それぞれの準備、とあるメイドの場合
ーーああ、今日も今日とてわたくしはメイド。
本日もまた、エドアルド様は懲りもせず。
この前あの方へ送った手紙の返事を得られぬまま、花姫様のお部屋の前には衛兵が立つようになりました。
ええ、きっとその反動もあるのでしょう。
またも名も知らぬ女性を求めて、王様のお部屋を訪ねようとした時のことでした。
不意にエドアルド様の歩みが止まり、そのお体が衝撃に震えたのは。
「……何故、貴女が……その男と」
エドアルド様の視線の先には、楽しげな例の女性と、親しげに頰を触らせる第二王子シルヴィオ様の姿がありました。
なんと、名も知らぬ女性の後ろには花姫様までいらっしゃいます。
……一体どういう状況なのでしょうか。
婚約者が他の女性に気を許しているところを見ても、花姫様に動じた様子はありません。
……わたくしだったら、あのような状況は堪えられませんけれど。
エドアルド様もそう思われたのでしょう、あの方に言われた通り、花姫様を手に入れる為の算段を始めたようでした。
わたくしはただのメイドですもの。静かに、大人しく見守るといたしましょう。
エドアルド様に向かって淡々と告げる女性は、今までになく冷たい目をしていました。
ーーああ、可哀想なエドアルド様。
すげなく誘いを断られることはあっても、このように人々の面前で振られてしまうなど。
ふと、花姫様が笑ったような気がいたしました。
目の前で婚約者に触れられても動じず、よりによってエドアルド様が女性に振られたところで笑うなどと。
花姫様は、何を考えていらっしゃるのでしょうか。
ーーわたくしには、理解できる気がいたしません。
急にあのように寄り添って、まるで女性と親しげだったことなど最初から無かったことのように。
……けれど、花姫様と幸せそうに寄り添ったシルヴィオ様。あのお二人を見た時の、この、身の内から焼かれるような感覚はなんなのでしょう。
ーー羨ましい?
「ぐ……いくぞ、エミリア!」
エドアルド様に名を呼ばれて、わたくしは我に返りました。
先を行くエドアルド様はろくに挨拶もなさいません。余程、衝撃だったのでしょう。
代わりにわたくしが礼をして、ふと花姫様がどんな顔をしているのかが気になりました。
目が合った花姫様は、とても気遣わしげな目で、まるであの人と共に在ることが可哀想だと言わんばかりの……。
いけません、仕事をしなくては。
かっと熱くなる心に蓋をして、わたくしはエドアルド様を追いかけます。
ーーわたくしはメイド、メイドですもの。
お部屋に戻ったエドアルド様はしばらくお風呂に篭られて、そうしてようやく落ち着いたようでした。
「エミリア、これを母上に」
エドアルド様からは力無く一通の封筒を託されました。
たしかあの方は今お部屋にいらっしゃるはずです。
わたくしがあの方のお部屋の扉を叩くと、メイドを介して中に入るよう促されました。
エドアルド様と同じ金色の髪が揺れて、赤い瞳がわたくしを捉えます。
「アドリエンヌ様、エドアルド様より預かってまいりました。お手紙でございます」
アドリエンヌ様は無言でわたくしの持つ手紙を受け取って、そうして赤くなった顔がわたくしを睨みつけました。
「姫が手に入らない、だなんて今更のことをわたくしに知らせてどういうつもりです!?」
普段、メイドに声をかけることなど滅多にしないアドリエンヌ様が、まっすぐにわたくしへ向けて問われました。
どう答えたものかわからず、わたくしは困りました。
そのまま黙っていると、不意にアドリエンヌ様が蝋燭の火に手紙を傾けました。
以前の手紙も、こうして燃やされてしまったのでしょうか。
自分の手で書いた手紙は、それこそ想いといっても過言ではありません。
それを、アドリエンヌ様は。
「……ほんとう、役に立たない子供だわ」
燃える手紙を見ながらやがて吐き捨てるようにそう言って、アドリエンヌ様がわたくしに下がるよう言い付けました。
「出来ない出来ないばかりで……わたくしからどうしてあんな子が産まれてきてしまったのかしら」
立ち去ろうとした背中に聞こえた言葉に我慢ならず、わたくしは思わずエドアルド様が苦労するに至った、ここまでの経緯を話してしまいました。
ーーわたくしは、ただのメイドだというのに。
蓋をした心から、どんどんと想いが溢れてくるようでした。
話を聞くアドリエンヌ様が、まじまじとわたくしを眺めます。
「……お前、名は?」
「エミリア、と申します」
「そう、エミリア」
わたくしの言ったことは何一つ響いていないのか、冷たい表情のアドリエンヌ様がこちらへ歩み寄ってきました。
まったくもって出過ぎた真似をしてしまいました。
……もしかすると、わたくしはこの場で罷免されてしまうかもしれません。
そうなればエドアルド様の側でお仕えすることは、もう……。
「エミリア、貴女。あの愚かしい子供に恋い焦がれているのね」
「……え?」
わたくしを舐め回すように見て、アドリエンヌ様の赤い目が笑いに歪みました。
「良い髪色だわ。……それに瞳も。ねーえ、エミリア。貴女、エドアルドの特別になりたくはない?」
「……特別、というのは……」
「それだけの想いを抱いたまま、メイドなんかじゃ満足出来ないでしょう?……貴女が花姫に成り代わって、あの子の妃になるというのはどうかしら」
アドリエンヌ様の甘い囁きにどくん、とわたくしの心臓が跳ねました。
それは、それは幼い頃から夢見た、エドアルド様の隣に立つということ。
数歩後ろではなく、隣に……。
「でもどう、やって……」
ーーああ、いけません、わたくしは。
「貴女の髪色なら、黒に近付けることなど容易いわ。わたくしの知る方法ならば。……痛みは少々伴いますけれど、ね」
ーーいけませんよ、エミリア。
「貴女が花姫に成り代われば、あの子の地位だって不動のものになるのよ。……エミリア、貴女の意思一つで最愛の人の役に立てるの」
「……役に、立てる……」
「そうよ、エミリア。そうなればあの子のことを皆が評価するに違いないわ」
ーーそれは、それだけは。
「……アドリエンヌ様も、エドアルド様をきちんと評価してくださいますか?」
ーーどうして、わたくしはこんなことを。
にんまりと歪められた顔が、大きく頷いた。
「ええ、それはもう。間違いなくてよ、エミリア。」
ーーわたくしは、わたくしはただのメイド。
だった、のに。
「……エドアルド様のお役に、立てるのなら」
「良い子ねエミリア。あなたの義母になる身として誇らしいわ」
わたくしは思わずぎゅうっと胸元を握りしめます。
この、身の震えは。
エドアルド様のお役に立てる喜びなのか、それとも。
「さあ、エミリア。メイドとしての貴女とはさよならよ。……共にイグニスへ参りましょう?」
ーーああ、エドアルド様。
貴方のメイドとして、突然居なくなる無礼を、お許しください。