馬子にも衣装
「着いたか」
馬車の外からはレオと女性の会話が聞こえ、ゆっくりと戸を開ける準備をしている音がする。
戸が開くより早く静かに立ち上がったシルヴィオがマントを外し、すっかり色の変わったところを折り込んでベールのように深く被せてくれた。
「急拵えですまない。……ひとまず、私に任せて着いてきてください。」
そう言い終わると、難しい顔から最初に見た綺麗な王子スマイルに切り替えたシルヴィオが、手を差し伸べてくれる。
王子スマイルだと口調もそれらしく変わるのかな、とシルヴィオの変化を少しだけ面白く思いながら、そっと手を重ねたタイミングで戸が完全に開かれ、二人の間に光が差し込んできた。
「シルヴィオ様、お城へ到着しました。」
「ああ。レオ、部屋の準備は出来ているか」
「恙無く。」
シルヴィオと私の様子を確認したらしいレオが、一歩引いて戸を抑えてくれる。
先に馬車の外へと降りたシルヴィオの手に体重を預けて馬車の段を降りようとする、が、泣きはらした顔への配慮のマントで前が見えない。うーん、困った。
「詳細は今メイド長に、」
「レオ、ありがとう。シルヴィオ王子、お帰りなさいませ。……花姫様も、よくぞお越しくださいました。わたくしはメイド長のブルーナと申します。」
「ああ。……花姫様?」
レオと年配の女性の声に続いて、シルヴィオの怪訝そうな声がする。
不思議そうに覗き込んできたシルヴィオと目が合った。私の困り顔を見て、何かを察したのか、手のひらが解放される。
「花姫様、失礼します」
と、同時に膝裏にシルヴィオの腕が回され、そのまま後ろに倒れそうになる背中をすぐに反対の腕に捉われる。
何事かと思わず手近な服を掴むと、私の理解が追いつくより前に体が宙に浮いていた。
こ、これはいわゆるお姫様抱っこというやつでは!?私お姫様じゃないけど!い、いやこの世界ではお姫様か!?
「まあ!うふふ、あのシルヴィオ王子が」
「ブルーナ。」
「これは失礼いたしました。ではお部屋へご案内いたしましょ。」
「そうしてくれ」
どこか楽しそうな声音のブルーナと、対照的に咎めるような声音のシルヴィオ。しかしマントの隙間から見えたシルヴィオの顔は、そんなに難しい顔をしていない。
私だけがお姫様抱っこという混乱状態に取り残されたまま、構わず歩き出したシルヴィオに合図を送るようにその胸を軽く叩く。
叩かれたシルヴィオが首を傾げて、口元に耳を寄せてくれた。
「もういいです、自分で歩けますよ!」
ひそひそと内緒話のように耳元で訴えかけると、シルヴィオは無言で首を振る。
「どうせ見えないのだ。このまま私に身を預けておくといい」
「んな、重いでしょう……!」
「これでも鍛えているもので。」
ボソボソとやり取りをしている気配に堪え切れないといった様子でブルーナの笑い声が聞こえた。
「花姫様はこの国に着いたばかりだというのに、もうそんなに仲睦まじくなられて」
「……ブルーナ、」
「ブルーナは嬉しゅうございます。シルヴィオ様はこれまで、どのようなご令嬢方にも見向きもされてこなかったというのに」
「よせ、花姫様に聞かせることでは、」
「あら失礼を。これも花のお導きでしょうかね。」
マントから見える範囲は狭く、お城の中らしき壁とシルヴィオの口元しか見えない。足取りに揺れるその口元が、機嫌悪そうに引き結ばれている。メイド長とのやり取りにしてはなんだかやけに微笑ましい。
「さあ着きましたよ。……こちらが花姫様のお部屋でございます。」
ブルーナの足音が止むとギギッと重そうな木の音が鳴り、ひんやりとした風が吹くのと一緒に花の香りがする。
シルヴィオがそのまま進もうとすると、すかさずブルーナの手が静止するように伸ばされた。
「……お待ちくださいシルヴィオ様。淑女のお部屋にそのまま入られるおつもりですか。」
「花姫様は私と婚姻関係になる」
「なりません。今はまだそういったご関係ではないのでしょう。ブルーナの目は誤魔化せませんよ。」
しばらく無言で見つめ合う気配がして、諦めたような溜息がシルヴィオの口から漏れる。
「わかった。……談話室の用意を、」
「もう出来ております。さ、花姫様はわたくしに任せてシルヴィオ様もお召し替えを。」
「……しかし、今は」
「シルヴィオ様。このブルーナをお疑いですか。」
シルヴィオの喉元からぐっと息が詰まる音がした。そうして、ブルーナの言葉に観念したのかゆっくりとした動きで地に足が着く。
シルヴィオの体が完全に離れる前に、名残惜しそうな気配で顔を隠すマントへ触れられる。
「……ジュリ、この城では私以外には必ず、偽りの名を名乗っておけ」
傍目にはまるで恋人との別れを惜しむような動きだが、耳元へ寄せられた唇はなんだか物騒なことを告げて離れた。
「まあ、まあ!そのように名残惜しまずとも、またすぐにお会い出来ますよ!」
呆れた様子でブルーナがさっさと行けと言わんばかりに手を振っている。しかしその声音はとても楽しそうにはしゃいでいて、シルヴィオとの関係の深さが窺える気がした。
「頼むぞ。ブルーナ」
「ええ、ええ。お任せください。……腕によりをかけますとも。」
何度かこちらを振り返るシルヴィオに軽く会釈をしていると、私にだけ聞こえるか聞こえないかという微妙な音量でブルーナが呟いた。
……ん?腕によりをかけて、一体何をするというんだろう。
「さ、花姫様!まずはこちらのお部屋に入りましょ」
首を傾げる私に先導してブルーナが開け放った扉の中へ入っていく。
促されるままに足を踏み入れると、さすがはお城というべきか、シンプルだけれどその質の良さがわかる家具で揃えられていて、その向こうには大きな窓が見える。歴史的建造物でしか見たことが無いような造りの部屋に、思わず感嘆の息が漏れた。
「わあ……素敵……」
窓から吹き込む風が、これまた質の良い高そうなカーテンと、いくつかの花瓶に生けられた花を揺らしていた。
花の香りに引かれて部屋の中程まで入ると、足元には毛足の長い絨毯が敷かれていて、驚くほど柔らかい。きっと裸足で歩いたら気持ちがいいと思う。
「気に入っていただけましたか?」
「はい、とっても……」
背後で気遣うような、けれど少し得意げな声が聞こえて振り返ると、ブルーナが微笑みながら扉を閉める所だった。
ガチャリ、という硬質な金属音と共にブルーナの手元が青く光っている。程なくしてその光は消え、私の見間違いかと目を擦ると、踵を返したブルーナが数歩近付いて、立ち止まった。
「花姫様、失礼ですがそのベールをお取りしても?」
「あ……」
逡巡して一瞬どうしたものかと固まるも、自然と先程のやりとりが思い出されて、そんなに心配する事もないかと、こくりと頷く。
「では失礼いたします」
目を伏せると濃い茶色の長いスカートが視界いっぱいに広がり、歳を重ねた指がシルヴィオのマントに触れる。丁寧に捲られ、首元からするりと引き抜かれた。
「まあ……花姫様、まさか……」
視線を上げて顔を見ればブルーナはふっくらとした顔立ちで、とても優しそうな印象のある目をしている。綺麗に纏め上げられた薄茶色の髪と同じ色の瞳が、私の目元を見るなり驚きに見開かれた。
「まさか、シルヴィオ様が……女性との好ましい関わり方がわからず粗相をされたのでは、ああいえ、そんなことを言っている場合ではないわねっ!大丈夫、話してちょうだい、力になれるわ」
ほとんど一息にそう言うと、ブルーナが私の手を取って、ブンブンと振る。ちょっといたい。
「あ……いや、これはその……」
なんといったものか、と思考を巡らせてみる。シルヴィオは今この夢の世界で唯一、私の状態を知っている人物だ。彼の立場を悪くせずに、この場を切り抜けるには……
「そう!嬉しくて泣いたんです!」
「……嬉しくて?」
へらりと笑ってみせても、ブルーナは訝しげな視線を弛めない。
「ええ……私、シルヴィオ様からとっっってもロマンチックなプロポーズを受けて……それで、」
「嬉しくて。」
「嬉しくて。」
王子スマイルを真似て、ちょっとはにかむ乙女バージョンでお送りしてみました。実際のところは決してロマンチックでも無かったし、ましてプロポーズを了承してないだなんて、言えない。絶対に言えない。
しばらく沈黙したブルーナが、ふっと表情を弛めてくれた。
勝った。勝ったよ王子。私、王子が勝てなかった相手に勝ったよ!
内心ガッツポーズを決めていると、畳んだマントを近場のソファに置いたブルーナが、思い出したように向き直る。
「これは失礼をいたしました。……そうだわ、わたくしはブルーナ。メイド長ですがこれより花姫様付きのメイドを申し使っておりますの。よろしくお願いいたしますね」
そう言って、両手の指先でスカートを広げて軽く腰を落としてくれた。身長が同じくらいなので、ちょうど軽く礼をされたのと同じ高さだ。
それに、こういうのご令嬢がするような挨拶として見たことある。もちろん映画で。
「よろしくお願いします、ブルーナさん」
「まあ!なりません、花姫様が使用人に敬称をつけるなど!わたくしのことも、他の者のこともどうかお呼び捨てくださいませね」
「え、でも……」
言い淀む私に、容赦ない視線を送るブルーナ。優しそうな顔は一瞬だけだったなあ。
「よいですか、花姫様。あなた様の存在はこの王国の成り立ちから始まり、この地に生きる国民にとって大切な心の支えなのでございます。その存在の尊さは王にも勝るとも劣らないのですよ。」
「そ、そんなに」
話しながら部屋の隅に移動したブルーナが、入り口とは違う扉を開く。マントの無くなった視界でよく見れば、この部屋にはいくつか扉があるようだった。
「ええ。ですからひとまずそのご衣装をなんとかいたしましょう。」
「はい。……はい?」
ブルーナの言葉に思わず二つ返事をして、自分の服装を省みながら胸元を見下げると、なんとも飾り気の無い紺色のワンピースを着ていた。更に下に見える足元はローヒールの黒い靴。
「まるでわたくしたち使用人のお仕着せですもの。そのお姿を見たのが限られた街の民だけで良かったと幸運に感謝する他ありませんよ!」
そう言いつつブルーナが別の部屋に消えていく。広い部屋に取り残されて手持ち無沙汰な私も、その後を追うことにした。
覗き込んだ部屋の壁は棚になっていて、複数の瓶や様々な布が並んでいた。さらにその奥には扉のない部屋が続いていて、湯気のような白い煙とほのかな花の香りがする。
どうやらブルーナはその奥の場所にいるようだ。
「ブルーナさ……ブルーナ、何を」
「さあさ、花姫様。湯浴みの準備が整いました。」
「……え、」
「失礼いたしますよ」
身構える私に、エプロンを付けたブルーナが近寄ってくる。
「いや、あの、お風呂は自分で入ります!」
「いえ、そうは参りません。花姫様の肌や髪を見ればお手入れがお得意でないことはよーうくわかりますもの。さ、時間は有限です。」
「ひえ……!」
私が身に付けていたものに不思議そうな反応をしながらも、あれよあれよという間に慣れた手付きで服が剥ぎ取られ、抵抗する気持ちも虚しく湯船に沈む。
悔しいことにとても心地よい。
湯温も洗い方も完璧で、夢の世界だとしたって眠ってしまいそうなくらいだ。
目元のケア用にタオルが置かれていて、見えはしないが、ブルーナが私の髪を丁寧に梳いている。
初対面なのにどうしてこう落ち着くんだろう。
湯船に浮かぶ花の香りにリラックスしてふぅ、と息を漏らすとブルーナが頭上で微笑む気配がした。
「花姫様の髪はやはり、とてもお綺麗でございます。これから毎日この髪に触れられる幸運に感謝しなければ。」
「そこまでですか?」
「そうですよ。この王国には花姫様の他に、このような美しい色をした髪を持つ者はおりません。」
そう言われて今まで出会った人を思い出すと、たしかに黒という色は見たことが無い。ファンタジーさながらの色ばかりだ。
「……花姫様って、必ず王様や王子様と結ばれてきたんですか?」
「ええ。建国以来そう伝わってございます」
「だとすれば、花姫様の血を受け継いだ子供が黒髪だったということは」
「記録には詳しいことは載っておりませんが……おそらく、父方の血が強く影響するのでは無いかしら。初代の王も銀の髪でしたから……と、終わりましたよ」
目元のタオルを外したブルーナが、にこりと微笑む。
「これで大丈夫ですわね」
どうやら目元の腫れはすっかり引いたらしい。湯船に浮かぶ花びらを払いながら立ち上がると、ふんわりとしたタオルで拭ってくれた。至れり尽くせり。
「ありがとうございます」
「お礼なんてよろしいんですのよ!花姫様付きのメイド自体が光栄なんですもの。」
エプロンを外しつつ肩を竦めて見せたブルーナに続いて瓶が並ぶ部屋へ移ると、薄手の白のワンピースと太ももの部分に膨らみのある短いズボンを着せられる。ワンピースの胸元にはひらひらとした布が何層かに縫い付けられていた。
「参りますよ」
用意してくれていたサンダルのような木靴に足を入れたのを見届けると、手招きながら最初の部屋へ戻り、一つ隣にあった扉を開けてその中に入るように促す。
促されるまま入った部屋には、大きな鏡台のスペースと、これでもかと詰め込まれたドレスが並んでいた。
「すごい……」
「このブルーナ、久しぶりに腕が鳴りますわ!」
そう声高く宣言するや否や、目星を付けたドレスをいくつか引っ張り出して私の顔と合わせ始めた。
「背格好やお体の大きさは把握できたので完璧ですが……美しい髪の色に負けてしまうものばかりですわねえ。これはシルヴィオ様に贈っていただかないとなりませんわねえ!うふふ」
楽しそうな様子に口を挟むこともできず、当然ながら普段は見慣れない豪華な衣装ばかりでろくに口も出せず。大人しく待っていると、一応の合格ラインに達したらしいものがいくつか選ばれた。
「さ、この中からひとまず選ぶと致しましょう。」
どのドレスもふんわりと可愛らしく、花の刺繍が細かいものが多い。その中でも、一着のドレスに目が止まった。
首元から足元までシンプルな紺色の布地で、腰の切り替えに沿って薄い白のレースが巻かれている。そのレースのリボンが結ばれた腰から下の部分は紺の布が開いて淡い水色のレースが少しずつ色を変えて層になっているのが見えた。
紺の足元に縫い付けられた刺繍は白い小さな花で、所々に真珠のような小さな粒が縫い付けられていてとても美しい。少し膨らんだ肩口にも同じ花が縫い付けられていて、手元までは長いレースの袖が広がっている。
「花姫様はそちらがお好みでございますか?」
「えっ……と、綺麗だな、とは……」
ブルーナの声にハッとして視線を向ければ、なんだか少し意味ありげに笑っていた。
「うふふ、シルヴィオ様の瞳の色と似ておりますものねえ」
「あ!え!いや、ぐ……偶然ですよ!」
「ではこのドレスにいたしましょ」
あわあわと否定する私に有無を言わせぬ笑顔でドレスを着せにかかる。これまた慣れた手付きでサクサクと着せられて、下に履いた膨らみのあるズボンのおかげか、足元がやんわりと広がってこれまた美しい。
ドレスは、たしかに美しい。ドレスは。この、なんとも言えない場違い感がつらい。
「よくお似合いでございます。まるで最初から仕立てられているのかと思うほど……」
ほう……と溜息を漏らすブルーナに心痛みながら、引いてくれた椅子へとそっと腰掛ける。
鏡に映った見慣れているはずの自分の姿は、ドレスのおかげか、ブルーナの腕前か、なんだかとても別人のように見えた。
「ま、馬子にも衣装効果……!?」
「マゴ?……理解はできませんが、花姫様は元の素材が大変良ろしかったですから、手入れのし甲斐がございました」
思わず口走った言葉に一瞬首を傾げるも、すぐに笑顔に変わったブルーナがツヤツヤと光る髪を梳き上げて、横に分けた髪を編みこんでいく。
髪を纏められながら自分の頰に触れてみると、驚くほどつるつるすべすべで、ブルーナの腕前にただただ感心する。
「ブルーナ……とても良いお仕事をされますね……!」
「うふふ、お褒めに預かり光栄でございますわ」
鏡越しに軽く礼をすると、編み込んだ髪を後ろでまとめ、髪の編み目に白い花を差し込んでいく。
「綺麗ですね」
「そうでしょう、そうでしょうとも。この国で髪に花を飾ることが出来るのは花嫁と花姫様だけと決まっておりますからね」
得意げに笑って、鏡台の上に並んだ小瓶からオレンジ色に近い赤色のものを手に取ると指先で掬って私の唇に乗せた。すうっと伸ばされた色を鏡で確認すると一気に顔色が明るくなったのがわかった。
「出来ました。花姫様、大変美しゅうございます。さ、後はこの靴に履き替えて……シルヴィオ様にお披露目に参りましょ」
木のサンダルから綺麗な艶のある青色の靴に履き替えさせてもらい、そのままそっと立ち上がり足早に衣装部屋を出て行こうとするブルーナの方へ慌てて向き直る。
「……あ!ブルーナ、」
「はい、どうなさいました?」
不思議そうに首を傾げるブルーナへ、少し気恥ずかしいけれど、ブルーナが先程してくれたのと同じように両手でドレスを広げて見せる。
「私、ジュ……ジュリアと申します。」
さらっと名前を言いかけたところで、ふと部屋に入る前のシルヴィオの言葉が思い出されて咄嗟に付け加えた。そのやっつけ感を誤魔化すように、ぎこちない礼も添えて。
「ありがとう、ブルーナ。」