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子を宿すということ



「アリーチャ様、お話しくださったこと、本当にありがとうございます。それから、……ニコラウス様、どうかわたくしにイグニスという国のことを教えてくださいませ」



向かい合ったニコラウスにそう言うと、言われたニコラウスがふと目を丸めて、それから少し視線を彷徨わせた。


「……イグニスのことか。あまり良い話は出来ないが、ジュリエッタは何故知りたいと思うんだ?」


そう問う視線が、どこか哀しげで。温泉のような観光地を有する国の民としては、その表情はあまりにも暗い。


「それに国の成り立ちくらいは知っているだろ?フィレーネ王国の民ならば、教育はしっかり行き届いているはずだ」


たしかにニコラウスの言う通り、知識としては、ある。


本に書かれてあったイグニス王国の成り立ちは、元々その地に暮らしていた人間が火山を特別なものとして信仰し、いついかなる時も共に在り続けたことにあった。

そうしていつしか噴火によって隆起した土地を拓き、人が増えるごとに火山信仰は次第に薄れていったが、温泉のある観光地ではその恩恵は今でも続いている、とか。


思い出しながら私が一つ頷くと、ニコラウスがすぐに眉を寄せた。


「俺はこの国に来るまで、尊い精霊という存在を知らなかったような人間だ。イグニスは決して教育熱心な国では無い。……そんな俺に、何を聞きたい?」

「全てです。わたくしは、ニコラウス様がイグニス王国で産まれてから見たこと、考えたこと。……その全てが知りたいのです」


出来れば話したくはないというような空気に、押し負けんとまっすぐにニコラウスを見つめる。

やがて、見つめられたニコラウスがぎゅっと目を閉じた。


「……参ったな。俺はそういう芯のある美しい人には弱いんだ。」


一つ溜息を吐いて、少し暗い目をしたニコラウスがアリーチャの手を握った。


「わかった。アリーチャに似た芯の強さを信じて話そう。……俺の知っているイグニス王国は、はっきり言ってしまえばつまらない国だ。民は王によって歌や芸術などあらゆる娯楽を禁じられ、働くことで初めて人間として認められる。ある程度の齢で働くまでは、そもそも国民という概念が無いのだ」


それはどういうことかと問う前に、ニコラウスがアリーチャを見つめて笑う。


「だからこそ俺は、国同士の友好を結ぶ際に父上に連れられて来たこの地で、未知の歌を歌うアリーチャの、その美しさに心奪われた。」

「ふふ、懐かしいねえ」

「……もしかして、ニコラウス様はそれからずっとこの地に?」

「ああ。……あの頃のアリーチャにはしつこく名を聞いても、そう簡単に教えるものではない、とすげなく振られてしまったからな。その後もずっとイグニスから通い続け、手違いで行き倒れそうになった山道で無理矢理切った野菜を口にしたところを、アリーチャに助けられたのだ。」


あの時は本当に死ぬかと思った、とニコラウスが豪快に笑った。


……わ、笑い事じゃない。本当に、運良く調理出来て良かった。危うく一国の王子を死の淵に落とすところだった。


私がごくりと喉を鳴らすと、ハッとした様子のニコラウスがお茶を飲んで座り直した。


「話が逸れたな、すまん。……俺の思うイグニスは、働いてさえいれば生きるには困らないが、自由や娯楽を望めば淘汰される国、なのだ。しかし、本当に自由が無いかと言えば、そうでもない。民を逐一監視する王は王城のある街から出ることはほとんどなく、皆勉強と称して王の目をかいくぐり、このフィレーネの地へ旅をするのだ。」

「なるほど……」


それはリーヴァの街で聞いた観光客らしき人たちの話と相違なく、ともすればやはり王こそが膿なのだろうか。


「何よりこの国で見る同胞のなんと美しいことか。俺に美しさや愛を教えてくれたのはアリーチャだが、真に人間として生きることを教えてくれたのはこの国そのものだ。……叶うことなら俺も、最初からこの国に産まれたかった」

「それは、……その違いは、一体何なのでしょうね」


ぽつりと呟いた私の疑問に、おもむろにシルヴィオを見たニコラウスがうーんと唸った。


「やはり国を統べる者の人柄だとは思うが。……イグニスにおける王の振る舞いは独裁的な上、人によって思う年齢が違うのだ。」

「なに、思う年齢が違う?」

「ええ、少なくとも端領地の三男として産まれた私が見た時分から、ヴァルデマール王の見た目は何一つ変わっていないのです。……そういえばいつからか王の側には必ず目を閉ざした男が立っているが、あの男も見た目が変わらないな。それに果たしてあれで側近が務まっているのか、……いや、すまん。これは要らない話だったな。」


ヴァルデマール王に関しては俺よりアリーチャの方が詳しいはずだ、と話を振られたアリーチャが、不意に肩を竦めて見せた。


「ま、長生きはしてるからね。そうさねえ。……アタシが知ってることと言えば。昔はイグニスにも歌や芸術に溢れた豊かな時代があったことくらいか……それも、あの男が狂うまでの話だけれど」


そう言ってお茶を飲むアリーチャに、シルヴィオが少し身を乗り出した。


「狂うまで、というのは?」

「……奴にも最愛の妃ってのが居たのさ。流行病で喪って、それを助けられなかった精霊にずっと八つ当たりをして生き続けている。お門違いにもね。……そして、奴はいつしか悲しみという感情をも失った。今のヴァルデマールは人間の欲望の権化だ。自分を頂点として国があると錯覚し、溺れている。民がなければある筈のない頂点を自分の力だと過信して。」


そこでふう、と一つ溜息を吐いたアリーチャが、自分のお腹に手をあてて少し顔を歪めた。


「ここからがもっと狂ってるんだけど、……奴は最愛だったはずの妃も忘れて、欲望のままに妾を抱えて手を付けるのさ。そうして女に子供ができても、その子供は王を戴く自分の邪魔になる。……どうすると思う?」


苦しそうに顔を歪めたアリーチャの問いに、私は思わず息を呑んだ。

アルヴェツィオから聞いた話から考えれば、その答えは明白だ。


「……どうすると、いうのです」


私と同じく、横で息を呑んだシルヴィオが本当に恐る恐るといった様子で口を開いた。


「人知れずその女を闇に葬るのさ。……もちろん、腹に宿した自分の子供と一緒にね」


その答えはとうにわかっていた。わかってはいたけれど、私は思わず言葉を失ってしまった。


子供を宿すというのはそう簡単なことではない、筈だ。

いくつもの巡り合わせと奇跡のような確率で訪れたその出会いを、感謝もなく自分の勝手で自分の欲望のままに無かったことにするなど。

……許せない。人として、許して良いことでは、決してない。

父と母のぬくもりを知る分だけ、私の心が悲鳴をあげる。


まさしくそれは、人の皮を被った化け物だと。


訪れた静寂の中で、気遣うようにアリーチャの肩を抱いたニコラウスが静かに口を開く。


「……な、聞かない方が良い話だっただろう。」

「いいえ、……いいえ。わたくしは聞けて良かったです」


話してくれて本当にありがとうございますと感謝を伝えると、ニコラウスがくしゃりと顔を歪めた。


「ジュリエッタは全く不思議な人だな。……こういったことが風の噂で伝わってか、最初は誰しもイグニス人というだけで少し遠巻きにするものなんだが」

「そんな、だって悪いのは、」

「ああいや、違うんだ。慣れれば皆、この国の民は優しい。誰だって知らないものは怖いものだし、気にしてはいないさ。……むしろ意外なのは貴女だよ。ジュリエッタ」

「……わたくし、ですか」

「おうとも。貴女は俺を何人とも、まして大汗をかいているのも何も気にせず、当然のようにハンカチを差し出してくれた。王子のメイドであればこそ、俺の目には不思議に映った」


しまった、あの振る舞いはおかしなことだったのか。と、内心でひどく後悔する私を他所に、アリーチャのお腹を撫でたニコラウスがなんとも幸せそうに笑った。


「是非私たちの息子の嫁に欲しいくらいだ。ねえ、アリーチャ。」

「まだ産まれてもいないのに何を言ってるんだい。……それにこの人は、目の前にいる王子様のお嫁さんだよ、ニコル」

「……え!?」

「……へ!?」


耳に届いた言葉に私とニコラウスの驚きの声が被って、お互いの視線が行き交う。

隣のシルヴィオも目を見開いて固まっているようだった。


「ご、ご懐妊を!?そうとは気付かず、」

「王子様のお嫁さんってどういうことだ!?王子様はシルヴィオ様でシルヴィオ様は王子様で!?」


わあっと混乱したまま話し出す私とニコラウスを見て、アリーチャが笑いながら手を振って止めた。


「一度に話すんじゃないよ、全く。」

「も、申し訳ございません……」

「……ニコラウスも混乱してるし、まずはアタシの話からしようか。」


この世界に来て以来、精霊と人間の間に子供が産まれるという話はたくさん聞いたことはあるけれど、実際に出会ったのはこれが初めてだ。


「アタシのお腹には今、ニコラウスとの子供がいる。人間も精霊も出産は命がけってのは同じだけど、……精霊であるアタシが子を産めばその力の半分ほどを失ってしまう。だけど、」

「そんな、どうして」


思わず漏れた言葉で続きを遮ってしまった私に、アリーチャが柔らかく頰を緩めた。


「それはその力を子供が継ぐからさ。たしかにアタシは今まで好きに生きて、長い寿命に任せて一人で最期を迎えられれば良いと思ってた。……けれどニコラウスに会って、それは嫌だなと思ってしまったのよ。アタシはもう随分長いこと生きたし、この力を次の世代に託せることは幸せなことだと思うんだ。そうすれば、この子と、ニコラウスと共に老いることが出来るしね。……だから今の私でこそ、イグニスの王がしてきたことは理解出来ないし、したくもない。」


そう強く言い切って、アリーチャが金色の目を伏せた。


「フィレーネから聞いたよ。……ヴァルデマールに捕らわれた精霊達を救うんだって?その時にはきっと、アタシも、アタシの出来る範囲で協力するからね」

「はい。……アリーチャさんが協力してくれるのは、心強いです。でも」


お腹をそっと押さえたアリーチャを見て、私はふっと頰を緩めた。


「その子にとってのお母さんはアリーチャさんだけです、どうかどんな時も、ご自分の体を一番に考えてくださいませ」

「……そう、だね。この子の為を思えばこそ、か」


少しの間私を意外そうに見つめて、それからアリーチャが笑って頷いた。


「さ、夜更かしは体にさわります、アリーチャ様。何分経験不足で、すぐにご懐妊だと気付かなくて申し訳ありません。どうぞ体を温かくしてお休みくださいませ!」


アリーチャとすっかり呆けたニコラウスに一礼をして、扉の外へ促す。


「はは、そうしてると本当のメイドみたいだね。……ありがとうございます、花姫様。聞きたいことは十分に聞けましたか?」


促されるまま立ち上がったアリーチャが、少し悪戯っぽく笑った。

その顔に一つ頷いて、私は深々とおじぎをした。


「……はい、ありがとうございました。おかげで、わたくしの指針がきちっと定まりました。」

「そうかい。それは良うございました。……ではそろそろ失礼するとしようかね。行くよ、ニコル」


声をかけられたニコラウスが慌てて立ち上がり、アリーチャに寄り添うようにして扉へ向かった。


そんな二人の背中を見ながら、ふと考える。


いつからか人として狂ってしまったヴァルデマール王と、今尚権力に狂うアドリエンヌ。


人々の生活の積み重ねである、国を巻き込んだ混乱の種は、もう大分育ってしまっている気がする。


……互い違いに掛け違った釦を正すのは、今からでもまだ間に合うだろうか。


共に二人を見送るシルヴィオの横顔を見て、私はそっと目を伏せた。


「……そうだ、ジュリエッタ。時には気ままに旅することも大事だが、海の上じゃ指針が狂えば命取りだからね。……きっと、見失わないように気をつけるんだよ。」


振り返ったアリーチャが真面目な顔でそう言って、それからひらりと手を振って部屋を出た。

シルヴィオと共に扉が閉まるまで見送ると、閉まった扉の外から再びニコラウスの混乱する声が聞こえてくる。


それが少しおかしくなって笑うと、横に立つシルヴィオもまた同じように笑っていた。


「アリーチャ様も少し人が悪いな。あなたのことを、まさかあんなタイミングで告げるとは」

「ふふ、そうですね。……さ、シルヴィオ様もお疲れでしょう。急ぎ就寝の準備をいたしますね。お付き合いいただいて、ありがとう……!?」


そうして動き出そうとした私は、不意にシルヴィオに抱きしめられた。

思わず身構えた私の耳元で、シルヴィオが小さく呟く。


「少し、こうさせてくれ」



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