王様との謁見
まるで用済みと言わんばかりに姿を消したアーブラハムが戻らぬまま、あっという間に二日が経った。
お知らせはもう全て配り終えた頃だろうか。
丸一日を各領地を統べる領主の名前やら何やらの勉強に費やした私に、部屋の外に立つ衛兵が教えてくれた話では、街でのフィレーネ紙とベールの評判はそれはそれは凄まじいものらしい。
次から次へとフィレーネ紙への問合せが殺到しているだとか、裁縫の腕に自身がある者は小遣い稼ぎに忙しいだとか、仕立てを生業とする者は特に嬉しい悲鳴を上げているだとか、良い噂話を挙げればキリがない。
……そんな中、私はといえば。
「其方が、伝承の花姫様であるか。」
……何がどうしてこうなったのか。
異世界に来てから早、数週間。
もうすぐ一月が経つかという只今の私は、病に臥せっているはずの王様と対面を果たしていた。
遡ること、もう数時間程前のことだろうか、その頃の私はいつも通り起きて、いつも通り朝ごはんを食べて、いつも通りに着替えて。
そうして、……そうだ、いつもと違ったのは。
「お久しぶりでございますわ、花姫様。ご機嫌麗しゅう。本日はお手紙の通り、わたくし共のあつらえたドレスをお持ちいたしました。あの後もリータと熱い意見交換を重ねた自信作でございます」
そう言って笑うマウラが合図を送り、花をあしらわれた数着のドレスが用意される。
その一つはシルヴィオが描いてくれたイラストそのままで、美しいドレスが並んだ中でも特別際立って見えた。
「さ。早速ご試着をお願いいたしますわ。都度細かい修正をして参りますので、お付き合いの程よろしくお願いいたします」
マウラがリータと視線を交わし、まず初めに着せられたのは祝祭で着用する緑色のドレスだった。
丈や肩幅に合わせて整えているのを見ながら、不意にマウラがぽんと手を叩いた。
「おっと、いけません。花姫様から承ったベールもご用意が出来ておりますの」
そうしてふんわりと被せてくれたベールを、用意された鏡で確認する。
今日の髪型はちょうど結い上げられているので、鏡に映る姿は限りなく本番に近い。
私の想像通り、緑色で黒い髪を覆い隠しているので、一見しただけでは暗い色の髪であることくらいしかわからないだろう。
それに私が描いた絵よりもこう、オシャレに細かな花模様のレースが編まれていて、想像していたよりも、ずっといい。……これがプロか。
私が感想を求めようとみんなを振り返ると、一瞬にしてその場が静まり返った。
「……なんと、なんと素敵なのでしょう」
「わたくし、生涯この光景を忘れはいたしません」
ほう、と溜息を吐いてみんなが口々にそう言うと、同じくうっとりとしていたリータが慌てて念を押した。
「み、皆様、わたくしも同じ気持ちですが、決して花姫様のドレスに関しては口外しないでくださいませ」
「ええ。もちろんこのマウラ、心得てございますわ。配られたお知らせをしかと見ましたもの。あれはあれでとても素敵で……あ、いいえ。何か訳がおありなのでしょう」
穏やかに笑うマウラの言葉に仕立て屋の女性陣が何度も頷いて、それから作業再開の合図でさっと仕事に戻る。
さすがプロだなあと感心しつつ、着せ替え人形のように次々とドレスを着せられては、細かな調整をして脱ぐ。
その繰り返しで、結構な時間が過ぎた。
「ふう、調整はこんなものでしょうか。花姫様、着心地はいかがでしたでしょう?」
私が疲れを隠した笑顔で頷くと、マウラが少し気遣うように笑った。
「それは何より。では最後の仕上げをいたしましょう」
そう言うが早いかマウラが私の着るドレスと、綺麗に並べられたドレスに順に青く光る刺繍針を向けた。
何事かと目を丸くする私ににこりと微笑んで、なんとも不思議な詠唱がされる。
「これを纏うものへ、寄り添う力を。リスペラーレ!」
そうしてきらきらとした小さな粒の光が、少しずつ全てのドレスへ降り注いだ。
輝くドレスに見惚れながら小さく首を傾げると、それに気づいたマウラが軽やかに礼をして見せた。
「うふ。最後の仕上げに、その方にあったフィレーネレーヴを施すのがマウラ流でございますの。フィレーネベールという新たなお仕事を開拓してくださった花姫様に、感謝の意を込めて……花姫様のドレスには心ばかりの守りの力を。……では今後とも、仕立て屋マウラをよろしくお願いいたしますわね。」
そうして、いつもと違う試着という作業を終えて、リータに送られたマウラ一行が去って行った。
うん、ここまでは、二日前からわかっていたことだけれど。
それからいつも通り昼食を済ませて、食後のお茶で喉を潤したところで……外の衛兵から声がかかった。
そうだ、そうそう。
……もっといつもと違ったのは。
「シルヴィオ様が起こしになられました」
あれ?特別約束もしていないのに、シルヴィオが直接私の部屋を訪れるなんて珍しい。
そう思いながら顔を見合わせたブルーナが迎えて、そうして、こちらを見たシルヴィオの表情があまりに硬くてびっくりしたんだっけ。
「突然ですまない、ジュリア。……その、ドレスは」
挨拶を終えてすぐに固まったシルヴィオに、リータが考えてくれたドレスだと笑いながら広げて見せたりして。
「少し悔しいが、……似合っているな。祝祭での私と揃いの衣装も楽しみだ」
そう言ってはいても、普段のシルヴィオと違って、あまり表情は変わらず。
どうしたことかと心配を口に出すより早く、その答えがわかった。
「……父上が、国王がお呼びです」
聞けば、いつもに比べて体調が良いらしく。来たる祝祭の前に、一度是非お会いしたいとのことだった。
……い、いやそりゃあ、ね?
王様に謁見なんてファンタジーの王道だとは思う、思うけれどまさか、それがこんな形だとは。
その後シルヴィオに手を引かれてお城の奥まった場所にたどり着くと、シルヴィオと私の二人だけが部屋の中へ立ち入ることを許された。
「父上、ただいま参りました」
そう言ってさっと片膝を付いたシルヴィオの様子は、いつも通り……いやいつもよりずっと動きに隙がなく、とてつもなく緊張した横顔を見て私も思わず息を呑んだ。
「ご苦労」
シルヴィオを労う王の姿を見る前に、静かに膝を折って礼の体勢を取った私に少し掠れた、落ち着いた男性の声が降った。
「其方が、伝承の花姫様であるか。」




