王子様のお迎え
「ええ、わたくしの方こそ。時間も惜しいので、……敢えて、厳しく指導させていただきますわよ」
その言葉通り、ブルーナの指導はスパルタだった。
「ジュリア様、如何なる食器を置くときも決して音を立ててはなりません!」
食器を置く仕草から、主人の側で立つ姿、挨拶の仕方まで、ただの淑女のそれとは訳が違う。
「ジュリア様、もっとゆっくりと、丁寧に観察なさいませ!」
すぐ側で仕え、よく周りを観察し、引き立てて、主人のしたいことやその客人の行動まで逐一先回りをしなければならない。
「その姿勢はなんですか!それではメイドではなく、ただの貴族のご令嬢ですよ!」
漫画や映画で見るのと、実際に動くのとではほんとうに全然違った。
連日筋肉痛になるかと思うくらいずっと姿勢や居住まいを正す日々で、ブルーナの及第点が貰えたのは、シルヴィオが迎えに来る予定の日の前日だった。
「ジュリア様、よくぞここまで付いて来てくださいましたわ。……以前にも思っておりましたが、素晴らしく目覚ましい成長でございます。その成長振りはまさしく精霊に愛された花姫様であればこそ、ですがジュリア様の向上心が無ければ精霊は応えてはくれません。……本当によく、努力なされました」
うんうん、と頷くブルーナの顔にはもう鬼のメイド長といった熱意の名残はなく、ただただいつものように優しく笑っていた。
ふと、ブルーナの言葉でフィルとの夢で会った小人の姿が思い出された。あの子達が人知れず応援してくれているのだと思うと、なんだかとっても微笑ましい。
「ブルーナ、お世話になりました。……わたくし、明日はしっかりとシルヴィオ様に仕えて見せますわ」
そう意気込んで、私はブルーナに手伝ってもらいながらドレスに着替えた。
花姫とメイドの意識の切り替えは、衣装が変わるからか結構やりやすい。
それにしてもよく詰め込んだ数日だったな、と思いながらブルーナに暇を告げて、交代したリータの淹れてくれたお茶を飲む。
……シルヴィオはいま、どうしてるかな。
ちゃんと無事でいるだろうか。……ちゃんと、ご飯を食べているだろうか。
何気なく見上げた空には、どんよりとした雲が覆っていて。けれどその隙間から、少しの晴れ間が見える気がした。
「……そういえば、リータ。フィレーネ紙の評判はどうですか?」
「ええ、それはもう大変好評で、他国からも販売を待ち望む声でいっぱいでございます!」
そう言って本当に嬉しそうに笑うリータに、紙の用意を頼むことにした。きっともう少しの間なら雨は降らないはずだ。
この国を背負って頑張る人たちの為に、少しでも助けとなるものを作っておきたい。
……あとは、何かこう上質でいらない布があればなあ。
嬉々として衛兵に指示を出すリータを横目に、ティーカップをそっと置く。
するりと指に触れる白いテーブルクロスはいつだって清潔で心地いい。
……ん?白いテーブルクロス?
それに、疑うべくもない上質な布地。
……これだ。
私は、いらないテーブルクロスを知っている。
「リータ、例のテーブルクロスも用意して頂戴」
「……な、なんのことでございましょう?」
「わたくし、あの布がどうしても必要なのです」
リータのことですから、大事に取っておいてくれたのでしょう?と微笑んで問うと、観念した様子のリータがテーブルクロスを持って来てくれた。
「ありがとう、リータ。……ディ・スタンプ!」
ああ、というリータの嘆きが漏れ聞こえたが、それはそっと聞かなかったことにして、真っ白になった布とたくさんの紙と共に私は再び庭へと立った。
一面の白に染まった庭を、集まってくれた人たちが喜色ばんだ顔で見つめている。
あの時と同じように感謝の意を述べて、あの時と違って此処には居ないシルヴィオの姿を思い浮かべる。
きっと、シルヴィオも今、自分の仕事を頑張っていることだろう。
……帰ってきたら、びっくりするかな。
ふふっと緩む頰にまかせて、私は青い光を放った。
ぐんぐんと緑に染まっていく紙に、人々から次々に歓声が上がる。
ちらりと確認しただけだが、布も問題なく染まっていそうだ。
青い光の粒が全てに降り注ぐと、同時に吹いた強い風が雲を払って、あっという間に透き通った青空が顔を出した。
「ヴェルーノの訪れだあ!」
風で舞い上がる紙をわあっと楽しそうに集めながら、人々の笑いと喜びに満ちた声が裏門に木霊していた。
……シルヴィオも、この空をどこかで見ているのだろうか。
なんだか初めてこの国でシルヴィオと出会った時のことが思い出されて、きゅうっと胸が締め付けられる。
……ああ、早く会いたいなあ。
ブルーナが教えてくれた成果も、仕上がったフィレーネ紙も、……この布も。
驚いて、そしてまた笑ってくれるだろうか。
フィレーネ紙を保管する場所の指示を終えたリータと共に部屋へと戻った私は、家庭科の時間ぶりに針を取った。
「……ジュリア様、その、大丈夫でございますか……?」
「ええ、大丈夫です。気が散るからリータは少し離れていて頂戴」
決して得意ではないけれど、縫い方くらいは覚えている。……これは、これだけは私の手で縫わなければ意味がないのだ。
ブルーナがそうしてくれたように、ひと針に想いを込めて。
その合間で食事もお風呂も終えて、明かりを灯したベッドの上で集中して全てを仕上げた頃には、もうとっぷりと夜が更けていた。
疲れに任せて深い眠りに沈むと、翌朝はブルーナの慌てた声で起こされた。
「ジュリア様、先程シルヴィオ様がお戻りになったとのことでございますわ。リータがまだ眠っているうちに、さ、お早く。」
ブルーナが用意してくれた簡単な朝食を手早く口に運んで、もう慣れた手付きでお仕着せへの着替えを終えた。
縫い上げた布も忘れず自分の荷物に詰め込んで、私は迅る気持ちを抑えてブルーナと共にシルヴィオの部屋へと向かった。
……そういえば、シルヴィオの部屋に入るのはこれが初めてだ。
というより、男の人の部屋に入るのなんてそれこそ人生初だ。
ドキドキする内心を表情には出さないように気をつけて、扉が開くのを待った。
「……失礼いたします、シルヴィオ様」