あの方とゴテゴテ婦人
「失礼いたします、ジュリア様。ただいま戻りましたわ」
扉の外から聞こえてきたのは、ブルーナの声だった。
私の肩にそっと手を置いてから、シルヴィオが立ち上がって扉に向かっていく。
「……リータ?返事は、」
「ブルーナ、私だ」
「……シルヴィオ様!?一体どうして、」
声だけでも、ブルーナの慌てた様子が十分に伝わってくる。
深い追求をされるより早くシルヴィオが扉を開いた。
「ひとまず中に。」
「え、ええ。……リータはどこに?」
面食らったブルーナが促されるまま中に入ると、その視線が部屋を一周する。
そうして、訝しげに首を傾げた。
「実は……」
席を促しながらここで起こったことのあらましをシルヴィオが説明すると、ブルーナの表情がみるみる変わっていった。
「まあ、まあ……なんということ……。淑女の部屋に無理に押し入るなど、わたくしは教えた覚えもありません。一体どうしてそんな、」
「……もしかすると、あの方が今イグニスにいるのと何か関係があるのかもしれない。」
「え?」
「ん?」
私の問いを含んだ声を、シルヴィオから問い返される。
「どうした、ジュリア」
「いやその、ちょっと混乱して」
あの方っていうのが街で会ったゴテゴテ婦人で、四人組が言ってたあの方は王になる権利を持つ人で、その四人組を連れてイグニス王国に向かったのはゴテゴテ婦人。
「……ゴテゴテ婦人と第一王子に何の関係があるのでしょう……?」
「ゴテゴテ婦人?」
「ああ、あの、街で会った高飛車な女の人のことです」
「ご……っ」
もう一度ゴテゴテと言おうとしたらしいシルヴィオが、不意に顔を伏せて体を震わせる。
「シルヴィオ様?」
「っふ、ふは……すまない、例によってその、」
「……こんな事を今まで言うものが居なかったというやつですね」
肩を竦めて私がそう言うと、横でお茶を淹れるブルーナがなんとも不思議なものを見るような目で私たちを見ていた。
「で、どんな関係が?」
「ふう……どんな関係も何も、あの方こそがエドアルドの母、アドリエンヌだ。」
やっと落ち着いたシルヴィオが呼吸を整えて、ふと感情を抑えるような真顔になった。
「私には幼い頃から全く良い思い出の無い人だが、……実の親子となれば別だろう。母は隣国イグニスへ、そして子は花姫様の部屋へ。たった一日後の偶然にしては、出来過ぎている。……祝祭での企みがどちらの案なのかはわからないが、まず関係が無いことはあり得まい。」
あの金髪ゴテゴテ婦人が、偉そうなエドアルドの母だと思うとなんともしっくりくる。
アドリエンヌと会ったのはわずかな時間だけれど、これといって疑う余地が無いほど本当にそっくりだと思う。
「あの親にしてあの子あり……」
「うん?」
「いえ!……ってことは、第一王子を取っ捕まえて話を聞けば企んでること全部、まるっとわかるってことですか?」
「その可能性はある。……が、あの兄上が口を割るはずがないだろう。それに、捕まえる口実もない」
むう、そうか。ちゃんとした決まりごとも無ければ、基本的な問題ごとは全部話し合いで解決しなくちゃいけないんだった。
新しい決まりごとを周知するのが祝祭だと決まっている以上、現時点では誰も罰し得ない。
「このまま祝祭を待つしかないんですかねえ……」
「しかしそれでは、お二人に危険が」
そう言いかけたブルーナに、あっと思い出してベールの描かれた紙を見せる。三度目ともなれば、もう説明もこじつけもするりと出てきた。
「……なるほど、これはとっても素敵ですわね!」
一通り話を聞いたブルーナが、紙をじっと見ながら少女のような瞳で笑う。
「叶うならば、わたくしも身につけとうございました」
「付けたらいいじゃないですか」
「……嫌だわ、ジュリア様。わたくしはロベルトと一緒になってもう随分経ちますもの。これは新しい花嫁と花婿の幸せを願うものでございましょ?」
言われて、ハッとする。
そうだった、私がそうこじつけたんだっけ。
危ない危ない。
……でもたしか、結婚してから何年目とかでお祝いしたりするの、あったよね?
さすがに花嫁のベールと同じとはいかなくても、どうにか出来ないだろうか。
それで街中の女性がベールを付けてくれるとしたら、私はとても有り難いし。
良い案が無いかと頭の中で練っていると、ふとシルヴィオと目が合った。
「……なんだ?」
「シルヴィオ様、私が描いたこのベールよりずっと短くて、模様自体に小さな花があるようなものって描けますか?」
「ま、待て、ジュリア。私が描くのか?」
「はい!出来ればそのままお知らせとして配布したいので!」
にっこり笑った私に小さく溜息を吐いて、シルヴィオがガラスのペンで私の想像を軽々と超えた絵を描いてくれる。
「すごい、可愛いです!」
「……ドレスはどうする?」
「うーん。ブルーナのお仕着せを、もう少しだけ豪華にしたような、落ち着いたドレスが良いと思います!」
シルヴィオの描いた、レースが何枚か重なった短いベールの絵と、実際のブルーナを見比べて想像する。
うん、きっと似合うはずだ。
「ど、どうしてわたくしを?」
突然見比べられたブルーナが、不思議そうに首を傾げた。
「ふふ。ベールの案を二種類用意できればと思いまして。」
「……二種類、ですか?」
「はい。一つは花を飾る新しい花嫁のもの。……もう一つは既に婚姻の済んだ花嫁のものです。折角の祝いの場ですし、すこーしデザインを変えることで、全ての花嫁をしあわせに出来ればと思ったのです!」
急な思いつきではあるが、えっへん、と胸を張る。
私の言葉に促されて、シルヴィオが描いてくれた絵を見たブルーナが途端に目を潤ませた。
「なんと、なんとまあ。……幸せなことなのでしょ。まさかこんなに素敵なものを、わたくしも身につけられるだなんて」
これはすぐに仕立てなくては、と意気込んで、ブルーナがなんとも幸せそうに笑った。きっとこの顔を見たら、あのロベルトもデレデレになってしまうに違いない。
くう、見せられないのが惜しいところだ。
「ジュリア、……その隣に花を飾った長いベールと、それに合わせた適当なドレスも描いておいた」
「わ、ありがとうございます!何も言わずに描いてくれるなんて……!」
「……描いたついでだ。しかし、青インキで大丈夫か?」
あ、そうだった、そういえばさっき色の作り方を考えていたんだっけ。
シルヴィオの繊細なタッチで描かれたドレスとベールは、その色味が全く気にならないほどに美しい。
……でもこれが緑だったら、もっと具体的に想像が出来る気がするんだよなあ。
黙り込んだ私を、シルヴィオが少しばかり不安そうに見ている。
「……駄目、なのか?」