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王妃様の昔話



「……これは、昔のお知らせ……?」



ナターシャがそう言いながらじっとテーブルを眺めている。


なんとまあ私が捲ったテーブルクロスの位置は、件のお知らせがばっちり印刷されてしまった部分だった。

なんでまたこんなピンポイントで、と恨むにもこの際何を恨むべきなのか。


ああ、ブルーナには隠せていたのに。

心の中で天を拝みながら、この場をどう切り抜けるかを考える。


「ほほ、こ、これは失礼を」


ひとまずの誤魔化し笑いを浮かべながらクロスを元に戻そうとする私を、にっこり笑ったナターシャが止めた。


「ジュリア様、この写しはどなたが?」

「それは……その、わたくしでございます」


怒られる、これは絶対に怒られるやつだ、としゅんとしながら答えると、意外にもナターシャは楽しそうに笑ったのだった。


「まあ!ジュリア様が」

「はい、ごめんなさ」

「あら。何も謝ることは無いでしょう?写しならば、消してしまえば良いのですから」

「ええ……一度試しはしたのですけれど……」


どうしてか失敗してしまって、と言った私とテーブルとを交互に見て、ナターシャが肩を竦める。


「そう。詠唱が違うのかしら?……それにしても、懐かしいお知らせだわ」


テーブルの写しを指先で撫でながら、少し遠い目をしたナターシャが横目で私を見た。


「ふふ。これはね、わたくしと王との婚約のお知らせなのですよ。」

「っ……こ、この方が」


危うく変な声が出そうになってしまったのをごくりと飲み込んで、そっと口を押さえる。


幸せそうに笑っているのがナターシャの似顔絵だというのはわかっていたのに、隣に居る怖そうな人が王様だなんて考えもしなかった。

……今思えばちゃんと婚約のお知らせって書いてあるのに。


「この頃は今のような状況を夢にも思っていなかったわ。ただ愛しい人と共に、愛しい民を支えて、そうして次の世代へ託すものだと思っていたのだけれど……人の生というものは何が起こるかわからないものですね」


……そうか、ナターシャの言う愛しい人が王様なら。その人は今、病と闘っているところで。ともすればナターシャは今、たった一人でこの国を支えているのかも知れない。


遠い目をしたナターシャの目元は、よく見ると少し疲れているような気がした。


「……やだ、こんなことを言うつもりではなかったのに」


そう言って笑いながら、ナターシャが誤魔化すようにお菓子を口に運んだ。


どれほどの想いを、その細く小さな体に溜め込んでいるのだろう。

王妃の座は奪われ、異国からの監視がある中で夫は病に倒れ、今や国を分かつ瀬戸際に立たされている。


……私の頭では、とても想像がつかない。


「ナターシャ様、聞かせてください!どうか……ナターシャ様が、お嫌でなければ」


……話せば、少しは楽になるだろうか。

そんな思いだけで咄嗟に出てしまった言葉に自分でも驚きながらそっと付け足すと、ナターシャが目を丸くして、それから小さく笑った。


「……なんだか、本当に娘が出来たみたい。」

「ナターシャ様……ナターシャ様はよく娘と、と仰いますが……シルヴィオ様では駄目なのですか?」


ぽろっと口から溢れた疑問に、ナターシャがとても痛そうな顔をした。


「そうね……少し長くなるけれど、聞いてくださる?」


こくりと頷くと、ナターシャがゆっくりとお茶を飲んで口を開く。


「あの人と婚姻を結んでからの数年は、国の間での緊張の高まりが特別酷い時季だったのです。王が代替わりしたところに加えて、ちょうどイグニス王国も異様な速度で力をつけ始めた。あの勢いで攻め入れられたら、と……誰もが不安を抱えていた時季でした。」


たしかシルヴィオからは、緊張状態で子供が出来ずに、異例にも異国のアドリエンヌを娶ったという話を聞いたのだった。……実際はどうだったんだろう。


「……そんな折、友好を結ぶという名目でイグニス王国との行き来が始まりました。特産物の取引や、人の往来も増え、お互いの国としての尊敬もあって、しばらくはとても良い影響を与えあっていたのです」

「……そう、だったのですね」


……あれ、思ったより、悪くない?

シルヴィオから聞いていた話と少し、いや大分違う気がする。


「けれど、難点がひとつありました。」

「難点、ですか?」

「ええ。わたくしと王であるあの人の間には、国を継げる子が居なかったことです。……そこに目を付けたイグニス国王が推薦したのが、アドリエンヌ様でした。イグニス王国の主立った領地の娘である彼女の価値は、友好を掲げた国同士として受け入れるには充分過ぎたのです」

「……それですぐにエドアルド……様が産まれて、ナターシャ様は……」


危うく第一王子を呼び捨てしそうになったのを修正した後で、私が言いかけた言葉にナターシャが小さく首を振った。


「いいえ、皆は奪われたなどと口にしますが……わたくしがアドリエンヌ様に正妃の座を譲ったのです。わたくしは、わたくしの出来る範囲で……皆を支える事が出来ればそれで良かったのです。」


そう言ってから、ナターシャが少し悩むように視線を泳がせる。


「……だからこそ、わたくしは娘がほしかった。男の子を産んだ当初のアドリエンヌ様とは上手く関係を築けていたからこそ……。どうか、お腹にいる子は王位を争わずに済む娘であれと。願っても願っても、それはかなわなかった。……彼女が狂い始めたのは、あの子がこの世に産まれた時からなのです」

「……そ……それじゃあ、」


……シルヴィオ様は、望まれた王子では無かった……?


そのままナターシャとは視線が合わず、ぽかん、と心に穴が開くような気持ち悪さでいっぱいになる。


「……わたくしは、あんな状況で産まれてくる子には、何としても王になる道を義務付けたくなかったのです。……少しでも、自由に生きることが出来れば……それだけで。」


母親に、貴方を貴方として産みたくなかっただなんて言われてしまったら、一体どう立ち直ればいいんだろう。


……シルヴィオ様は、だからあんなに、ずっと……伝承の花姫様を待っていたのだろうか。

その真意はまだ、全部はわからないけれど。


「……それでも、フィルやブルーナ、ロベルトにも必死に教わって、鍛えて、エドアルドに追いつこうとしていたけれど……わたくしはそれを応援することなど出来なかった。ただ、頑張っているわね、と頷くことしか出来なかったの。……駄目ね、王子の母としてわたくしは失格なのです。きっと、王妃としても。」

「ナターシャ様、」

「エドアルドを王として、兄弟や皆と支え合いながら生きていってくれれば、ただ愛する人と手を取り合ってくれればと思っていたのに、……どうして、こうなってしまったのかしら」

「……ナターシャ様は、」


そこでぐっと息が詰まって、上手く言葉が出てこない。

……ただ、ただ悲しくて。


「ね、ひどい母親でしょう?」


そんな私の顔を見て笑うナターシャの顔が、何よりも痛々しくて、私の目からボロボロと涙が溢れてしまった。


……だって、いつだってシルヴィオ様は。


「大バカ者です!ナターシャ様は!」



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