王のお気に入りの娘
「ジュリア様、ひとつ言い忘れていた。……私の息子を、よろしく頼む。」
その響きがあんまりにも優しくて、ナターシャに頼まれた時のこともふと思い出す。
……これは間違いなく父母公認というやつでは。
そう思い至った私がアルヴェツィオを振り返りかけたところで、目前の扉が開かれた。
「……シルヴィオ様」
扉のすぐ外にはシルヴィオが、胸に手をあてる礼をして立っていた。その表情はまだ、硬い。
「失礼いたします。花姫様をお迎えに参上いたしました」
「ルヴィ、そう急がずともあなたの花姫様には何事もありませんよ」
私がお礼を言うより早く、横からひょっこり顔を出したフィルがシルヴィオを少しだけからかうように笑った。
「……いえ、別段そのような心配をしていたわけでは」
「嘘おっしゃい、顔に書いてありますよ。私の花姫様に一体何を話した、と」
そう言って笑うフィルがシルヴィオの頰をつついたタイミングで、不意に廊下から驚きの声が響いてきた。
「……何故、貴女が……その男と」
言いながら震える声の持ち主が、ゆっくりとフィルを指差す。
その正体を知る為に私が一歩踏み出すと、そこに立っていたのは。
「……兄上」
一人のメイドと共に立つ、エドアルドだった。
「アル……」
廊下に佇んで悲痛な顔をしたエドアルドを見て、フィルがなんとも厄介そうな顔をした。
そのまま視線だけでアルヴェツィオに合図を送ってから、後ろ手に部屋の扉を閉める。
瞬間、悲しげなエドアルドがまくし立てるように口を開いた。
「……な、花姫とやらだけでなく、その方まで手中に入れんとするか愚弟め……!まさか、お前があの父と同じことをしようとはな。幼い頃から未だ見ぬ花姫一筋だなどと宣っておきながら……反吐が出る。」
どうしてこんなに感情的になれるのか、というくらい激昂した様子のエドアルドが、シルヴィオと私を交互に睨み付けた。
そうして一つ深呼吸をしたかと思うと、取り繕ったように私に向けて笑う。
「花姫とやら。他の女にうつつを抜かすような……その男に、もう用はないであろう?さあ、私の元に来るが良い。」
「アル、何を言うのです。この二人は……」
食に飢えた獣というより、愛に飢えた獣のような目で私に手を伸ばすエドアルドの視線を、すっとフィルが遮った。
「アル。」
「……貴女にも、がっかりだ。父であれ弟であれ……結局、権力を持つ者であれば誰でも良かったのだろう……その上私をも魅了するなど。上手く隠したな夢性の女め」
エドアルドの声に滲む怒りが、まるで何かの呪いのようにも聞こえる。
それに動じる様子もなく、冷静なフィルの声がぴしゃりと告げた。
「慎みなさい。貴方の方にこそ、がっかりです。とうに婚約のお知らせを配った二人を前にしてそのような口ばかり。……このような場所で話すというのも、その程度が知れます。心に決めた人の在る私が、最初から権力や、まして貴方などに靡くわけもないでしょう」
……え?もしかして、もしかしてだけど。
エドアルドの欲している、王のお気に入りの娘っていうのは、もしかして、初代花姫様の姿を模したフィルのこと……!?
たしか、最初にシルヴィオの言っていたこの国の問題は、王様が病に臥せっていることと、その王様のお気に入りの娘を我が物にしたい第一王子との確執じゃ無かったっけ。
なんともこんがらがった王家事情に少しずつ込み上げてくる笑いを、唇を噛んで堪える。
やっぱり全部、ちゃんと話し合うべきだ。
「……待て。いま、婚約の知らせと言ったか……?」
……あれ?どうしてエドアルドは驚いているのだろう。
例の計画がアドリエンヌの発案のものであるなら、その息子であるエドアルドが知らないなんてことがあるのだろうか。
アーブラハムはお知らせを持って姿を消したし、あの計画の一員であるなら、お知らせを渡されない筈が無い。
私が一人首を傾げていると、私の横に立つシルヴィオが狼狽えるエドアルドへ向き直った。
「ええ、兄上。兄上が何を勘違いされているのか私にはよくわからないのですが、私は幼少より心に決めていた通り、今度の祝祭で正式に婚約発表を行うのです。……私の花姫様と」
シルヴィオが最後に敢えてゆっくり言い足して、優しく肩を抱き寄せられる。
視線で促されて、私も笑顔で頷いた。
「楽しみですわね、シルヴィオ様。わたくしヴェルーノの祝祭まで待ちきれませんわ」
「ふふ。気の早い人だ……もう、すぐそこですからね」
まさしく、いちゃつき度100パーセントといった感じで見せ付けると、エドアルドがじりじりと後退していくのが見えた。
「ぐ……いくぞ、エミリア!」
何を言うでも無く立ち去ろうとするエドアルドに対して、付き従っているエミリアと呼ばれた女性は、こちらを見て深い礼をした。
あの人、苦労してるんだろうなあ。なんて思っている間に、揺れる暗い色の髪が持ち上げられる。
そうして、少し鋭い視線が私を捉えた気がした。
その視線を不思議に思うより早く、すいっと目を逸らした女性が足早にエドアルドの背中を追いかけていった。……一体、なんだったんだろう。
「……では、参りましょうか」
にこりと笑うシルヴィオに頷いてフィルと別れ、来た道を引き返す。
お互いに話したいことがたくさんあるような、そわそわするような感覚で部屋への道を急いだ。
途中で会ったロベルトに簡単な昼食と談話室を用意してもらい、人払いといくつかのフィレーネレーヴを済ませたシルヴィオが、ソファーに腰掛けるなりすぐに口を開く。
「さあ、父上と何を話したか聞かせてくれ」