失った意識とはじめての食材
「……まあ、いいさ。ひとまず今は、仕事中なんだものね。シルヴィオ様が眠られた後にでも女同士でたっぷり話すとしよう」
シルヴィオに口を挟ませることもなく、勝気に笑って場をまとめたアリーチャが自分の馬車へ乗り込み、それを先導として私たちの乗った馬車も屋敷への道を辿った。
緩やかな坂道を大分登ったけれど、やはり街からは結構な距離がある。ニコラウスはこれを走ってきたのかと思うと、ひたすらその体力に驚かされる。
景色を眺めながらちらりとシルヴィオを見ると、シルヴィオもまた同じように窓の外を眺めていた。
「……」
遠くを見るシルヴィオの綺麗な横顔からは何の色も伺えず、私は何故だか少し不安になった。
きっと今までならば、いつもの難しい顔で私に注意をしたりするところだと思う。
……それが、何も言わないのだ。
いま、一体何を考えているのだろう。
シルヴィオの内情を思うと同時に、ふとモンターニャの街へ来る前に話していた夢のことを思い出した。
あれがもし、もしもただの夢でなく、昔本当にあったことだとしたら。
それはひょっとすると、幼い頃からシルヴィオが想ってくれていたのは私という一人の人間という事になるのだろうか。伝承の花姫様という、架空の、想像の姿ではなく。
夢は覚めた時点から時間が経つほどその大半を忘れてしまうものだけれど、私は何故か幼い銀髪の男の子の涙を鮮明に覚えている。……小さく、温かな手のぬくもりも。
私の夢だと思っていた世界で、最初に私の手を取った人が、幼い夢で手を取り合った王子様。……って、そんなお伽話みたいなことありえる?
いやそんなまさかとシルヴィオの顔を眺めて自問自答していると、山間の光を受けてきらきらと輝くビー玉みたいな瞳が、不意にこちらを向いた。
「……どうした?」
そうして、シルヴィオがあまりにも優しく微笑むものだから、ぎゅぎゅっと私の胸が締め付けられてしまった。
……これは、もしかして、もしかしてしまうのだろうか。
産まれてこの方、少女漫画や映画の世界に憧れて胸を高鳴らせることはいくらでもあった。
素敵な世界に、素敵なヒーロー。心揺さぶる展開に、想いが通じ合った時のなんとも言えない高揚感。
不思議な世界で出会って一日目にして婚姻を申し込まれ、たった一日なのにシルヴィオの言う想いがどうとか恋がどうとか、私には答えの出せなさそうな悩みを抱えていた、はず、なのに。
プリンチペッサの街でシルヴィオが男たちに何かされたのではと焦って理性を飛ばしたり、私を私として心配してくれたシルヴィオを好きだと思ったり、リータと親しそうなことにチクリと胸が痛んだり。
……何より、シルヴィオの笑顔を見る度にいろんな感情が湧いてしまう。
嬉しかったり、寂しかったり、安心感だったり、……胸の、高鳴りだったり。
この、胸の高鳴りってやつは。
「……あの、シルヴィオ様」
優しい顔に思わず呼びかけてしまって、そして、無意識に呼びかけてしまった事に焦る。
咄嗟に手で口元を覆った私を見て、シルヴィオが訝しげに眉を寄せた。
「どこか具合でも悪いのか?……待て、ジュリ、それはだめだ!」
口を塞いだ私の手を、やけに焦った様子のシルヴィオが掴んで離させる。
何故私でなくシルヴィオがそんなに焦っているのかと、はくはくする口で言葉を紡ごうとしても、中々言葉に出来ない。
……息が苦しい。
どうして、こんなにも苦しいのだろう。
……これが、もしかすると恋というものなのだろうか。
ぐるぐると渦巻く感情と共に、私の視界も回り始めた。
あれ?なんだろう、この感じは、と私が疑問に思うと同時に、体に感じていた馬車の揺れが止まった。
そして、それと時を同じくして私の意識は完全に失われてしまった。
「……なに、そんなに心配することはないよ。初めてこの街を訪れる人間にはよくあることさね」
どれくらい時間が経ったのか、暗闇の中で、女の人の声がする。
「アリーチャ様、お手数をおかけしました。私がきちんと教えていなかったばかりに……」
「ま、目が覚めればきっとスッキリしていますよ。今日はゆっくり休ませるといい。……シルヴィオ様もね。部屋のものは好きに使って頂戴な。」
そうして、女の人が立ち去る気配がする。
扉が閉まった音の後で、温かな手がゆっくりと私の頭を撫でた。
「ジュリ……」
その心地よさに身を任せ、しばらくしてからやっとのことで瞼を持ち上げると、私を覗き込む心配そうな青の瞳と目が合った。
どうやら、私はベットに寝かされているらしい。
「気分はどうだ?」
「……わ、わたくしは一体……」
ハッとして起き上がろうとした私の肩を押さえて、シルヴィオが怒ったような顔をした。
「無理に起き上がるな、また意識を失うぞ。……体が慣れないまま、空気の薄い山で口を塞ぐとそうなってしまうのだ。しっかり伝えておけば良かったな。私の失態だ」
そういえばたしかに、本にもそんなことが書いてあったような気がする。高い山は精霊も人間も関係なく、等しくその恩恵と厳しさを与えるだろう、とか。
すまない、と謝るシルヴィオへ首を振って、今度はゆっくりと起き上がる。
「いえ、申し訳ございませんでした。アリーチャ様にも気遣わせてしまうなど、メイドとしてあるまじき……あれ?」
はたと自分の服装を見ると、ふんわりとした着心地の良いドレスのようなものを着ていて、何気なく触った頭にも頭巾が無い。
「……わたくしの、お仕着せは?それに、これはどなたが……」
さっと青ざめて混乱する私に、ゆっくりと諭すようにシルヴィオが説明してくれた。
馬車の中で倒れた私をシルヴィオが運び、アリーチャが手ずから準備したこの部屋で診てくれたこと、そしてその際に着替えさせてくれたのもアリーチャだった。
「……ということは、もうアリーチャ様は」
「ああ。花姫様だとわかっている。」
静かに頷くシルヴィオに、理解の追いつかない私は必死に瞬きを繰り返す。
アリーチャが私が花姫様だとわかったってことは、それをニコラウスにも伝えて、そうしたら私は警戒をされて……いや、むしろ私が警戒をしないといけないのか?
アリーチャと一緒に居るニコラウスは決して悪い人とは思えなかったけれど。でも、花姫様だとわかったら、どうなってしまうんだろう。
「そ、それじゃあ……ニコラウス様にはもうお話は聞けないということでしょうか」
しゅんとしてそう尋ねた私に、シルヴィオがしばらく考えてから首を振った。
「……いや、アリーチャ様のことだから大丈夫だろう。ジュリエッタの体調が良ければあちらに話を通しておくが、どうする?」
アリーチャ様のことだから大丈夫とはどういう意味だろうかと思いつつ、そう問われれば、私は頷くより他にない。
「よしわかった、今は夕食が終わった頃合いだろうから……少し話をしてくる。」
ジュリエッタは着替えて待っていてくれ、と付け足したシルヴィオが立ち去った後で、私はすぐにお仕着せへと着替えた。
夕食が終わった頃、ということは私は数時間眠ってしまっていたのだろうか。
たしかに、起きてすぐだというのに空腹を感じる。
ずっと心地良いぬくもりが傍にあったから、きっとシルヴィオも夕食は食べていないのだろう。
知らない屋敷を歩き回るのも気が引けて、何か無いかとくるりと部屋を見回すと、まるでアパートの一室のように備え付けられたキッチンが見えた。
近くの棚にはいくつかの食材と乾燥麺の袋も見える。
そこに置かれていた食材はその大きさ自体は初めて見るけれど、形は私の知っている野菜とよく似ていた。
「……好きに使って良いって言ってた気がするし、少し失礼して、と」
そのまま引き出しや戸の中を手探りで探せば、調理に必要な器具や調味料もそれなりに見つかった。
うん、これだけあれば大丈夫かな。
「……いっちょ、やってみますか」




