出立の準備
「はい。……はい?私と一泊、とは?」
……え?一泊って、泊まるってことだよね?
頭に浮かぶいっぱいの疑問符が、私の思考を邪魔していた。
そのまま考えることをやめ、ただただ首を傾げた私にシルヴィオが言い足した。
「折角の変わった装いも、城に居てはすぐにわかってしまうだろう?……だから前日には街の宿に泊まって、プリンチペッサの民として新しい花嫁と花婿の列に並ぶ予定だったのだ」
「なるほど……なる、ほど……?」
たしかに祝祭当日のお城に居れば、どこからか花姫と第二王子であるという情報が漏れてしまうかもしれない。
そうなってしまえば本末転倒だ。
うん。合理的ではある、あるけれど。
私とシルヴィオ様が花嫁と花婿として街の宿に泊まるって、しかもその前日から一緒というのは……なんと言うか、それはいわゆる新婚旅行、というやつになるのではないだろうか。旅行では無いけど、きっといくつかの領地には行くはずだし。
……ん?待てよ、新、婚、旅、行?
シンコンリョコウ、ってことは。
「ま、まさかお部屋は……シルヴィオ様と、一緒……なんてことないですよねえ?」
ははは、と笑った私を見てシルヴィオが少し困った様子で眉尻を下げた。
「……同じ、でなければおかしいだろう?……と、母上が」
そう言ったシルヴィオの顔が、ほんのり赤い。……赤い。
翌日婚姻を結ぶ花嫁と花婿が、街の宿で一泊する新婚旅行……。
言葉のイメージでポンと浮かんだ光景が、映画なんかで目にするようなあまりにラブでスイートなもので、私は慌ててその思考を振り払った。
いやいや、そんな、まさか。
一般的なものがどうあれ、私とシルヴィオ様の婚約は表向きの約束って言われたもの。
……シルヴィオ様に限って、そんな。
でもでも少女漫画では男はみんな狼だって言ってたし、ああでも、でもほんとは狼は一途で素敵なんだけどね!?
ぐるぐるした思考に捉われて悶々とする私を見かねたのか、シルヴィオが軽い咳払いをした。
「ジュリ。……案ずるな、街に点在する宿の中でも一番広い部屋を押さえた。同じ部屋とはいえ、お互いの寝室は別だ」
「そ、そうでしたか」
よかったと内心で安堵して、まだ跳ねている心臓がほんのちょっとだけナターシャを恨む。……お門違いかもしれないけれど。
「……話が逸れた。本題に戻ろう。」
「はい……」
一つ頷いてお茶を飲んだシルヴィオの顔は、もういつもの顔色に戻っていた。
そうしてシルヴィオが説明してくれた祝祭当日の流れは、こうだ。
まず変装した私たちが花嫁と花婿の列に並んで、通例通りみんなのお祝いをした後に決まりごとの周知が始まる。
周知が終わったところでその決まりごとは花姫様が宣言したものであることと、正式に第二王子との婚約が決まったことが発表される。
そして列から出た私たちが舞台に立ち、シルヴィオと私の挨拶で祝祭の式典が終わる、というものであった。
「その式典の終わりと共に、私たちはすぐに城へ引き返す……という流れだ。ここまでは大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。……そういえば、式典の進行にシルヴィオ様は居なくても大丈夫なんですか?」
頭を整理しながら何気なく浮かんだ問いに、シルヴィオが頷いた。
「ああ。式典自体は母上が進行を務めることになっている。本来は国王の仕事だが……父上がどうなるか、まだわからないからな」
「なるほど……。」
アルヴェツィオは、回復には時間がかかると言っていたし、今度の祝祭にはやはり間に合わないのだろうか。
「……では次に副題だな。私は数日で複数の領地を回る予定だ。前々日にしても明確な迎えの時間はわからないので、ジュリはいつでも出られるよう準備をしておいてくれ。ブルーナには私から言っておく」
「わかりました。」
頷いて、それからちょっと想像する。
たった一日とはいえ、メイドとして振る舞うだなんて言ったらブルーナは怒りそうな気がする。きっと、リータはそれ以上だ。
「……あの、リータには」
「リータには……そうだな、メイドのことは決して知らせず、祝祭当日の準備に働いてもらおう」
私と同じ気持ちなのか、難しい顔をして言われたシルヴィオの言葉に安堵すると、不意に部屋の扉が叩かれた。
「シルヴィオ様、そろそろご出立の準備をされる予定のお時間でございます」
扉の外から聞こえるロベルトの声がそう告げると、シルヴィオが小さな溜息を吐いた。
「もうそんな時間か。」
「……そんなにすぐ、行くんですね」
言ってみてチクリと胸が痛んだこの気持ちは、果たして単純な寂しさからくるものなのかがわからなくて首を傾げる。
「……ジュリ、そんな顔をせずともすぐに会える」
そんな顔?……そんな顔って、どんな顔?
そっと手で頰を覆う私をよそに、フィレーネレーヴを解除して部屋の片付けを頼んだシルヴィオがくるりと私へ向き直った。
「ジュリア様、行って参ります。」
「ええ、お気をつけて……」
そのままにこりと笑って部屋を後にしようとしたシルヴィオに、私は思わず立ち上がって声をかけた。
「シルヴィオ、様!」
「……はい?」
「あの、」
何を言うべきか逡巡して、咄嗟に思い付いた言葉を投げる。
「わたくしが居なくても、しっかり、ご飯は食べてくださいませね!」
私の言葉にきょとん、と目を丸めて、それからシルヴィオが楽しそうに笑った。
「はい。では、また」