嵐のような王子様
「ありがとう、ブルーナ。」
「あら、まあ!」
うふふ、と口元に手をあてて嬉しそうに笑うブルーナに、つられて私も微笑む。が、その笑いは一瞬にして厳しいものに変わってしまう。
「なんとか及第点ですわ。……花姫様として相応しい振る舞い、礼節を是非、これから身に付けていただきます。このブルーナと共に励みましょうね、ジュリア様。」
「よ、よろしくお願いします……」
笑顔の圧に押され、私は項垂れそうになるのを必死に堪え、そう言ってなんとか笑うのだった。さすが城勤めの全てのメイドの長。こわいよう。
「では、談話室に参りましょ。……シルヴィオ様もあれほど一時の別れを惜しんでおられたのですから、きっともう首が伸びきってしまっていますわ」
冗談めかして笑うブルーナに続いて衣装部屋を後にすると、廊下に繋がる扉の前で立ち止まる。
何をするのかと見れば、ブルーナがおもむろに扉の取っ手へと手をかざした。
「リプレアン」
ブルーナがそう呟いた途端、手の中で青い光が膨らみ、ガチャリという硬質な金属音が鳴る。
その光景にパチパチと瞬きを繰り返すうちにその光はまたもや、すうっと消えてしまった。
「ブ、ブルーナ、」
「……ジュリア様?」
「い、今のはもしや、魔法というやつでは」
きょとん、と優しい目をまあるくさせて、ブルーナが首を傾げる。
「いいえ、マホウ?というものではありませんわ。この力はフィレーネレーヴというものでございます」
「……フィレーネはこの国の名前ですよね?」
「ええ。花の名を冠したこの国に伝わる、この国の者ならばその素養によって扱う事ができる力なのですが……古くは建国時代に遡り、夢のような力を花姫様が授けてくださったとか。」
「それでフィレーネレーヴ……ということは、その力って私にもあるってことですかね!?」
思わず自分の両手を見つめて、期待に満ちた眼差しをブルーナに送ろうとすると、扉の外側からトントンと戸を叩く音と落ち着いた男性の声が聞こえた。
「失礼いたします。メイド長、談話室でシルヴィオ王子がお待ちです。」
「あら、まあ。……ジュリア様、この話はまた後にいたしましょ」
ふふっと悪戯っぽく笑ったブルーナが、返事をしながら扉を開く。
すると扉の向こう側には、胸元に手をあてて礼をしている初老の男性が立っていた。
手入れの行き届いた燕尾服と綺麗に撫でつけられた薄い金髪が、穏やかそうな雰囲気も相俟ってとても様になっている。
「お初にお目にかかります、花姫様。私はシルヴィオ第二王子付きの執事、ロベルトと申します。どうぞお見知り置きを」
「はい、私はジュリアと申します。よろしくお願いしますね」
ブルーナの見様見真似で模った礼に、ロベルトはにこりと微笑んでくれた。紳士とはこの人の為の言葉なのかもしれない。
「まさかロベルトを使いに出すだなんて、シルヴィオ様は余程早くジュリア様にお会いになりたいのですわね」
「そう言うものではありませんよブルーナ。……さて、参りましょう。」
嗜める言葉にも優しさが滲んでいて、そんなロベルトを見るブルーナの瞳も心なしか柔らかい気がした。お城勤めだし、長年の付き合いってやつかな?
ロベルトを先頭に、私の一歩後ろをブルーナが歩く。
部屋に辿り着くまでは然程見えていなかったが、さすがはお城。廊下も広くて等間隔に並んだ明かり取りの窓も細工が細かい。
足元に敷かれている絨毯も歩きやすく、柔らかだ。
きょろきょろと動かす視線に合わせて動いてしまう私に気付いたブルーナが後ろから静かに囁く。
「ジュリア様、淑女たるもの矢鱈と辺りを見回すものではありません。顎を引いて常に笑顔を心がけてくださいませ!」
「はい!」
痛いところを突かれて言う通りに笑顔を作る。と、長く続く廊下の先に二人の人影が見えた。顔の判別が出来る距離ではないが、手前に見える人の髪は窓から差し込む光を受けてきらきらと光っている。どうやらロベルトよりも数段濃い金髪らしい。
「……これはまずいことになりましたね。談話室は目と鼻の先だというのに」
先を行くロベルトが、穏やかな雰囲気のままそう告げると、こちらへ向かってくる人物から私を隠すようにして立ち止まった。
「これはこれは、ご機嫌麗しゅうございます」
言いながら軽く礼をしたロベルトに続いて、ブルーナも数歩進み出て私を隠すようにふんわりとスカートを広げる礼をした。
「なんだ、改まって。第二王子付きの執事にメイド長が揃いも揃ってこの場に居るとは珍しいではないか。」
二人に阻まれた視界で顔は見えないけれど、なんだかとても偉そうな態度と雰囲気を感じる。後ろに控えている人は、垣間見える服装からして女性のメイドだろうか。
「ええ、祭事の相談をしておりました。」
「フン……まあいい。第二王子に伝えておけ。精々私に恥をかかせるなと」
「承知いたしました。」
そう言いながら通り過ぎる姿をちらりと見ると、シルヴィオと似た面影がある端正な横顔に、緩く癖の付いた金の髪が揺れていた。
ひとえに面影といっても少し、ほーんの少しだけだけれど。もしかすると、あの人が第一王子ってやつかもしれない。
とても関わりたくない人種の予感がする。えんがちょ。
内心で密かに縁を切っていると、ふぅ、と息を漏らすブルーナを合図にして、ロベルトが再び歩き出した。
「……おい、メイド長」
不意に歩き出した私達を咎めるように、この場を立ち去ったはずの偉そうな声が、ブルーナを呼び止める。
「その女は誰だ。」
棘のある声はただ一点、私に向けられていた。
くそう、たった今さっき縁を切ったのに!と思いながら視線だけを横に向けると、ブルーナが一つ頷いていて、ロベルトがそれに応えるように頷き返した。
「……おほほ、失礼ながらその女とはどなたのことでございましょう?」
わざとらしく、含みのある笑顔でブルーナが振り返る。
それを合図に、失礼、と短く告げたロベルトが私の手を取って数歩先に見える扉へと急ぐ。
「な、おい!」
「シルヴィオ王子、失礼いたします」
背中に追いすがる声と、ロベルトが扉を叩くのは同時だった。が。
「待て!」
「んまっ!」
その男の動きは、ロベルトの手によって扉が開かれるよりも一瞬早かった。
絨毯が敷かれているのにも関わらず、勢いのついた足音と共に腕に力強い熱を感じ、そのまま力任せに振り向かされる。
引かれる手の痛みに、思わず表情が歪んだ。
「いた……っ」
「……ほう。お前……珍しい色をしているな。」
値踏みするような視線で私を見つめる赤い目が恐ろしい。咄嗟に顔を逸らしても変わらず感じられる圧力と、今まで出会った人たちとは全く違う反応に息が詰まる。
「まるで伝承の花姫ではないか。もっとよく見せろ。」
ぐっと顎を掴まれて無理矢理に上向かされれば、ギラつく瞳が嫌でも私を覗き込む。
「や、やめ……」
「気味が悪い程美しい色だな。……どうだ、女。私の嫁にならないか?なに、悪いようにはすまい。お前には利用価値が、」
「兄上」
目の前の男の言葉を遮って、私の背を抱きしめるような位置から男の手が掴まれた。
背後に立つその人の顔を見なくてもわかる。もう幾度となく聞いた体に響く声は、間違いなくシルヴィオのものだ。
「おやめください。」
「フン、何かと思えば腑抜けの第二王子か。邪魔をするな……ぐう……っ!」
「エドアルド。この方は正真正銘の花姫様であり、私の妻となる方だ。これ以上の無礼は許さない。」
エドアルドと呼ばれた男が、痛みに呻きながら私を解放した。思わずシルヴィオの胸に縋ると、やっと自由になった手が少し震えていた。
「第二王子の分際でよくも……まあいい。その女が真に花姫かどうかなぞはどうでもよい。女、私は諦めないぞ……覚悟しておけ」
「まあ、まあ!……申し訳ありません、花姫様。わたくし少々この場を離れますわ。」
捨て台詞のような言葉を吐いてこの場を立ち去っていくエドアルドの背中を、慌てた様子の女性のメイドと、厳しく目を釣りあげたブルーナが追いかけていく。
「エドアルド様!今日という今日はこのブルーナ、逃がしませんわよ!」
視線でその後姿を追っていると、優しい手のひらが背を撫でてくれる。
その温かさに少しだけ緊張を弛めてシルヴィオから離れると、ロベルトが扉を開いて待っていてくれた。
「ジュリア様、申し訳ありません。……ひとまず部屋の中へ」