心の矛盾
「ああ、兄上。もし、もしも不届き者を見かけたら……次は無いとお伝えください」
シルヴィオの言葉に一瞬だけ歩みを止めて、そのまま振り返りもせずエドアルドが去って行く。
姿が完全に見えなくなると同時にシルヴィオが駆け寄ってきて、その勢いのまま強く抱きしめられる。
「……シル、ヴィオ様、」
「ジュリ、助けが遅くなってすまない。また君にこんな思いをさせてしまうなど……」
私の耳元で長々と懺悔を始めそうなシルヴィオの背中を、ゆっくりと撫でてなだめる。
たったそれだけのことなのに、不思議と私の心が凪いでいくのがわかった。
「あの……どうしてここに……?」
もぞりと身動いで、間近にあるシルヴィオの顔を見る。
やっと伺うことの出来た表情はなんとも心許無く、私への心配で揺れているようだった。
「……声が聞こえたのだ。リータが私の予定を確認しにきた時、とても嫌な予感がして、そうしてあなたの……助けを求める声が聞こえた。ついでに、兄上の声もな」
そう言いながら、見上げる私の額へシルヴィオの額が優しくくっつけられる。
な、なんでこんな、お母さんが子供の熱を測るみたいな……ていうか、ち、近い。
「あなたの持つ花石と私の花石が、元は一つの石だったことも良い方向に影響したのだと……ジュリ?」
そ、そういえば私、この人のこと好きなんだっけ?
あれ……たしか、いつだったか……この人に、好きって、言っちゃったんじゃなかったっけ?
あの時はあまりにも簡単に、つるりと口から出てしまった。それを今更ながら思い出して、急にものすごく恥ずかしくなる。
いや、でも、ほら、好きにも色々種類はあるわけだし?
どんな好きかなんてーー
「無事か?」
ぷつっと私の思考が途切れたところで、シルヴィオにまっすぐ見つめられているのに気がついた。
日常と化したエスコートやら何やらで、もう慣れたと思ったシルヴィオとの距離感も、好意を意識してしまうとなんだか妙に気恥ずかしい。
「あ……」
この人は今私のことをどう思っているんだろう、なんて考えかけたのを自分の中で誤魔化すように頭を振って、そのまま視界の端に転がっている破片を指差した。
「え……ええと……あの、と、扉以外は」
「……すぐに直す」
やや仕方なさそうに頷いたシルヴィオが、予想していたよりもすんなりと私を解放した。
慌てて駆け寄ってきた割に、すぐに離れたのがなんかちょっと寂しい。
……ん?
なんでいま、私、寂しいだなんて思った?
ここは近過ぎた距離が離れてむしろホッとするところではないのかと、自分の心の矛盾にたくさんのはてなマークが浮かぶ。
「立てるか?」
「あ、はい!大丈夫です」
「……少し離れていてくれ。」
差し出してくれた手に有り難く体重を預けて立ち上がり、廊下に立ったシルヴィオに言われるまま扉の破片の無いところに移動する。
「リパラツィオネ」
シルヴィオが花石を握ってそう唱えると、辺りに散らばった破片が宙を飛んで、元あった位置に次々と戻っていく。
まるで時間を巻き戻しているみたいだ。
シルヴィオの手の先で続々とパズルのように破片がくっついて、やがて青い光と共に見慣れた扉の形に収まる。
「……よし、上手くいったな」
「す、すごい、すごいです!」
廊下の外側から確かめるように扉を開けて、そこでふとシルヴィオの動きが止まった。
「シルヴィオ様?」
首を傾げて呼びかけながら、少し気まずそうに視線を泳がせたシルヴィオの手元をなんとなく見る。
……あ。
「……いや、その。入っても、良いか……?」
「あー!!」
「っな、なんだどうした!?」
遠慮がちに口を開いたシルヴィオの言葉を見事に遮ってしまった私の元に、心底慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ジュリ、どうした!?どこか痛むのか、」
「あ、ああ、いや、その。扉、なんですけど」
そのあまりの形相に、なんと言ったものか悩みながらゆっくりと扉の取っ手を指差す。
「……何か不備があったか?」
「私、鍵を閉め忘れてました」
「うん……?」
ちゃんと鍵を閉めてればあんなことにはならなかったのに、いつも扉の開け閉めを任せてるせいで、くう迂闊だったー!と次々に並べ立てる私を、なんともいえない表情のシルヴィオが見守っていた。
「そうか、そうだな……」
「ごめんなさい、シルヴィオ様」
頷いて全てを聞いてくれたシルヴィオに、しゅんとして謝る。
「む、何故謝る?」
「だってその、ただでさえ忙しいところに要らぬお手間を」
「ジュリ」
謝意を述べる為に事実を引っ張り出そうとした私を、シルヴィオが首を振って止めた。
「私はあなたを守る為ならなんでもする。仕事の一つ二つ増えたところで何も手間ではない。……何より、無事で良かった。」
そう言いながら私の手を取って、そのまま指先に優しく口付けられる。
くすぐったいようなその感触に、何故だか私の胸が高鳴った。
「シルヴィオ様……」
「……ああ、ただ。」
「ただ?」
「以後、鍵は充分気をつけるように。」
「はい……すみませ、んむ!?」
しゅんと小さくなって謝ろうとした私の唇を、シルヴィオの指が柔らかく塞いだ。
どこか試すような口調で、シルヴィオが笑う。
「ジュリ。こういう時に謝るのは、あなたではないだろう?」