誓いの言葉
「ジュリア様、申し訳ありません。……ひとまず部屋の中へ」
ロベルトに促されるまま中へと入れば、縁取りの装飾が美しいソファーとテーブルが並んでいた。その脇には花の模様が印象的なティーポットとカップが用意されている。
「どうぞこちらへ、」
私をゆっくりと誘導してから、反対のソファーへ腰掛ける。向かい合って見たシルヴィオの服装は青いアクセントの入った、少し砕けた印象のある衣装に変わっていた。
かっちりとした白の衣装より親しみが持てるけれど、今はなんだか物理的なこの距離そのものが心許ない。
ロベルトがお茶を淹れ終わるのを待って、シルヴィオが口を開く。
「……ロベルト、人払いを」
「かしこまりました。私は隣室で控えておりますので、何かありましたらお呼びください。」
一礼をしてロベルトが部屋を出ると、扉が閉まった後でその周囲が青く光る。
少しすると同じように消えはしたが、ブルーナが使っていたフィレーネレーヴよりもずっと強い光だった。
「あれも、フィレーネレーヴですか?」
「ああ。あの光は密談用の……いわば遮音の力だ」
シルヴィオがどことなくぎこちない様子で、カップを傾けながら教えてくれる。
「便利な力ですねえ……あの、」
「うん?」
「フィレーネレーヴには、戦う力もあるんでしょうか」
少し迷いながら問いかけた言葉と共に膝の上で重ねていた手をぎゅっと握る。が、それでも誤魔化しきれない震えが僅かにドレスを揺らしていた。
「……無いと言えば嘘になる。ジュリ、君を守りきれず、すまなかった」
「いいえ!」
膝に手をついて頭を垂れたシルヴィオが、まるで自分のことのような苦しげな声で謝る。
苦しそうな声が不思議と私の胸を締め付けて、そのちくりとした痛みを振り払うように咄嗟に首を振った。
「……いいえ、シルヴィオ様は何も悪くないじゃないですか……謝らないでください、ね」
「しかし、」
テーブルを挟んだ距離が嫌にもどかしい。シルヴィオの膝についた爪の先は白く、その手に込められた力を緩めるには遠過ぎた。
「全く気にしてないだなんて言ったら嘘ですけど……でも、シルヴィオ様は助けに来てくれました。私の知ってる王子様みたいでしたよ!」
そう言って笑ってみせるも、さっと頭を上げたシルヴィオの顔はやけに難しそうなものになっていた。
「……ジュリ。君の世界にも王子がいたのか」
「あ、ああ……ええと、場所によっては……」
「ふむ。」
難しい顔を崩さず再びカップを傾けるシルヴィオを眺めながら、私も用意されたお茶を口にしてみる。華やかな香りが鼻を抜けて、自然と溜息が漏れた。
「……その、ジュリが知っている王子というのはどのような男……なの、でしょうか」
カップを持ったままちらりとこちらを見る視線がなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまう。
最初に出会った時にはあんなにも流暢だったのに、ぎこちなく付け加えられた敬語が更に可笑しい。
肩を震わせて笑う私に、至って真剣な様子でカップを置いたシルヴィオが目を伏せる。
「そのように笑う程良い男なのか、」
「ふふ、いいえ。……私の知ってる王子は物語に登場する王子だけなので、シルヴィオ様が私の初めてのリアル王子様ですよ」
「リアル王子?」
「本当の、本物の王子様ってことです」
そんな話をしているうちに、いつの間にか手の震えはピタリと止まっていた。
「本物の、王子……」
ぽつりと呟いたシルヴィオが俯きがちに両手を見つめて、その瞳がやがてどこか遠くを見るような目に変わる。
「シルヴィオ様?」
「ジュリ……私は、弱い男です。」
「え……?」
危うげに揺らぐ雰囲気にシルヴィオの名を呼ぶと、ぽろっと小さな呟きが漏れた。
「あなたを待つことでしか、花姫様の到来を幼い頃より、ずっと待ち望むことでしか……。この国を、民を背負う覚悟など、出来なかった。」
シルヴィオの口から並べられていく言葉は弱々しく、街の人たちの前で見た王子らしい姿とはあまりにも掛け離れていた。
「母以外の女にうつつを抜かす父と衝突をすることも、権力を振りかざす兄と王位を争うこともなく。……ただ、私は待っていたのだ。」
やがて、ぐっとシルヴィオの手が握りしめられて不安に揺れる、探るような青の瞳が、私を捉えた。
「あなたを。」
言葉を探す私へ真っ直ぐに届けられた言葉に、心臓がドキリと跳ねる。
「……ジュリ。あなたでなければ。……私の弱い心を、王足り得る者として勇ましく変える力など、あなたの他には誰も持ってはいないのだ。」
「だから、あの時……」
シルヴィオが馬車の中で言いかけて私が口説き文句と一蹴した言葉が思い出された。
言葉通り、あれは本当に口説き文句ではなかったのだと思い至って、殊更何も言えず口をつぐむ。
「もしも、幼い私の望みが叶い、フィレーネ王国に花姫様が訪れた時には、必ず私のものにしようと考えていた。それが和を願った者の道理だと。……しかし、」
「しかし……?」
区切られた言葉に首を傾げると、シルヴィオは罰が悪そうに一瞬だけ視線を逸らした。
「それではあの兄と同じだと、先程気付いた。」
「……シルヴィオ様……」
「私は、私を本物の王子と称してくれたあなたに報いたい。……もう、遅いかも知れないが。」
あんなにも綺麗だった瞳が自嘲の言葉に陰り、何故だか心臓が嫌な音を鳴らす。
問うより早く、ソファーから立ち上がったシルヴィオがテーブルを寄せて私の前に片膝をついた。俯いたその顔からは表情が読めない。
「叶うならば。……私は、私自身の思い描く王子として精進し、やがては真に強い王と成り、この国の民の笑顔を守る事を、花姫様であるあなたに誓います。」
凛とした声と、心なしか小さく震える肩が私の胸を締め付けた。
この人の声を聞くだけで、奮い立たせる想いを感じるだけで、どうしてこんなにも苦しいのだろう。
そっと自分の胸元に手をあてて問うも、目ぼしい答えは見つからない。
体勢を変えぬまま深く息を吸ったシルヴィオが、私に向けて片腕を伸ばした。
「……ジュリ、私は一人の男として、あらゆる困難からあなたを守ることをここに誓いたい。……どうか、あなたを守ることを許してくださいますか?」
最初の出逢いから考えれば、どこまでも私個人の意思を尊重した問いだった。
けれど、なんだかちょっと気に食わない。
あれほど有無を言わせない状況で結婚を迫っておいて、有無を言わせず私の胸を高鳴らせた時間もあって。
いざかしこまって問われた内容が、守るだけとは。
まだまだ思考はぐるぐるしているけれど、深呼吸を一つして、返事を決めた。
私の行動を待つシルヴィオへ、豪速球よろしく振りかぶってとっておきの言葉を投げる。
「いいえ。」
「……え、今何と」
「いいえ。と言いました。シルヴィオ様。私、守られるだけは嫌です。」
淡々と述べる私に殊の外驚いた様子で顔を上げたシルヴィオと目が合う。
驚きすぎてポーズも固まったままだ。
「シルヴィオ様は王様になって、この国を守るんでしょう。ということは、私がこの国にいる限りはわざわざ誓わなくても守ってくれますよね?」
「あ、ああ……しかし私が言いたいのはそういうことでなく、」
「シルヴィオ様。困難とは守り抜いて耐えるものではなく、共に力を合わせ乗り越えるものです。私を守りたいと言うのなら、私にも戦う術を教えてください。……教えてくれると言うのなら、私は迷わずこの手を取りましょう。」
鍛えてるんでしょ?と試す口調で付け足しながら、にこりとシルヴィオの王子スマイルを真似て笑う。
我ながら今日一番の上出来の笑顔だと思う。たいへんよくできましたのスタンプものだ。
「……あなたという人は、ほんとうに……」
私の笑顔を見るなり眩しそうに目を細めて、シルヴィオが笑う。
「なんです?」
「いいえ。……私は誓いましょう。この国を守り抜き、必ずや花姫様と共に困難を乗り越えると。その為に、あなたと肩を並べることを許し、私にその力をお貸しください。私の、本物の花姫様。」
「ふふ、喜んで!」
笑い合いながら差し出されたシルヴィオの手にハイタッチするような勢いで自分の手を重ねた途端、二人の手の隙間からフィレーネレーヴの青い光が溢れた。
「これは……!?」
その光はじんわりと暖かく、やがてお互いの手に吸い込まれるようにして消えていく。
「……私も詠唱のないフィレーネレーヴは初めて見たが、」
「こ、これは私にもフィレーネレーヴが使えたってことですよね!?ね!?」
「……おそらくは」
食い気味に言葉を重ねる私に、シルヴィオが少し引いている気がする。
だってしょうがないじゃない、魔法だよ?夢の世界で初魔法だよ!?テンション上がらない方がおかしいと思う。
「すごいすごい!魔法だ!魔法が使えた!」
「マホウ?」
「私の世界では魔法って言うんです、こういうの!」
はしゃいで両手を振っていると、首を傾げながらシルヴィオが私の隣に座り直した。
「ふむ。……不思議に思ってはいたが……この国に来た時のことは曖昧でも、元の世界で培ったであろう知識は変わらずあるようだな」
「……たしかに、」
シルヴィオの言葉にハッとして自分の頭を抱え込む。もしかしたら何か思い出せるかもしれない。うぬぬと唸りながら目を閉じてみると、目の裏に焼きついた青の光が揺らめく。
「ジュリ。やめたほうがいい、」
揺らめく光が何かを形作ろうとしたところで、シルヴィオの手が私の手を掴んで、そのまま頭から離される。
「もう、今せっかく……」
不満に口を尖らせて目を開けると、思いの外近い距離で覗き込まれていた。
「折角の美しい髪が台無しになってしまうだろう」
目に残るフィレーネレーヴの光よりも、ずっと綺麗な青に見つめられてしまえば咄嗟には何も言えなくて。
そんな私を知ってか知らずか、手が触れた部分を丁寧に撫でつけて毛先までシルヴィオの指が滑る。
その感触に思わずぴくっと震えてしまうと、自覚してしまった恥ずかしさに一気に頰が熱くなっていく。
「あ……」
「……言い逃していたが、ジュリ。」
ひい、顔が熱い。まともに顔が見られず、手で顔を覆って隙間からシルヴィオを窺う。
「は、はい」
「よく似合っている。」
ふっと緩められた目元がやけに優しくて、大人しくお礼を言うことしか出来なかった。
「あ、ありがとうございます……」
一息ついて視線を巡らせたシルヴィオが口を開こうとして、閉じる。それを数度繰り返して何かを諦める気配がした。
「……どうしたんですか?」
「いや、なんでも……なくは、ないな。兄上のことを考えていた。」
シルヴィオの言葉に掴まれた腕の感触を思い出す。そっと自分の手首に触れても、もう震えはしなかった。
「そういえば、覚悟しておけって言われましたね」
「あなたにあの様に触れたことが妬け……許し難いが、何より兄上は手段を選ばない男だ。……あなたを守る為に、」
言いかけて、やはり唇が閉ざされる。
「守る為に?」
「……婚姻の約束をしていることに出来れば、強い」
真似た王子スマイルで続きを促すと、二度プロポーズをした人間の口から出た言葉だとは思えない程、歯切れの悪い返事が返ってきた。
「婚姻の約束も何も……街の人たちの前であれだけの宣言して、周りの人たちにも既定事項のように言ったのに、今更何を……」
「違う。重要なのは周りの人間に認めさせることではなく、ジュリの気持ちだ。そう、気が付いた。……だからこそ、私はあなたの気持ちを振り向かせるまでは、むぐ」
言葉の先を聞くのが怖くて、思わず両手でシルヴィオの口を塞ぐ。最後まで言われたら、きっと何か取り返しのつかないものに気付いてしまう。
「わ、わかりました、続けましょう。私もシルヴィオ様のお兄さんとは出来るだけ距離を置きたいですし……結婚の約束があれば、第一王子とは言え……」
言葉を遮った私の手を軽々と退かしながらシルヴィオが難しい顔になる。
「……いや、兄上相手に油断は禁物だ。ジュリ、如何なる場合も決して一人になるな。」
「は、はい!……あれ?でも確かお兄さんにはちゃんと想い人がいるんでしたよね?」
純粋な問いに首を傾げる私を見ると、離そうとしていた手を握り直して黙り込む。なんだか先程よりずっと苦い顔をしている。
「シルヴィオ様?」
俯きがちにテーブルを見つめるシルヴィオを覗き込むようにして見ると、視線に堪え兼ねたのかとても重たそうにその唇を開いた。
「私の口から改めて言うと、とても心が痛むのだが……フィレーネ王国において花姫様という伝承は、王族如何に関わらず権力を求める人間にとってこの上ない利だ。」
「……なるほど」
言われてみれば確かに。と納得して頷くと、美しい顔が慌てて顔を上げる。
「わ、私はあくまであなた以外を娶る気は産まれてこの方無かったが!……だが」
その様子にちょっと笑いそうになってしまうのをなんとか堪えて続きを待つ。
「だが?」
「だが、兄上は違う。……あの男は、エドアルドという男は権力を持って全てを手に入れんとする男だ。」
「全て……」
「表向きは誠実な王位後継者を装ってはいるが、身分の低い使用人達への態度は傲慢そのもので、力を持っているものにしか興味を示さないのだ。……だからこそ、兄上にとってあなたは格好の的だ」
「……確かに、猛獣みたいな目をしてましたね」
目の前の動物を見定める獣のような目を思い出して、思わず握られたままの手に力が入る。それに気付いたシルヴィオが静かに指先を撫でてくれた。
「例え花姫様という尊い存在であれ……手の中にさえ入れてしまえば、後の扱いなど気分次第でどうとでもするだろう……飽いた女人の扱いなど今に始まったことではないからな」
「……もしかして、想い人さんも王様が気に入っているからという理由で……?」
「おそらくは。……兄上の考えなど、到底理解したくもないが。」
陰りの見える表情に意識せず片手を伸ばそうとしたところで、扉の外からドンドンと力強く戸を叩く音がした。
思わず顔を見合わせて耳を澄ませると、ロベルトとブルーナらしい声のやり取りが微かに聞こえてくる。
「……密談用のフィレーネレーヴって外の音は聞こえるんですか」
ついつい声を潜めて問うと、つられた様子でシルヴィオも声を潜めた。
「ああ。密談に夢中になっている間に、外の敵の気配に気付けなければ問題だろう?」
「たしかに!」
「……さて、このままではブルーナとロベルトが無益な痴話喧嘩に発展してしまうな」
少しだけ名残惜しそうに手を離すシルヴィオの言葉に驚いて、咄嗟にその手を掴む。
「痴話喧嘩って、あの、ブルーナとロベルトって」
「うん?……ああ。直接聞くといい。それに、ここから先の話を進めるには二人の協力も必要になる。」