精霊の目
「其方が、伝承の花姫様であるか。」
そう言った声が、続けて顔を上げるように促す。
ゆっくりとその声の主を仰ぎ見ると、豪奢な造りの大きなベッドに銀色の髭を生やした強面の男性が座っていた。
少し伸びた銀髪をゆったりと束ね、こちらを見る緑がかった黄色の瞳は心底疲れているように見える。
いくつものクッションで高さを調節しているのか、呼吸をする度に少し揺れていた。
顔立ちそのものはシルヴィオとよく似ているけれど、物凄い寝不足と疲れを足したような表情でずっと老けてしまっている気がする。
……この人が、王様。
きっとこの国に来て初めて会ったのがこの人だったら、顔が怖すぎてちゃんと話せなかったかもしれない。
……でも、今は。
今はもう、あのナターシャが恋をしたその人だと知っている。それだけで怖さなんて感覚はすっと消えてしまっていた。
私は静かに深呼吸をして、もう一度軽い礼の姿勢を取った。
「ご挨拶が遅くなって申し訳ございません。わたくし、幾代目かの花姫……名をジュリアと申します。」
そうして顔を上げると、目が合った王様がゆっくりと目を細めた。
……もしかしてもしかすると、あの顔は笑っているのだろうか。疲労に埋もれてしまってよくはわからないけれど。
「ああ、遥々世界を跨いでよく来てくれた。苦労も多かったことであろう。……私がフィレーネ王国、第十一代の国王、アルヴェツィオ・フィレーネアだ。」
アルヴェツィオの落ち着いた声がそう述べると、不意に小さく咳き込んだ。
「父上!」
さっと立ち上がろうとしたシルヴィオを手で制して、アルヴェツィオが頷く。
「大事ない、大丈夫だ。……ジュリア様、この国は貴女の目にどう映った?」
「……とても、未だ全容はわかりませんけれど、わたくしの知る限りでは本当に美しい国だと思いました」
「ふむ……そうか。では、そこなシルヴィオのことはどう思う?」
突然の問いに正直に返した私に、すぐにまた予想外な質問がされる。
……そうか、また忘れかけてたけどこれって結婚前のご挨拶パート2だよね!?
お母さんに会ってみて、それからお父さんとも会う的な、アレだね!?
そういえばシルヴィオのことをどう思うか、なんてナターシャには聞かれなかったな。
ちらりとシルヴィオを見ると、その横顔は緊張と困惑に揺れていた。
お父さんの前なのに、全く気を許していないような固さは、やはりアドリエンヌやエドアルドとのことがあるからなのだろうか。
……この人を、どう思うか。
私がそっと口を開きかけたところで、突然目を伏せたアルヴェツィオがシルヴィオへ合図を出した。
「大体わかった。……シルヴィオ、お前はもう下がれ」
私はまだ何も口にしていないのに、一体何がわかったというのだろう。私が首を傾げるより早く、シルヴィオが否定の声を上げた。
「ち、父上、しかし……」
「なに、心配することはない。ただ、ジュリア様には話さねばならぬことがあるだけだ。」
そう言ってアルヴェツィオが視線で合図をすると、すぐに一人の人影が現れた。
「……どうしてここに、」
シルヴィオが呟いた先を見ると、そこには初代花姫様の姿をしたフィルが立っていた。
「私がいるので二人きりにはなりませんよ。さ、安心して行きなさい。」
「……は。失礼をいたします」
久々に目にする姿をまじまじと見ていると、その横で難しい顔をしたシルヴィオが一礼をして部屋を後にした。
それからすぐに人払いが指示され、フィルが部屋全体にいくつかのフィレーネレーヴを施した。
「さて。何から話したものか。……そうさな、まずは貴女の気にかけているシルヴィオの事からにしよう」
私はまた何も言っていないのに、アルヴェツィオは一人わかったように頷いている。
すうっと眇められたその瞳が、金色に輝いている気がした。
「貴女は私をひどいものだと思っているようだね。……異例に他国の花嫁を正妃に迎え、我が妻ナターシャを蔑ろにしたと。シルヴィオの思っていることそのままだ。」
「……あの、」
「ああ。すまない、私は母から受け継いだ精霊の目を持っていてね。……力を使えば先の未来を読むことが出来るのだ。」
……ファ、ファ、ファンタジー!!
「ヴェティチャンのお母さんは昔から先読みの得意な子だったものねえ。懐かしいわ」
「フィル。何も今その名で呼ばずとも。」
「やーね、こうでも呼ばないと、……花姫チャンが緊張しちゃってるでしょう?そんなだからアナタ、アルチャンにもルヴィチャンにも嫌われちゃうのヨォ」
「それは……仕方がないであろう」
「ヤダヤダ、可愛い息子に嫌われるのが辛いと泣いたこともあるのに、見栄張っちゃってェ。」
「……フィル」
思わずフィルの言葉を想像して、そこで私は耐え切れずに吹き出した。
強面のお父さんとフィルの空気感があまりにもシルヴィオとフィルのそれにそっくりで、こんなところが親子なのかもしれないと笑いながら思ってしまった。
「す、すみません、つい」
「いいのヨォ。いきなり王様なんかに呼び出されて驚いたでしょう?身構えなくって大丈夫よ、花姫チャン。怖い顔してるけど、ヴェティチャンはそう見せてるだけで、」
「……フィルは少し黙っていてくれ」
「はあい。じゃ、アナタも力を使わずにきちんと話したげなさいよ。次に力を使ったら可愛い話しちゃうんだからね。」
フィルに釘を刺されたアルヴェツィオが席をすすめてくれたので、私はありがたくソファーに腰かけた。
「話が逸れてしまったな。ううむ……そうさな、端的に言えば、私が愛しているのはナターシャただ一人だけなのだ」
「……え?」
「まーたそうやって話を端折る!」
私の横にどさりと座り込んで、フィルが唇を尖らせた。
「つまりね、この子が言いたいのは異例に花嫁を迎えたけれど、それは策があってのことで、最初っからナターシャチャンを蔑ろにするつもりじゃなかったって事。」
「でもそれじゃあどうして、」
「……力を使った私の目には対峙した人間の先の未来が映る。……私には、初めに会った時点でアドリエンヌの腹に子が居ることがわかっていたのだ。」
「……それって、まさか」
未来が見えるだとか、精霊の目だとかそんなファンタジー要素はこの際いっそ横に置いておくとして、アルヴェツィオの言った、出会った最初からお腹に子がいた、……というのは。
「ああ。そのまさか。……シルヴィオの兄であるエドアルドは、私の実の子ではない」