっと勝負の舞台にすら上がれていない。
ギャンギャン吠えるハクロとそれを笑ってやり過ごすシオウの声をぼんやりと聞きながら、ララエは視線を感じてそちらへと目をやった。
シオウの専属魔法使いだという悪魔混じりがララエをじっと見つめていた。
観察されていると感じて、ララエはますます怯えた表情を作って涙を浮かべて、少しわざとらしいくらいにハクロの袖にしがみつく。
「あ、あの、ハクロ様……」
「ああ、すまないララエ。つい、この失礼で生意気な女の相手などしてしまった。さあこちらへおいで。
あの女は、あとで学院長に命じて別のクラスへと追いやることにするよ」
「ハクロ様はいつから大公閣下の権限までをほしいままに扱えるようになったのかしら? それに、学内のみとはいえ、学院長には絶対の権限を大公閣下より与えられているはずですわよ?」
「うるさい! お前のような性格も素行も悪いものを上級クラスに置いておくことこそが問題なんだ!」
「あらまあ」
「ハクロ様……」
ララエの目から見て、ハクロはシオウにまともに相手をされていない。ハクロだって、心の底ではそれがわかっているから、こうも逆上するのだろう。
残念ながら、役者が一枚上とか格が違うとかそういうことなのだ。
「ハクロ様、もう先生がいらっしゃいますから、準備をしましょう?」
「む……」
ララエはハクロを引きずるようにして、自席へと向かう。
隣はもちろんハクロで――
「ララエ様」
「はっ、はい!」
いきなり声をかけられて飛び上がるように振り向くと、なぜかシオウまでがすぐ後ろにいた。
「まだそのようなみっともない文具を使っていらっしゃるの?」
「え、あの、その……」
「ハクロ様も、文具のひとつも贈れないだなんて、甲斐性のないこと」
笑うシオウが、つい今しがた机上に置いたララエの文具を指で摘み上げた。すっかり痛んでくたびれた自分のペンに、ララエは身を竦める。
ハクロからの贈り物は、もちろん今も身につけている。
ただ、それは、身をかわいらしく飾るものばかりで、文具のような「かわいい女の子には必要なさそうなもの」が皆無というだけなのだ。
何しろ、帝国の淑女には最低限の教育があればいいというのが一般常識だ。
たとえ、ララエのように“上位クラス”にいられる成績の娘であっても、女に文具のようなものは不要――ハクロもララエの父もそう考えているから、ララエの文具はいつまでも使い古された安物だったのだ。
シオウのような令嬢が、めずらしいのである。
「学生の本分は学問ですのよ」
シオウがハクロとララエをじろりと一瞥する。
何を言うかというハクロに対し、ララエはカッと顔を赤らめて俯いてしまう。
「この上位クラスにいるというのに、そのような文具で何をするつもりなの。さすが、男性にいい顔するしか能がないと言われるだけありますわね」
「そんな……」
「ララエが妬ましいからといって、なんだその言い草は!」
ララエはぐっと拳を握り締める。
ここで言い返せば、ララエがこれまで被り続けてきた猫が無駄になってしまう。
「そのようなみっともない文具などもう捨てておしまい。とても目障りなのよ。
アーヤ、あれを」
「はい、お嬢様」
「あっ、何を――」
「シオウ、何をする!」
唇を噛み締めるララエの前で、「みっともない」と評された文具が容赦なく取り払われた。
だが、何をするのかと止めようとするララエに、スッと文具箱が差し出される。
「――え?」
「だから、かわりにこれをお使いなさい」
「あ、あの、シオウ様……?」
おそるおそる文具箱を開けると、華やかな意匠の、新品の文具がたくさん詰め込まれていた。
ペンもインクも上流階級の子女が使うような上質なものだし、ノートの紙も、ララエがこれまで触ったこともないような滑らかで薄い紙で……思わず瞠目して見返すララエに、シオウは高らかに笑う。
「これで、わたくしがお前の私物をどうかしたなどという言い掛かりが、言い掛かりではなくなったわね」
「――え、は?」
「これからも、お前の主張する、“わたくしがやった”という言い掛かりはすべて、事実にしてあげるわ。覚悟なさい」
「あの……」
こんな事態は想定すらしていなかった。
もっと秘密裏に処理されたりおおっぴらに処罰されたり、そういうことばかりを想像していた。なのに、こんな、素晴らしい文具を与えられるなんて。
さすがのハクロも、それは変わらなかったようで、ララエを庇おうと片手を上げたままの格好で固まっている。
「あ、あの、シオウ様、すみません……それから、ありがとうございます」
どう言えばいいかわからなくて、ただそれだけをやっと述べて、ララエは小さく頭を下げた。
シオウは軽く目を細めただけだった。





