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2.ある夏の日の邂逅

   2


 ジイィ、ジイィ──と、さっきからアブラゼミがうるさい。

 いつもなら網戸に止まって鳴いていたって気にならないのに、今日は遠くの木で鳴いているのにすごくうるさかった。

 それでも、ぼくはもくもくと手元のコントローラをいじくりつづける。

 テレビ画面では、よろいを着た勇者が剣を使って、木に止まった二匹のコウモリをたおした。

 でも、たおしそこねた一匹がいて勇者に体当たりをした。

 自然と舌打ちがでてしまう。もし母さんが近くにいたら、「舌打ちやせられんの!」ってぜったいに怒ったはずだ。

 そのとき、玄関の方で砂利をふむような音がした。

 ぼくはコントローラをぽいっと放ってろうかに顔を出す。

 すりガラスの向こうには、だれの影も見えない。

 ため息が出た。またテレビの前に戻ってコントローラを手に取ってみたものの、画面の中ではすでに勇者がガイコツになっていた。


 [GAME OVER. TO BE COUNTINUE?]

 [▼YES / NO]


 ぼくは手にしたばかりのコントローラをまた投げ出した。

 もうゲームをやる気なんておきなかった。なんか、今日はいろいろと調子が悪いみたいだ。

 ぼくはたたみに寝転んだ。やることがまるで思いつかない。

 タオルを頭の下にしく。とりあえず手近にあったマンガをぺらぺらとめくった。先週から何度となく開いたマンガ。どこを開いても、もう見ていないコマもなければ、読んでいないセリフも見つからない。

 あいかわらず、セミはじいじいと鳴いているし、せんぷう機はぶーんぶーんと鳴いている。

 こうして待っていても、誰もやってきそうになかった。

 コウヘイとコウジは、昼から従兄弟の見送りで駅まで行くと言っていた。

 ヤマダとかオハラとか年下の男子も、外から声が聞こえてこないところをみると、もうどこかに遊びに行っているんだと思う。

 女子だったら、たぶんミサキは家にいるだろう。かといって、あいつと二人で遊びたいなんて思えない。せめてユキちゃんが………。


「コータあ、そこおるかあ?」


 庭の柵の向こうから、じいちゃんの大きな声がした。

 こんなに暑いのに、きっとあぜ道の草抜きでもしているんだと思う。そんなことしてると脳の血管がきれちゃうぞ。


「おるけど、どしたん?」


 じいちゃんの声に負けないように、ぼくも大声を出した。


「いま、何時なあ」


 なんとか後ろに顔をねじって柱時計を見ようとしたけど、時計の外側ばかり見えて針の先が見えない。しかたなく体を起して時計をふり返る。


「えっとなあ、三時ちょっとまえ」

「ほおかあ、もうほんなじかんかあ」


 しゃべっているときに口元の汗でも拭いたのか、じいちゃんの声が途中でくぐもった。


「ほなけんど、お前も家でゲームばっかりしよらんと外で遊んできいや」

「ほなって、みんな出て行っておらんのに」

「夏休みなんやけん、ほこらへんにおるわ。探してみい」

「ほんなん言うても、おらんもんはおらんのじゃって」

「見てもないのにおるかどうか、わからんやろ。ほれとも、じいちゃんの手伝いやってくれるかあ」

「ほんなん、暑いだけやし。ぜったい嫌」

「ほれだったら、外で遊んできいや」


 これ以上なにを言っても意味がない。ノレンにうで押し、ヌカにクギ、たぶんそんな感じ。だから、ぼくはもう何も言わない。


「ほんまでよ。ゲームばっかりせんと、外に行ってきないだ」


 台所にいたはずのばあちゃんが、いつのまにかこっちの部屋にやってきていた。

 じいちゃん軍のライフル射撃に、ばあちゃん軍の歩兵隊が加わった。

 このままじゃはさみ打ちにあってしまう。二人がかりなんて大人はきたない。


「ついでに、じいちゃんのところにこれ持って行ったげて」


 そう言ったばあちゃんはぼくにオロナミンCを二本わたそうとした。


「あかんよ。遊びに行くんやけん、ばあちゃんがわたしといてだ」


 ぼくは起き上がるのと同時に茶色の小びんを一本取って、すぐに玄関の方に走った。これがセンリャクテキテッタイというやつだ。

 家の外に出たけど、やっぱり暑かった。

 さっき飲んだばかりのオロナミンCがそのまま汗に出てくるんじゃないかっていうぐらいに暑い。

 自転車にまたがって家を飛び出したのはいいものの、どこも行くあてがなかった。

 アミもサオも持たず手ぶらで出てきたのが失敗だった。

 ぼくは、しばらくだらだらと走った。

 北島酒店が見えた。とりあえず店の前のゴミ箱に空きびんを捨てよう。

 でも、ちょうど橋の上まで来たところで、もしかするとコウヘイたちが帰ってきているんじゃないか、と思った。これは悪くない思いつきだ。

 ぼくは、手に持っていた空きびんを川に向かって投げ捨てて自転車をUターンさせる。

 ドポンという音を合図に、ぼくは自転車を一気にこぎ出した。

 自転車はこげばこぐほど風が通りすぎて気持ち良かった。

 けれど、頑張ってこいだ分だけ止まったときに暑くなるのは間違いない。

 かといって、少しでも早く日の当たらない場所に入りたい。

 そうだ。これがジレンマだ、ジレンマってやつなんだ!

 ぼくの頭の中では「ジレンマ」という言葉が意味もなく楽しげにおどった。やっぱり、暑かった。

 コウヘイたちの家に着いた。マッチ箱を重ねたみたいに四角い鉄筋造りの大きな家だ。

 ぼくは自転車をブロック塀の脇に止めて、そこによじ登ると庭をのぞきこんだ。

 車庫には白い軽トラックしかなくて、おじさんの黄色い車がなかった。

 やっぱりコウヘイたちは帰っていないみたいだ。


「コウヘイやは、まだ帰っとらんでよお」


 軽トラックと壁のすき間からコウヘイんちのばあちゃんが顔を出して叫んだ。


「ほんなん、見たらわかるよ!」


 ぼくも同じくらいの大きさで叫び返してから、急いで塀から飛び降りると自転車にまたがった。

 そこに長くいることが恥ずかしく思えて、必死になってペダルをふみこんだ。

 息が上がってきた。コウヘイの家が見えなくなってから止まってみると、Tシャツが背中にくっついて気持ち悪かった。

 体中から汗がにじみ出た。頭の上でにかにか笑う太陽も、木の下でしわしわ鳴くセミも、もうどうしようもないくらい夏だった。

 ぼくは、また当てもなく自転車をこぎ出した。なるべく誰かがいそうなところを走ってみた。

 お墓山の見える道を通ってサトウの家の前、森バアのだがし屋の前、しょうべん川の横の道、サカちゃんの家の前、お地蔵池をぐるっと回っておんぼろ住宅地の中、水神さんの前、さっきとは反対のしょうべん川の横の道、あとはみかん畑に向かう山道──こうやって走り回ってみても、遊ぶ子なんてだれも見つからなかった。

 ほら見ろ、じいちゃん。やっぱり誰もいないじゃないか。走り回るだけムダだったんだ。今日は何もかもうまくいかない日なんだ。

 もう家に帰ろう、そう思ったとき、おいなりさんの鳥居の前に真っ黒な自転車を見つけた。

 それは、ユキちゃんの見なれた自転車だった。なぜか心臓がドクンと鳴った。

 けれど、鳥居の下にユキちゃんはいなかった。

 ぼくは鳥居のそばに自転車を止めて、そのまま一段とばしに石段をかけ上がった。

 頭の上は木の枝が広がってうす暗かった。

 風がちょっと吹くだけで枝が揺れて、太陽の光がちらちらと影の中をのぞきこんでくる。それはまるでプールの底を走っているみたいな、ちょっと不思議な感じがした。

 ぼくは最後に残った二段を、思いきりまたを開いてとびこえた。

 うす暗いプールの底から飛び出したから、太陽の光がすごくまぶしかった。

 目を細めて見ると、神社の前にユキちゃんを見つけた。

 ユキちゃんは、おさいせん箱の置かれた階段の下をのぞきこんでいた。

 あいかわらずセミがジイジイしわしわ鳴いているのに、なぜか神社のなかは静かに思えた。

 それにくらべてぼくの息はハアハアとうるさい。

 ぼくはぐっと息をこらえてユキちゃんの方に歩きだした。

 キツネの石像くらいまで行ったとき、ユキちゃんが顔を上げてぼくを見つけた。

 そのとき、今は夏だっていうのにユキちゃんの顔がこおったように見えた。だから、ぼくの足もその顔を見てこおってしまった。


「どしたん? なにしよん?」


 ぼくの口が勝手に動いていた。


「コータこそ、どしたん?」


 ユキちゃんの声は固かった。まるで石を投げつけるみたいな声。


「べつに遊んびょうだけ」

「ひとりで?」

「ほなって、だれもおらんのやけん仕方ないでえ」


 だって、それは本当のことなんだ。


「ほんなん言うたら、ユキちゃんやってひとりでなにしよんえ?」

「べつに、なんもしよらんよ」


 そう言いながらも、ユキちゃんは何かをかくすように右手をポケットの中につっこんだ。


「うそやし。なんかズボンに入れたでえ」

「うそちゃうし。ほんまに何もしよらんかったし」

「うそやし。ぜったい、うそやし」


 ぼくはユキちゃんの方にまた歩き出した。

 ぼくは目を手の甲でこすった。まゆ毛から落ちた汗が目にしみた。

 神社からにょきっと伸びていた真っ黒な影にぼくの右足が入った。ユキちゃんが一歩後ろに下がった。


「コータ、わたしとや遊んびょったら、怒られるんじょ。知っとんえ?」

「ほんなん、怒られたって別にいいし」


 ぼくは、ユキちゃんの近くまで行ってかくしている右手をじっと見つめる。ぜんぜん手を出す気はないみたいだった。


「ほれより、ほんまに何しよったん? 落ちとるおさいせんでも探っしょったん?」

「ほんなん、探っしょれへんよ!」


 ユキちゃんが叫んだ。すごく大きな声だった。


「ご、ごめんだ」


 怒るのが突然すぎて、ぼくはすごくおどろいた。


「ほんなに怒るんだったら、ほんまになにをしよったん? だれにも言わんし、教えてだ。なあ?」


 ユキちゃんの大きな目が細くなって、射的の景品をにらむみたいにじいとぼくを見た。

 それは怒っているような、でもなにか怖がっているような、ちょっとよくわからない顔だった。

 大きな目の横にある小さなホクロも、なんだかぼくをにらんでいるみたいだった。

 でも、ユキちゃんは何も言わなかった。

 神社の柱に止まったセミがジイジイと鳴きはじめた。

 心の中で今だけはもっともっと鳴きわめけと思った。静かなのよりはよっぽどましだ。

 ぼくがもうだまっていることにたえられそうになくなったとき、ユキちゃんがようやく口を開けてくれた。


「ほんまに、だれにも言わんといてくれる?」


 でもユキちゃんの声は小さい。


「うん、ぜったいにだれにも言わんし」


 だからぼくは大きな声ですぐに答える。

 でも、またユキちゃんは少し考えるみたいな顔をして目をそらした。右手がポケットの中でもぞもぞと動いた。しばらくして、ユキちゃんはぼくの方を向くとポケットから右手をさっと出した。


「これ。これのかくし場所、探っしょっただけ」


 ユキちゃんの手にのっていたは、ふつうのカギだった。

 まだ少しきらきらした部分が残っているような、ちょっと新しそうなカギ。それに緑色のプレートみたいなのが付いてる。でも、べつに他のカギと何も変わらない、本当にふつうのカギ。


「なにこれ? 何のカギなん?」

「わたしも、ほんまはようわからん」


 ユキちゃんはちょっと恥ずかしそうな困り顔を見せた。


「でもな、すごい大切なもんなんよ。ほれだけは知っとう。ほなけん、コータはこういう大切なもんかくすんに良い場所とか知らんで?」

「ほな、ここはなんであかんの?」


 そう言って、ぼくはさっきユキちゃんがのぞいていた階段の下を指さした。


「ここ、やっぱりいつ壊れるかわからんし、あかんかなって」

「うそお。ここやって神様がおる場所なんやし、ほんな簡単に壊されたりせんよ」

「ちがうよ。もし誰かに壊されんだって、いつか、ずっと先になったらこの神社やってすごい古うなって壊れてしまうかもしれんだろ?」


 そう言われて、ぼくは神社のいろいろなところを見てみた。

 ユキちゃんの言うとおり、たしかに床板も、土台も、柱も、階段も、おさいせん箱も、みんながみんな古くさくてぼろぼろに見えた。きっとムカデやシロアリだって木の中にいると思う。

 もしかしたら学校のみんなでせえので押したら、ぺしゃんこにたおれてしまうかもしれない。


「ほれだったら、どういうところが良いん?」

「ううん、ほうやなあ。やっぱりずうと長い間ここにあって、これを守ってくれるところが良いと思う」


 ぼくはそんな場所があったかどうか考えてみた。

 でも、いくら頭のなかで町中をぐるぐる回ってみてもそれらしい場所は見つからない。どこも見たことがないくらい走り回っているはずなのに。何か、すごくくやしい。


「どっかある?」


 そう言ってユキちゃんはトントントンとスキップするみたいに木の階段を上がると、床板のはしっこに座った。


「あかん。ぜんぜん、思いつかん!」


 ぼくは頭を使うことをやめて首をふった。


「ほうなんよなあ、なかなかほんな場所ってないんよなあ」


 ユキちゃんがため息をつく。


「ほなけど、こうやって考えよったって見つからんのやし、今から二人で探してみようだ」

「ほれは、いいよ。わたしとやおったら、コータが怒られてしまうし」

「ほなけん、ほんなんは良いんじゃって」


 ぼくはちょっとムッとした。


「なんでほんなこと言うんえ。オレが良いっていよんやけん、ほれで良いでえ」

「ほんまに言よん?」


 やっぱり、こんな後ろ向きなのはユキちゃんらしくない。


「ほなけん、ほんまにほんまじゃって。うそやつかんし」


 今までのユキちゃんは、こんなにびくびくなんてしていなかった。本当は男の子なんじゃないかって思うくらい元気な子なんだ。

 ミミズやカエルを捕まえるのだって平気だし、シイとかケヤキの木にだってすいすいと登れる。

 ユキちゃんが笑ったら、なんかヒマワリがぱっと咲いたみたいに明るくなった。

 そうだ、きっとユキちゃんはぼくたちにとってのヒマワリだった。

 それなのに、おじちゃんのせいでそのヒマワリはからされてしまった……。


「行くんだったら、早う行こうだ」


 ぼくはユキちゃんに手をさし出した。ユキちゃんはちらちらとぼくの顔とぼくの手を交互に二回ずつ見たあと、ぼくの手をぎゅっとにぎった。二人とも手がじっとり汗ばんでいた。


「うん。ほな、いっしょに行こう」


 ユキちゃんが笑った。久しぶりにユキちゃんの笑ったところを見た。だから、ちょっとどきりとした。

 ユキちゃんは立ち上がると手を握ったまま走り出した。

 ぼくもそれに引かれるみたいに走り出す。そのとき、ユキちゃんの声が聞こえたような気がした。


 ──ありがとう。


 その言葉は、お母さんにほめられたときなんかより、ずっとずっとほこらしかった。


 ──ユキちゃんは、ぼくの友達だ。


 ぼくは、心の中でそう叫んだ。



   ◆ ◆ ◆



 そのあと、ぼくとユキちゃんは自転車に乗って町中を走り回った。

 学校の裏庭の倉庫。非常階段の裏。寄合所の横の木の下。お地蔵池の周りのお地蔵さんの後ろ。水神さんの近くとか後ろ。段々畑の中のもう使われてない井戸の割れ目……。

 けれど、その日ユキちゃんがこれだと思うような場所は見つからなかった。

 夏休みも、残りあと少しだった──。


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