罪の在り処
「ごめんなさい。わたくし、自己紹介もされていない方のことを覚えることは難しくって……どちら様でした?」
にこりと笑う私を睨みつけた目が、殊の外大きく見開かれる。
アドリエンヌの口が忙しなく開いたり閉じたりして、その姿はまるで酸素を求める魚のようだった。
ああ、私ってばまた罪作りな女に。
……でも、あんなに人を馬鹿にする人にこのまま黙ってなんていられない。
「あら、大変だわ。ご自分のお名前がおわかりにならないのかしら」
自分の頬に手を添えて嫌味なくそう付け足せば、パクパクとした口がやっとのことで言葉を紡ぎ出した。
「わ、わた、わたくしのことは先程、そこの第二王子が、第一王妃だと述べたでしょう!?」
「……まあ。しっかりと見えて、聞こえていらしたのですね。わたくし心配していたのです。シルヴィオ様のお姿が目に入らないだなんて、どこか具合でも悪いのかしら……と。」
シルヴィオを指差すアドリエンヌに、ほっと安堵したように微笑んで見せる。と、その手がわなわなと震えて、不意にぐっと握り締められた。
「なっ、問題はそこではなく、貴女が」
「ええ、問題は違う点にございます。先程申し上げた通り、わたくし、あなたのお名前すら存じ上げませんもの。……ですのに、わたくしが使用しているお部屋を無理にこじ開けようなどと。人として無礼が過ぎるのでは無いかしら」
私がまっすぐに視線を返すと、アドリエンヌはその顔を歪ませてギリッと奥歯を噛みしめた。
「い、言わせておけば……っ!王妃であるわたくしにそんな口をきいてタダで済むと思って!?」
「アドリエンヌ様、」
咄嗟に割って入ろうとしたロベルトを手の動きだけで止めて、一歩踏み出す。
アドリエンヌが自分の権力を振りかざすと言うのなら、今の私が持てる力の全てで応えなくては。
……そうでなければ、私の前に立つ二人を守れない。
「いいでしょう、お話しいたします。」
「ふ、フン、最初からそうしていれば良いのです」
「けれど。まずはフィレーネ建国の折から代を重ねてきた、伝承の花姫であるわたくしに自己紹介をしていただけるかしら。是非、このような無礼を働いた方のお名前が知りたいわ。」
視線で焦げ付いた扉を指して、それからアドリエンヌとアーブラハムの二人をじっと見る。
ナターシャはアーブラハムのことをよく口を滑らせると言っていたっけ。
じりじりと今にも後退りそうな二人のうち、もう一歩追い詰めるなら間違いなくアーブラハムを責めるべきだと思う。……でも、今それをすれば、企みの黒幕までは追い詰められない。
どう出るかを待っていると、不意に表情を消したアドリエンヌが膝を折る礼をした。
「申し訳ありません、花姫様。……わたくしはアドリエンヌ。イグニスはアメルハウザー領より参った花嫁……今はフィレーネ国王の王妃でございます。以後お見知り置きを」
あまりにもすぐ折れたアドリエンヌを意外そうに見て、それからシルヴィオが訝しむような顔をした。
「けれど、けれど。実のところは扉を開けようとしたのはわたくしではなく、第二王妃であるナターシャ様の執事、アーブラハムなのでございます」
「あ、……アドリエンヌ様ぁ!?」
名指しされたアーブラハムが悲鳴にも似た声でその名を呼ぶ。
「きっと、ナターシャ様の指示なのでしょう。わたくしは偶然居合わせて協力をしただけに過ぎませんの。」
……そうきたか。
衛兵が見ていた以上どれだけ証拠が明らかでも、ここで罪の在り処を問えばナターシャの無罪を証明する方法が無い。
「そうですか……」
「ええ、ですから、さっさと何をしていたのかを、」
「いいえ。それは、アーブラハムの仕えるナターシャ様と確認をすることにいたしますわ。……だってアドリエンヌ様は偶然、居合わせただけなんですものね?」
やり場のない思いを笑顔に変えて、口をあんぐり開けたアーブラハムとアドリエンヌを放置してシルヴィオへ向けて首を傾げる。
「シルヴィオ様、お母様のナターシャ様とお約束がありましたね?……その場で是非、この度のことをお話してくださるかしら。わたくし、何か誤解があると思うの。」
私の言葉に少しだけ驚いた顔をして、それからシルヴィオが意図を察した様子で笑う。
「……ええ、花姫様。謹んでそのお役目を引き受けさせていただきます。」
「ありがとうございます。……くれぐれも。口裏を合わせるような真似があっては困りますから、アーブラハムの居ない場でお話をしてくださいね。」
ちらりと悔しげな表情を浮かべるアーブラハム達を見て、念を押して微笑みかける。と、こちらを向いたシルヴィオが私の手を取って口付けた。
「承知いたしました。……このシルヴィオの名にかけても。」
手の甲に触れた唇が人知れずありがとうと動いたのがわかって、そっと小さな頷きで返す。
そうしてこの場をどう纏めようか悩んだところで、不満いっぱいのアドリエンヌが声を上げた。
「ちょっと。わたくしにも聞く権利というものがあるのではないかしら!?」
「……あら。この場で話さずとも、ナターシャ様とお話をした後ですぐにわかることですもの。偶然、居合わせたアドリエンヌ様がそのように話を急がれるのには……何か、理由がおありになって?」
いつしかのナターシャの真似をしてわたくし気になります、と主張すると、途端に慌て出したアドリエンヌがおざなりな礼をして背を向けた。
「……っく、き、今日のところは失礼をいたします!行きますよアーブラハム!」
「はっ、し、失礼をいたします!……お、お待ちくださいアドリエンヌ様ぁ!」
名を呼ばれて我に返ったアーブラハムも、一礼だけしてアドリエンヌの背を追っていく。
完全にその姿が見えなくなってから、なんともにこやかなロベルトが口を開いた。
「お見事。」