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後悔と希望



「大バカ者です!ナターシャ様は!」



堰を切ったように、涙も言葉も止められない。


「そんなことくらいで失格だなんて、そんなことくらいで、シルヴィオ様をずっと……諦めてるだなんて……」

「……ジュリア様」


私の中で想いがどんどん溢れて、言葉にするのが追いつかない。

何を、どう言えば、シルヴィオの想いが伝わるだろうか。


「何より、何よりですよ、ああもう……とにかく貴女は、駄目でもお母さん失格なんかでもありません!」


まどろっこしくなってそう言い切ると、ナターシャが目に見えて狼狽えた。


「どうして、そんな」

「どうしてだなんて、わかりきっているじゃないですか!私の知っているシルヴィオ様は、まっすぐで、優しくて、異なる世界から来た私にもちゃんと世界を教えてくれた……それは、他でもない貴女の優しさが育てたものでしょう……?」


次から次へ溢れてくる涙でナターシャの表情は見えないが、押し黙ったままで一向に返事が返ってくる気配は無い。


「……貴女が正妃の座を譲ったのは、王と国の人たちの為で、娘が欲しかったのだって……自分の力ではどうともならない時代に産まれてくる子を想えばこそのことですよね、ナターシャ様……?」


どうかそうであってほしいと願いながら、違いますか?と問うと、ぼやけた視界でナターシャが何度も首を横に振るのがわかった。


「ちがう、ちがうわ……わたくしは、ただ、争いを……争いを避けたかっただけなのです」


心なしか、耳に届くナターシャの声が震えている気がする。


愛する王は国と民の命を背負い、勢いを増した隣国が迫っている中で、未だ子を成していない王妃である自分。

友好を結んだ国同士での花嫁のやり取りと、男の子の誕生。……そんな状況で、果たして私は違う道を選べるだろうか。


「私には、ナターシャ様の苦労の全てはわかりません……けれど」


それでも、シルヴィオはいつだって、王となってこの国の人たちを守ることしか考えていなかった。


必死に花姫を求めていたのだって、どうにもならない時勢と闘う為で……それは他でもなく、ナターシャの姿を見てきたからこそなのだと、今ならよくわかる。


ぐっと勢いよく涙を拭って、ナターシャをまっすぐに見る。


「ナターシャ様、貴女の選択は、何も間違っていなかったと思います。」


そう言うと、ハッとした顔でナターシャが私を見た。


「ジュリア、様」

「……だってこのお城を初めて見た時、ナターシャ様と重なって、すごく眩しかったから。私には想像も出来ない苦労の中で、貴女が闘って、迷って、みんなに寄り添ったからこそ……街の人たちが笑える今があるんだと、思います」

「っ……!」

「私は、貴女が守り、闘ったこの国が、この国の人が、好きです」


私がそう言うと、ぐにゃりと崩れた綺麗な顔から、大粒の涙が溢れ出る。

シルヴィオとよく似た空色の瞳が潤んで、それは本当の宝石のように美しかった。


「……だから、……だから貴女の息子の、シルヴィオ様がシルヴィオ様として生きていることを、肯定してあげてください。そして、ナターシャ様がナターシャ様として生きていることを、肯定してください……でなければ、ナターシャ様は大バカ者です……」

「っ……そんなことを、初めて言われました」


言いながら、ナターシャが涙を零して笑う。


「はっ……わ、わわ……わわたくしとんだご無礼を……!」


ハッと我に返って、咄嗟に土下座よろしくテーブルに手をつこうとすると、ナターシャが目元を拭いながら止めた。


「いいえ。無礼を働いたのはわたくしの方です。婚約者である貴女の前で、あの子を否定するようなことを言ってしまったのですから。……ごめんなさい」


ゆっくりと礼をして、次に顔を上げたナターシャの顔には、まだ少しの迷いがあった。


「けれど、アドリエンヌ様を狂わせてしまったのは事実なのです……そうして、エドアルドも……」


そう言いながら悲しげに目を伏せるナターシャを、じっと見つめる。

……ああ、どうしよう。このままじゃまた無礼を重ねてしまう気がする。


「アドリエンヌ様は、今でこそああですけれど……当初はお優しい方でしたのよ。それがわたくしのせいで、」

「……あの、」


大人しく黙ってようと思ったのに、私の口は言うことを聞かないみたいだ。


……だって、だってだって。

いや、ほら、漫画や映画では嫉妬に狂った王妃とか継母の話はよくあるよ?

よくあるけどもさ。身の上に同情出来る余地があったとしてもさ。

でも、やっぱり。


「それはその人の生まれ持った、もしくは育つ過程で出来上がった性質です」


アッ!我慢できなかった!


「……え?」


ああ、ナターシャ様の素の驚きの声もいただいちゃいました。


この世界に来てからというもの、驚きの声をいくつもモノにしてきてしまった。……ああ、私ってばなんて罪作りな女。主に不敬罪の方向で。


「……この際、無礼を承知で言います。どんな立場も状況も身分も関係なく、悪いことをしたら、悪いことをした人が絶対的に悪いのです。もしもあの時こうでなければあの人はきっとあんなことをしなかったなんて、考えるだけ無駄です。だって、過去は変えられないんですよ?」


ぽかんと呆気に取られた様子で、ナターシャが何度も瞬きをした。


「変えられるのは、自分と今これからだけです。だからナターシャ様が過去を嘆くのなら、今これからのアドリエンヌ……様と、エドアルド……様を正しく導き直せば良いのではありませんか?」


それはきっと貴女にしか出来ないことです。とビシッと指を指して言い切ると、やや間を空けてナターシャが小さく吹き出した。


「っふ、ふふ……!そう、そうね……!あなたの素って、すごいのね。ふふ。シルヴィオも夢中になるわけだわ。」


堪えきれていない笑いを隠そうともせず、ナターシャは楽しそうに肩を震わせている。

そうして一通り笑ってから、婚約のお知らせを見つめてゆっくりとお茶を飲んだ。


「ふう……なんだかあの人に恋をした頃を思い出しました。あの頃は身分も何も関係なくて……共にいるだけで世界は全て幸せに満ちていた。……わたくしの希望を思い出させてくれてありがとう、ジュリア……ちゃん」


そう言って、ナターシャが優しく微笑む。

シルヴィオと似たその美しい瞳には、もう少しの迷いも無かった。


「あ、いえ、……」


親しげに呼ばれた声が嬉しくて、思わず素のまま返そうとしたのを慌てて正す。


「わ、わたくしの方こそ、まずは非礼を謝ります。……そして、ありがとうございます。シルヴィオ様を産み、育て……守ってくださって。ナターシャ様のおかげで、あんなに素敵な人と出会うことが出来ました。」


出来るだけゆったりとした動きを心がけて礼をしてから、ナターシャの顔を見て少しはにかんで笑う。……これは、ただの照れ笑いだ。


「本当に、ありがとうございます……お母様」



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