王妃様とのお茶会
「人払いをしてくださるかしら?」
そう言ったナターシャに、ブルーナだけが狼狽えた様子で待ったをかけた。
「ナターシャ様、何を仰って」
「ブルーナ。……わたくしはお願いをしているだけですわ」
「け、けれど……今は」
「今はわたくしが此処におります。……わたくしはただ、ジュリア様と二人きりでお話がしたいだけですわ」
ナターシャが、何も心配するようなことはありませんよ、と笑って付け足す。
「お願い、出来るかしら。」
にこにこと笑っていながら、ナターシャの瞳はずっと真面目な色を宿している。
アーブラハム然り、きっとブルーナとリータが居るところでは出来ないような話なのだろう。
「……わかりましたわ。」
「ジュリア様、」
「ブルーナ、リータ。自室に控えていて頂戴。……それと、少し休むのですよ」
そう言って暇を告げると、小さく付け足した言葉に面食らったような表情で二人が下がっていく。
ここのところずっと付きっ切りだったし、少しでも休めると良いのだけど。
「ありがとうございます。……では。ディ・スオーノ」
お礼を言うが早いか、今私たちが居る空間にだけ遮音のフィレーネレーヴが施される。青い光が浸透したのを見届けて、ナターシャがゆったりとお茶を飲んだ。
「……ジュリア様、わたくしね」
ここへきてやっと本題かと身構えたものの、いざナターシャの口から出てきた言葉は全く私の予想外のものだった。
「こうして娘とお茶をするのが夢だったの。……生涯叶わないものだと思っていたけれど……」
「そ、そうなのですか?」
「ええ。だってあの子、物心ついた頃からずっと伝承の花姫様ただ一人しか見えていなくて……臣下の間で女性に興味が無いのかと噂される程だったのよ?」
ナターシャはそう言いながらふふっと軽く笑うけれど、一国の王子としてはその噂は大問題過ぎるのではないだろうか。
真面目に、国が違えば不敬罪で生死を問われそうなくらいだと思うのだけど。
こんな時どんな顔をするのが正解なのかわからなくて、なんとか苦笑を保っておく。
「それはそれは……」
「でも、貴女が来てくれた。まだ日は浅いけれど……ジュリア様、貴女にはこの国を好きになってもらえたかしら」
シルヴィオを、ではなく、国を好きかと問われれば、その答えは意外と簡単に見つかった。
「……はい、まだ知らないことも多いですけど……。私はこの国と、得体も知れない右も左もわからない私に良くしてくれた、この国で出会った皆さんが好きです」
そう言ってから、自分の口調が無意識に崩れてしまったことに気付いてハッとする。
「ふふ」
「……失礼をいたしましたわ」
「良いのですよ。……おかげで、貴女が心からそう言ってくれているのがわかりました。国は民、民は国ですもの。貴女がそう想ってくれていて、わたくしは本当に嬉しいわ」
とても優しい目で、ナターシャが笑う。
この目元がシルヴィオに本当によく似ている。
「……そうだわ。本題を忘れてしまうところでした。ジュリア様、例のドレスコードはどうなったのかしら。」
お菓子を口に運んで顔を綻ばせたナターシャが、心なしかウキウキした様子で身を乗り出した。
「ええと、それでしたらこちらに……」
元々ドレスコードの話をする予定はあったので、テーブルの端に用意された籠の中から二枚の紙を取り出して見せる。
一枚は私の描いたベールで、もう一枚はシルヴィオの描いた二対のドレスとベールの絵だ。
それをそっと手に取ったナターシャの瞳が、見る見るうちに輝きを増した。
「まあ……なんて素敵なのかしら……」
「こちらが当日わたくしが身につけるもので、こちらの二つがベールの周知とドレスコードのお知らせになっていますの」
そう言って再びこじつけた理由を並べ立てると、ナターシャがうっとりした顔でベールの絵を撫でた。
「そうですか……それは是非、わたくしも身に付けさせていただきますわ。けれど、」
そこで区切って、不意に真面目な顔をしたナターシャが二対のドレスの絵をこちらへ向けた。
「この絵はいただけません。」
「……え、どうして、でしょう」
シルヴィオの絵は誰が見ても美しいはずだし、これ以上の絵を描けるものを私は知らない。
私が慌てて問いかけると、ナターシャがにこりと笑う。
「これは当日の花姫様を表しているのでしょう?でしたら、隣には婚約者が居なければ。説得力がありませんよ」
「けれど、それではあの者たちに服装でわかってしまうのでは、」
「……当日とは別の服装を描いてしまえば良いのです。錯覚させるならばとことん錯覚させなくては」
なんとも楽しそうに笑ったナターシャの言葉が、すっと腑に落ちた。
そっか、そうだった。そうすれば、このお知らせを見た人が勝手にこの服装の私たちを探してくれるんだ。さすが王妃様と王子様、親子で冴えてるぅ!
……あれ、たしか名目上は第二妃なんだっけ?でもナターシャ様を第二妃と呼ぶ人にはまだ出会った事がない。
「……やはり、もう少しこの絵も花姫様に似せて、隣にはシルヴィオのような人物も描きましょう」
「ええ、そうですわね、ではシルヴィオ様に描いていただかなくては……」
「その必要はありませんよ。」
ペンとインキを貸してくださるかしらと言われて、籠の中にあったそれを首を傾げながら手渡す。
「ふふ。あの子に絵を教えたのはわたくしですもの」
そう言いつつ、空いた隙間にさらさらと王子らしい服を描き込んでいく。シルヴィオの描き味を真似しているのか、一見して見分けが付かないほどだ。
「ところで、このベールには名前があるのかしら?」
ふとナターシャに問われて考える。
……名前、名前か。
名前なんて考えたこともなかった。だって私の中でウェディングベールはウェディングベールだったし……花、ふらわー、フィレーネ。
「……フィレーネベール……というのはいかがでしょう?」
うーんと唸りながらそう言うと、絵を描き続けるナターシャの手が、突然ピタリと止まった。
「素敵……素敵だわ、ジュリア様。この国の名を冠したベールだなんて……貴女はわたくしにとって、最高の娘よ」
「……ありがとう、ございます」
う、美しい。私が少し照れながら返事をすると、少女のような満面の笑みを浮かべたナターシャの手によって、お知らせの上の部分にフィレーネベールの名が書き込まれた。
そうしてその手がシルヴィオらしき人物の顔を描こうとしたところで、再び筆が止まる。
「……ナターシャ様?」
「ねえ、ジュリア様。このシルヴィオなのだけど……いっそのこと、キスをしていた方がわかりやすいかしら?」
「……っき!?」
き、ききき、キス!?
いまナターシャ様、真面目な顔でキスって言った!?
ふっとシルヴィオの唇の感触が思い出されて、咄嗟に自分の口を覆う。そうだ、私もうファーストキッスを……シルヴィオと……。
「ええ、やっぱり。ベールをしているのだもの、頰にキスをするくらいの方がお知らせとしてわかりやすいはずだわ」
そう言いながらさらっと描き上げられた絵を見てすぐさま動揺した私は、あろうことか震える手でお茶を飲もうとしてしまった。
「そ、そう、ですわね……っと、ああ、どうして……!」
「ジュリア様!?」
手の震えに合わせて波打つお茶が、次第にカップの淵を越えてテーブルクロスに溢れていく。
慌ててカップを置いて濡れてしまった部分のクロスを畳んでも、その時にはもう後の祭りだった。
……いや、正確にはその時こそが後の祭りだった。
「……これは、昔のお知らせ……?」