生没年不詳の花姫
「……フィルと、同い年……?」
ぽろっと溢れた私の感想に、アリーチャが堪らずと言った様子で吹き出した。
「ふは!同い年ときたか。質問攻めになるのは覚悟してたけど、フィレーネともちゃんと知り合ってるなら、話が早くて助かるねえ。」
笑いながらお茶を傾けて、それからアリーチャがニッと勝気に笑った。
「そうさ、アタシは精霊で、その名をアックア。ニコルと婚姻を結んでからは人の名を名乗ってるけどね。……ところでフィレーネが花の精霊様だとか呼ばれてるのは知ってるかい?」
そういえばロベルトもブルーナもフィルのことを確かにそう呼んでいた気がする。
私が記憶を頼りに頷くと、アリーチャも満足げに頷いた。
「ご存知の通り、フィレーネが花を司るプリマヴェーラの眷属だとすれば、アタシは命の水を司るイヴェールの眷属ってやつなのさ。」
今の今まで、花の、とわざわざ名を付けるのを不思議に思ってはいたけれど。……そうか、四季の精霊が在るように、フィルの他にも名を付けられた精霊達がいるってことなのか。
今一度、夢で見た小人以外にもたくさんの精霊達が生きて時を重ねるのがこの世界の当たり前なのだと思うと、そのファンタジー具合に思わず胸が高鳴ってしまう。
本当に、これが夢じゃないのかと疑わしくなるほどに。
「なるほど、それで……ちなみにその、眷属、というのは?」
「ああ、眷属ってのは所謂家族みたいなもんだよ。気が付いた時には共にいて、よくこの世界のことを教わったものさ。……まあ、ややこしい力を持つ精霊が、本当の意味で生きやすい場所なんてそうは無かったけどね。」
そう言って肩を竦めたアリーチャが、だからアタシ達は旅に出たのさ、と小さく付け足してお茶を飲む。
「フィレーネも途中までは一緒だったんだけど、すぐそこの海域で出会った女の子に夢中になって、長い旅を終えたのさ。アタシはそのあともしばらく海を楽しんで、飽きた頃合いに未知の山を拓こうと思ってね。そうしたらちょうど、フィレーネが国を造るっていうもんだから、その国というでっかい船に乗らせてもらったのさ。」
そう言って笑うアリーチャに、横に座ったニコラウスがうんうんと力強く頷いた。
「やはり花の精霊様が俺たちの縁を結んでくれたのだな」
「そいつは言い過ぎかもしれないけどねえ。あの時のフィレーネはあの子に夢中だったし。……ま、アタシはそんな経緯でこの山を拓いたのよ。アタシ達精霊と同じように、平和を願った人間たちと暮らすのは楽しくってさ。気が付いたらずうっとここに居たってわけ。」
まあ言った通り海での生活も長かったし、あながち女海賊って表現は間違いじゃないかもね、とアリーチャが楽しそうに笑った。
フィルと共に世界を旅して、そうして、この地に住むようになったのだとすれば。
「……それじゃあひょっとして、フィルと同じように、歴代の花姫様もご存知なのでしょうか」
「ああ、もちろん。水害が起こりそうな時には当時の花姫様と力を合わせもしたし、何より知識が素晴らしかったねえ。この世界には無かったものを積極的に取り入れてくれる子ばかりだったよ。……初めの花姫様以外は、誰かに呼ばれたと言っていたのが不思議だったけど」
……誰かに、呼ばれた……?
不意にどくん、と心臓が跳ねるのを感じて、私はふと首を傾げた。
そういえば私は、どうやってこの世界に来たのだっけ。
ちっとも思い出せないのに、思い出そうとする程、どくどくと血が脈打つのがわかる。
一旦心を落ち着けようと、私はニコラウスの淹れてくれたお茶を口に含んだ。
……苦い。
でも、ほんの少しだけ甘さも感じる。鼻を抜ける香ばしさと程よいバランスの苦味は、紛れもなく私の知っている珈琲と同じだ。
その苦味が少し、ざわめく私の心を落ち着かせてくれるような気がした。
「そうだ、初めの花姫様といえば、あの子は大層良いものを教えてくれたよ。たしか、それは歌だって言ってたけど、……決められた枠組みの中で、景色や情景、想いを言葉にするだなんて素敵だよねえ。」
「なんだ、俺がアリーチャに心を奪われた時の話か?」
「違うよ、たしかにお前は私の歌を聞いたけど、彼女の歌はまた違うのさ」
……歌。確かにフィルも以前同じようなことを言っていたっけ。
そういえば私がこの世界で目覚める直前にも、一種の歌のようなものを聞いた気が、する。
「それは、……それはどんな歌なのでしょうか」
「ええと、そうだねえ……たしか、こんな歌だ。……色見えで、うつろうものは世の中の……人の心の花にぞありける」
その歌を聞いて、私は思わず目を見開いた。
アリーチャの口から丁寧に紡がれるそれを、私は知っている。
それは、生没年こそ不詳とされているが、たしかに平安時代を生きた、小野小町の和歌だ。
その衝撃に、どくどくと私の血が脈打つ。
そうだ、そうだった。私の苗字は小野で、その親近感で彼女の歌を研究する授業を選択した。
そしてこの世界に来る前に居た場所は大学で、ちょうどその授業中だった、筈だ。
……あの時、聞こえた歌は、どんな歌だったっけ。
「……ジュリエッタ?何か、思い当たることでもあったのか?」
ぼうっとする私の視界を、やけに心配そうな顔のシルヴィオが覗き込んできた。
「あ、いえ、その……」
ハッと我に返って、もやもやした考えを振り払う。
例え生没年不詳とはいえ、生きた時代の違う小野小町が私のご先祖様なんて、いやいやそんなまさか。
初代花姫様はきっと、単に和歌が好きな人だったのだ。
……例え、フィルの模った姿が和装であれ。例え、離れの空間が和風であれ。
でも、たしかに、私は今の今まで花姫様の名前を聞いたことがない。
……アリーチャなら知っているだろうか。
「ん?なんだい?」
私の視線に応えるように、アリーチャが首を傾げた。
……ええい、ままよ。
私は好奇心と怖いもの見たさで口を開く。
「……初代の花姫様のお名前は、ご存知ですか?」
「うん?名前、名前ね……本名という感じはしなかったけど、コマツィオーノといってたかねえ」
まるで精霊と同じように名を隠しているみたいだったよ、と呟いたアリーチャの言葉で全て合点がいった。
コマツィオーノ。コマチ、オノ。
今でこそ有名な小野小町はそれが正しい名ではないと伝わっているし、その詳細ははっきりとわからないことが多い。
私がそんな彼女に強く惹かれたのは、その名前の親近感だけじゃなかったんだ。
彼女には夢の事柄を描いた和歌が多く残っているし、彼女もまた、世界を渡ったのだとしたら。
「……ジュリエッタ?」
私を呼ぶシルヴィオの瞳を見て、強く思う。
世界を超えて連綿と続いてきた時が、その記憶が、きっと今に繋がっている。
古くからあるご先祖様という考えや、地に根付く歴史を習うたびに、全てのことや全ての人の想いが今に繋がっているのだと知識ではわかっていたけれど。
いざ知ってしまった、私の体に流れる血の壮大さには、そっと息を呑んで。
やらなければならないことがあると元の世界に帰った彼女は、一体どんな想いを抱いていたのだろうか。
それをこの身に流れる血が教えてくれるわけではないけれど、きっと、続いてきたことそのものに意味があるはずだ。
……だと、すれば。
曲がりなりにも未来を託された私はやはり、これから築かれていく歴史にきちんと責任を持たなくちゃいけない。
……その為には。
「アリーチャ様、お話しくださったこと、本当にありがとうございます。それから、……ニコラウス様、どうかわたくしにイグニスという国のことを教えてくださいませ」