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3.過去と旧友と悔恨と


 豊子の家を出た耕太は、山裾に沿って町中を歩いた。

 道は左手に山を見上げ、右手には棚田を見下ろせた。

 東の空を見やれば晩秋の色の薄い雲を背景に、高速道路の無骨な高架橋(こうかきょう)がぼんやりと視界に入った。この町に不似合いなその姿は、今も昔も変わらない。

 帰り際、豊子がタクシーを呼ぼうとしたとき、耕太はそれをやんわりと制止した。できれば帰る前にこの町を見て回りたいと思ったから。

 久方ぶりの故郷を歩いて帰りたいと告げたところで、おそらく彼女は不思議そうな顔をするだけだろうから、理由は言わなかった。

 そうして歩きながら目にする町並みは、そのどこかしこに耕太の思い出の一端(いったん)があった。

 ぽつねんと畑の中に並ぶ三つの地蔵も、穴のあいたトタン造りのポンプ小屋も、T字路の脇に立つ「飛び出し注意」と書かれた看板も、山際の斜面に生えた大きなビワの木も、それらすべてが懐かしい。

 そう、懐かしい──そのはずなのに、それらすべては何かが違って見えた。

 こんなに小さかっただろうか、あんなに汚らしかっただろうか、こんなに目立たない場所にあっただろうか、あんなに低い場所にあっただろうか……。

 そうした違和感が、つねに懐かしさの陰に隠されているような気がした。

 そして、懐古の情に近づけば近づくほどに陰は黒く深まって、その正体を隠してしまう。

 そのまま裾野(すその)に沿って歩いていくと、耕太はゆるやかな尾根に向かってひらけた場所を見つけた。

 一目ではススキやオナモミ、セイタカアワダチソウが雑然としげる空地。けれど、そこには一軒の平屋があった。

 (くず)のツルが柱や軒を問わず壁面を(おお)いつくし、ススキやエノコログサが()がれた瓦屋根の隙間から空へ手を伸ばすように穂を実らせる。おそらく生垣(いけがき)だったはずのヒイラギも自らの職責を忘れ、自由を謳歌(おうか)するように深緑の腕を振りまわす。

 平屋は、すでに人が住む場所であることを放棄していた。当然、人の気配などまるでない。

 しかし、耕太はこの家を知っている。屋内の様子もおぼろげながら思い出ることができた。

 ここは一つ年下の男の子の家。丸顔のスポーツ刈りで、笑うと前歯が二本とも抜けていて不格好な少年だった。彼はひどくやんちゃ坊主のくせに、すぐに泣く弱虫だった。

 今となっては彼の苗字も名前も思い出せないのに、こうしてひどく具体的なことばかり覚えていた。少しの間、耕太はその光景を眺めたあと、逃げるようにその場を去った。

 しばらく畑に沿って道なりに進むと石橋が見えてきた。橋下では澄んだ水が細く流れ、長くのびた水草がゆらゆらと揺れている。

 小便川(しょうべんがわ)──彼らは、この川をそう呼んでいた。

 耕太は、欄干(らんかん)に手をつき手近にあった小石を拾い上げると水草をめがけて投げた。

 川面に丸い波紋が広がり、小石は水草の中に見えなくなった。いまが夏だったなら、フナやザリガニが驚いて飛び出してきたかもしれない。その姿を思い描き、彼の胸は高鳴った。

 寄りかかった欄干から体を離すと、耕太は道の先を見た。そこにあるものを、彼は覚えていた。

 看板や庇は色あせて古くなっているものの、見るに懐かしい酒屋がそこにあった。耕太は懐かしさに手を引かれるように足を向ける。

 酒屋の正面には、白い軽トラックが一台止まっていた。

 男が一人、車の脇で煙草をくゆらせていた。作業着や長靴に泥のあとが張りつき、農作業を終えたあとであることが一目に知れた。

 頭には白色のタオルを巻き、日焼けした肌がその白さを一際()えて見せた。遠目には四十を超えて見えた男も、近づけば耕太とそう変わらない年齢のようだった。

 男の方も、橋をわたって近づいてくる耕太を目の端に認めて視線をくれた。

 しかし、その眉間が不埒な捨て犬を見つけたかのように(いぶか)しげに寄せられる。すべては小さな町でのこと。見慣れぬものはすぐにそれと知れるのだろう。

 誰々さんちの何々さん──それがこの町での形なき身分証。

 男からの明らかな注目を浴びる中、耕太はできるだけ視線を店の外観に据えて歩みよった。

 そうして耕太が店の前に立ち、ガラスドアに手をかけたときだった。


「すんません。人違いだったら悪いんやけど」


 男の声がした。耕太も男を振り返る。


「もしかして、シゲちゃう?」


 男の言う「シゲ」とは、耕太が茂原の姓であったころのあだ名に違いなかった。

 驚きのあまり耕太は言葉をなくして、ただ男の顔に見入った。

 男の顔に見覚えはなかった。だが、その面影は幼い旧友のだれかの上に重ね合わせることができそうに思えてならない。


「やっぱり、シゲなん?」


 男の声が嬉しげに次第に高まっていくのがわかる。


「たしかに昔、シゲと呼ばれてましたけど」


 耕太はとまどいながらもそう答えた。


「もう覚えてないんかなあ! オレよ、コウジよ。双子の弟の方。覚えてない?」


 三秒間の逡巡。双子のコウジ。小田浩平と、小田浩二。


「ああ! コウジ!」


 耕太は合点がいくと同時に、眼前で笑う小田浩二を指さして叫んだ。


「おお、思い出した! ほんま、久しぶりやなあ。元気しよったんえ?」


 浩二がそう言ってさしだした手を、耕太は躊躇(ちゅうちょ)なくにぎった。耕太の(やわ)な手のひらとは違い、握り返すその手は皮が厚く固かった。


「見てのとおり、五体満足にやれてるよ。コウジこそ、元気そうで本当に何よりだ!」

「ほらな。元気でなっかたら畑にや出れんけん。ほんまに元気が資本よ!」


 そう言って笑う浩二は、煙草を指に挟んだまま耕太の肩を何度か叩いた。灰のかたまりが崩れながら地面に落ちていった。


「ほなけど、ほんま懐かしいなあ。こうやってシゲと会うんや何年ぶりになるんえ? たしか中学上がる前やんな、シゲおらんようなったん?」

「ああ、うん。それくらい」

「ほうかあ、もうほんなになるんかあ。ほら懐かしいはずやわなあ、ほんま」

「でも、よく僕だってわかったね。正直、僕はすぐにコウジだってわからなかった」

「ほれなあ、種明かししたらちょっと前に家の掃除しよったんよ。ほんとき、小学校の卒アルを見つけてな、ほれで懐かしいなあってちょっと見返しとったわけ」


 なるほどとうなずく耕太を見て、浩二が左の口辺を上げた。


「ほしたら、今日になって前の方から見慣れんやつが歩いて来よんを見て『あれ、こいつ最近どっかで見たな』って思ってよ。ほんで『あ、こいつ、シゲやんけ!』ってなわけや」

「それって当時からあまり成長してないってことか?」

面影(おもかげ)よ、面影。あんだけ一緒に遊んびょったんやけん、だいたいの感じわかるだろ」

「そんなものかなあ。まあ、うん、たしかにそんなもんかあ」

「ほなけど、シゲはオレのこと覚えてなかったけどな!」

「ちょっと待てよ。僕は卒アルなんて見てないんだぞ。それはフェアじゃない」

「ほうかあ? いやあ、ちゃうやろうお。シゲが友達甲斐ないやつやからやわあ。ひどいなあ」


 あけすけない浩二の物言いに、ふとお互いに顔を見合わせて笑った。


「なあ、これからすぐに帰るん?」


 足元に置いてあった空き缶を取り、煙草を押し込みながら浩二がたずねた。腕時計を見れば、乗車予定の便を遅らせれば幾分(いくぶん)時間に余裕はありそうだった。


「いや、すこしくらいなら時間あるよ」

「ほな、そこらへんに座って酒でも飲みながら話そうや」

「こんな時間から酒か?」


 耕太が眉を上げるが、対する浩二はさも当然と笑うばかり。


「何言よん。こんな時間やけん、美味いんでえ」

「でも、そこに止まってる軽トラ、コウジのじゃないの?」

「ほらあ、オレのやけど。ほれがどしたん?」

「飲酒運転になるぞ」

「ほんなんいけるわだ。オレの家すぐほこやし」浩二はあごで適当に後ろをさした。「ほれに、いざとなったら嫁呼ぶけんいけるよ」


 浩二はそう言っていたずらっこのように笑った。その口辺を上げた左の頬には、小さいけれど深く窪んだえくぼが浮かぶ。

 それは、昔から変わらない浩二の特徴だった。ごつごつと頬骨(ほおぼね)に、日中の畑仕事で肌を焼いた壮年の男には不似合いな笑い方だ。

 それでもその笑顔に出会えてこそ、耕太は二十年(らい)の旧友を自分の中に見つけられた気がした。



◇ ◇ ◇



「あらためて、二人の再会に!」

「乾杯!」


 ビールの缶を打ち合わせる音が、秋暮(あきぐ)れの閑散(かんさん)とした空気を震わせた。

 北島酒店で適当に酒を買った二人は、店を出ると少しばかり歩き、周りを田畑に囲われた吹き出物のようにこんもりと盛りあがった小さな丘に向かった。

 そのふもとにある低い鳥居をくぐり、十段ほどの石段を上がれば、石造りの簡素な(ほこら)がある。当時ここを『水神さん』と呼んでいたことを、耕太は思い出した。


「ところで、アニキの方は元気にしてるのか?」


 石段の端に腰を下ろして、耕太はビールを一口すすった。


「たぶん元気にやっとるんちゃうで。最近連絡ないけんわからんけど」


 浩二は、サラミの包装を歯でやぶり捨てながら言った。


「あれ。コウヘイってこの町に住んでないんだ?」

「あいつ大学で外に出てってから、ほのままほっちで就職したけんな」

「そっか。それでコウジが農家をついだわけだ。なんかお前たちってさ、いつも二人だったイメージがあるから、なんとなく意外な感じがする」

「ほう思われるんが嫌やけん離れたんじゃって」


 浩二は微かに眉根を寄せて口元だけで笑った。


「中学出てからはもう別々やったんぞ。オレが農業高校で、あいつが普通科の高校」

「仲悪いのか?」

「いや、ぜんぜん。口をきかんわけでもないし、一緒に酒飲みに行かんわけでもないし」

「そっか。でも、偏見かもしれないけど、双子ってもっと親密なものかと思ってた」

「双子って言うても、オレら二卵性なんやけどな」と言って、浩二はビールを飲んだ。「ほらまあ、一人っ子のシゲにはどのみちわからん感じなんやろうけど」

「たしかに」


 そう言って耕太は思案(しあん)顔でビールをすすった。その顔をどう判断すべきかわからず、浩二はズズッとビールを同じようにすする。


「でも、厳密にいえば、いまは年の離れた妹がいたりするんだけどね」

「なにほれ? 嫁さんの妹?」

「違うちがう。ぼくが中学時に母親が再婚してさ、それで生まれた子なんだ」

「あれ。ほれだったら、もしかして今ってシゲハラではないん?」

「うん、畠山。ハタヤマコウタ」

「へえ、ほなもうシゲでなくて、あだ名はハタなんやな」


 驚きをかくしもせず素直に反応を示す浩二に、耕太は小さく首を振る。


「そんな呼び方するやつ、一人もいなかったけどね」と言って耕太は笑った。「今までどおり、シゲでいいよ。むしろそっちの方が僕としてはしっくりくる」

「まあ、ほっちの方がオレとしてもしっくりくるわ」と浩二も笑い返す。「ほうかあ。ほなけど二十年も会わんかったら、やっぱりいろんなもんが変わっとるんやなあ」

「そりゃあ、この町がいいろいろ変わってしまうくらいには、僕たちだっていろいろ変ってしまうよ」


 二人の見上げる晩秋(ばんしゅう)の空は、ぼんやりとした薄い雲を散らして、うすく陰った陽光を地上に注いでいた。

 そんな空を背景に、一羽の(とび)がくるくる回る。その下で、自転車に乗ってあぜ道を走っていく二人の子供。黙々とビニールハウスを建てる老いた男女。何かに向かって吠えつづける犬の声。その声に呼応して吠え始めた犬たち。それでも、猫は平然と塀の上を歩いていく。


「住んでるもんには、あんまりその変化はわからんのやけどなあ」


 目を細めて遠くの景色を眺めつつ、浩二は二本目のビールを開けた。


「それはコウジがこの町を線で知っているからだと思うよ。僕なんかは、どうしても点でしかこの町を知らないから」

「……シゲは、あいかわらず変に小難しい言い方するよな」

「そうかな?」

「昔から何かあるたび、すぐに屁理屈こねよったし」

「それって、ぜったいに褒められてないよな」

「なんだ、すねるなよ! 我らがリーダー!」


 浩二がそう言って耕太の背を叩いたが、ちょうどビールを飲んだばかりだったため口元から黄色の液体を噴出(ふんしゅつ)させてしまう。そうして飛び散った水沫(すいまつ)は石段に点々と水玉を描いた。

 その姿に「わりい」と言いつつも浩二は声に出して笑い、耕太も(うら)めしげに旧友をにらみながらも(ぬぐ)う口元が笑っていた。


「ほれで、今さらの話やけどシゲはなんでこんな時期に帰ってきたん? 祭りの時期でもないのに」


 小さく数回の(せき)をしてから「おばあちゃんに、会いに来たんだよ」と耕太は答えた。


「ああ、ほうか。シゲハラさんのとこのバアか」


 噛んでいたするめを飲みこむ間をあけてから浩二が言葉をつないだ。


「ほんでも、最後の方は、おばちゃんもほんま大変やったと思うわ。なあ?」

「大変だった、ってどういうこと?」

「あれ、知らんのじゃ。シゲのバアな、けっこう前から痴呆(ちほう)になっとったんよ」

「痴呆って、認知症のこと?」

「おう、ほの認知症のこと。ほれでも、初めのうちは可愛らしいもんやったやけどな。会う人会う人を自分の息子やと思ってヨータヨータ言うてみたり、死んだじいさんを探して町ん中を探し回ったり」


 耕太は、中陰壇(ちゅういんだん)に置かれたトキの写真を思い出した。白黒の祖母は、柔らかく眼尻にしわを寄せた優しい笑みを孫に向けてくれた。

 その姿は記憶に見るより老けていたものの、耕太にとって生前のトキらしい笑顔に見えていた。しかし、その写真の裏でトキは変わってしまっていたという。


「ほこから、かなり痴呆がすすんでしもうたみたいでな。だいたい死ぬ一年くらい前から、ごっつい短気になって誰にでも口(わる)う悪態つくし、物は投げるし、夜中に徘徊しだすしで。ほんで、(しま)いにはおばちゃんも仕事辞めてバアの世話しだしたんよ」

「いまさらコウジに言っても仕方のないことだけど、なんでそのときおばちゃんは役場とか病院とか頼らなかったんだろう」

「さあなあ。オレやってぜんぜん詳しいことは知らんけど、バアの痴呆が悪うなり始めたころ、ちょっと病院に入れとったらしいわ。ほなけど、すぐに『うち帰りたい、うち帰りたい』ってバアが泣きながら言いだして聞かんようになったんやと」


 そのことに何を思うか、浩二は苦い顔をして酒をなめるように飲んだ。対面する耕太はじっと次の言葉を待った。


「ほれを見てもうてからおばちゃんも耐えられんようになって、通院させながらでもいいけん、家で面倒見るようにしたらしいわ。って言うても、これやってうちのバアがデイで聞いてきた話やけん、あっとるかどうかはわからんのやけどなあ」


 少しの沈黙がおりた。耕太はそこにつなぐべき言葉が見当たらなかった。その間、脳裏には叔母の疲弊(ひへい)した顔が見えていた。


「正直、あんま良い言い方ではないけど、おばちゃんにとってもバアにとっても死んでもうて良かったんちゃうんかなって、オレは思うよ。どんだけ頭が阿呆になっても、バアやって最後の最後まで自分の娘に迷惑やかけたあないだろ、ほんまのとこ」

「それは、ぼくには、何とも言えないよ」と口を開き、耕太は手の中の缶を見つめる。「ばあちゃんたちがそんな状況にいたなんて、ぼくは全然知らなかったわけだし」

「べつに、シゲが知らんかったけんて、なんも悪いわけでやないだろ? ほれに知ったところで、シゲがなんかしてやれたかっていうたら、やっぱり違うと思うぞ。こんなんは近くにおるもんの問題なんやし。ちゃうか?」

「それは、確かにそうなのかもしれない。だけど、そういうの、なんかちょっと辛いな」

「辛気臭いやつやなあ」とため息を一つ、浩二は残りのビールを一息に飲みほした。「昔のシゲやったら、いちいちほんなことに悩んだりせんかったぞ」


 その言葉にかるく言い返すこともできず、耕太は小さく「わるい」と言ったきり黙りこんだ。

 それを横目に見て、浩二はまた鼻から大きく息を吐きだすと、新しいビールの缶に手をのばす。ビール缶の開く軽快な音がしたあと、しばらく二人はビールを飲みながら漠然(ばくぜん)と町の景色に目を向けていた。


「なあ、ミサキとかサトウとか覚えとうで?」


 浩二がするめを咀嚼(そしゃく)しながら口を開いた。


「ほんと、唐突だな」


 同じようにするめに手を伸ばしながら耕太は苦笑した。


「ほんなん、黙っとうよりマシだろ。ほれで、小学校のやつらで誰か覚えとうで?」

「たしか、ミサキって言ったら、メガネかけた本好きの女の子だったよな」


 ミサキという名前を口にすると、耕太の舌は少しほろ苦い味がした。


「おお、よう覚えとんで。合っとる合っとる」と浩二は笑う。「でも、あいつ、昔はメガネかけとってガリ勉みたいなやつだったでえ。ほれが高校のときに子供できてもうてな。ほれで高校辞めて、今でや中学生の子供育てよるオカンになっとんじょ? ちょっと意外だろ」

「へえ。たしかにちょっと意外だな。でも、それって本当の話?」

「マジもマジ。いまはこっちから出ていって向こう街の方に住んどんやけど、たまにコンビニとかで会うときがあるんよ。ほれで、あいつ昼間からスウェット姿にニット帽かぶって、見るからにヤンキーあがりって感じになっとんよな。まあ、話してみたら中身自体はあんまり変わってないんやけど」


 三崎麻里──耕太は幼かった三崎の姿を思い出してみる。そして、その姿から成長するだろう容姿を想像してみることにした。

 しかし、やはりそこに現れるのは黒ぶちの眼鏡をかけて、あいかわらず生真面目そうに庭の掃き掃除をしているような、ひどく一般的な主婦然とした三崎でしかなかった。

 どう粘土をこねまわしてみたところで、話に聞くような三崎の姿は作れそうにない。


「ミサキがそんなになっているなんて、まるで想像ができないな」

「ほらあ、シゲは点やからなあ。オレみたいに線でないと想像できんよなあ」


 そう言った浩二は、得意顔で耕太の目前に親指を立てて見せた。耕太も笑いながらその手を払いのける。


「そう言えばさ」耕太は少し間をおいて口を開いた。「ユキちゃん、覚えてるか?」


 そのとき微かな戸惑いが浩二の頬を走ったように、耕太には見えた。


「ユキちゃんなあ」浩二はポケットから煙草を取り出して火をつけた。「そらあ、覚えとうけど、ユキちゃんがどしたん?」

「いや、とくに深い意味はないんだ。ただ単純に、ふと思い出しただけだから」

「シゲ、ユキちゃんと仲良かったもんなあ」


 そう言って紫煙(しえん)を空に吹き上げると、浩二は空き缶に灰を落とした。


「あの子には悪いことしとったなって、ほんまに今さらやけど思うわ」

「それは、もう仕方ないことだよ。みんな、子供だったんだから」


 耕太は(から)になった缶を置き、その場に立ちあがった。

 それを追って浩二は微かに口を開きかけたもののそこにかけられる声はなかった。

 吹きぬける風が二人の髪を撫で過ぎた。落ち葉が舞うその風は、いやに冷たかった。

 耕太は身を(ひるがえ)すと、水神を(まつ)った祠の前まで歩いた。

 財布から百円玉を取り出し、礎石(そせき)の前に置かれた小さな鉄製の賽銭(さいせん)箱にそれを落とす。二礼二拍手、彼は頭を下げた。


「シゲって、やっぱりユキちゃんのこと、好きだったん?」


 手を合わせた後ろで、浩二が町に向かってそう言った。しばらくして耕太は顔を上げた。


「……どうなんだろう。今じゃ、よくわからないな」

「……ほおか、わからんのじゃ」


 背中合わせの会話。けれど、浩二が微かに笑ったように耕太は感じた。

 右手をコートのポケットに入れ、そこにあるはずのものに触れる。ぎざぎざの鍵先。ざらざらとした錆。鍵は、確かにそこにあった。


「ユキちゃんな、こっちに帰って来とうらしい」


 不意の言葉に呼ばれ、耕太は言葉もなく後ろを振り返った。

 声の主は、彼がそこを立つ前と同様に、視線を町に据えたまま石段に座っている。その後ろ姿は子供の頃に比べ背中も肩幅も広がり、立派な大人のものだった。だが、そこには幼かった双子の旧友が一人、たしかに座っている。錆びついた鍵がポケットの中でつよく握り締められた……。


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