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私の名前は、



「私と正式に婚姻関係になってほしい。」



……やっぱり。


「あの、ちょっと、ちょっと待ってください!」


王子の口ぶりじゃ私なんかに拒否権なんてものは無いのでは!?と焦りながら、王子に向かって待った、と手を伸ばす。

伸ばされた手を不思議そうに見てから、王子がその手を掴んだ。


「私ではご不満ですか」


苦しげに眉を寄せて、わざとらしく問いかけてくる王子と、掴まれた手が熱くてより一層パニックになる。


「いや、不満とか不満じゃないとかそれより先に!」

「先に」

「まず、まず言うべきことがあるでしょう!」


はて、といった様子で怪訝な顔をする王子の言葉に思わず声が荒くなってしまう。


「……あなたでなくては駄目なのだ。私は、」

「違います!口説き文句なんかじゃなくて!」

「いえ、真実です。それに口説き文句ならばもっと違う言葉を……」

「あー!もう!」


話がこれっぽっちも噛み合わないことに溜まった苛立ちが抑えられず、立ち上がる勢いを利用して掴まれていた手を振り払うと、そのまま思い切りよく王子を指差す。


「ちっがーう!名前、名前ですよ!!私あなたの名前も知りませんし、王子だって私の名前を知らないでしょう!?それで結婚だなんて、ちゃんちゃらおかしい話ですよ!」


思いのままに並べた声は、自分が思ったよりもずっと大きかったせいか、きょとんと目を開いたままで固まった王子が動かない。


ああ、やってしまったかもしれない。


夢とはいえ一国の王子に向かって指を指して怒鳴ってしまった。極刑も有り得る。夢とはいえ。

一向に動かない王子と、しでかしてしまった事にさっと血の気が引いていく。気付けば指の先が震えていた。


「あの、」


震える指を動かそうとしながら恐る恐る声をかけると、ハッとした様子の王子が冷たくなった私の指を両手で握り込む。


「……すまなかった、私としたことが。あなたにこの様な恥をかかせてしまうとは。」


王子の温かな手と、本当に申し訳なさそうな表情に小さく安堵の息を漏らす。なんとか極刑は免れそうだ。


「何分、ここ十数年と名乗ることが無かったもので……私の名は、シルヴィオ。フィレーネ王国第二王子です」

「そ、それはたしかに、王子様のこと知らない国民なんて居ないですもんね」

「ええ、まあ……」


すんなりと名乗られたことに気が抜けて座席に座る。

同時に私の手を包み込んだ両手に少しだけ力が加えられ、自然とシルヴィオ王子に視線が向く。と、これまた難しそうな顔をしている。


「あなたの名前は、教えてくださらないのか」

「あ!そうでした。私は……ジュリ……あ……?」


名前、名前。あれ?

どんな漢字で書くかとか、純日本人の私には苗字だってあった筈なのに、思い出せない。


「ジュリア?」

「へ」

「ジュリア様という名でしたか……素敵な響きだ」


おかしい。違うのに、否定する気になれない。

夢、だから、なのかな。夢だもんね。


「……花姫様?どこか具合でも……」


私の様子を少し挙動不審に感じたのか、シルヴィオ王子が顔を覗き込んできた。物憂げな顔も変わらず美しい。


「あ、ああいえ、大丈夫です!王子の気に留めるようなことでは、」


慌てて笑顔を作って首を振ると、握られた手はそのままに、反対の手が私の頰へと触れた。温かな感触に包まれるのと同時に、黒い髪が王子の手の動きに揺れる。


「シルヴィオ」

「えっ」

「……私はあなたの名を呼びたい。あなたにもその美しい唇で私の名を呼んでほしいのだ。」


難しい顔をしている世にも美しい人が、耳に心地よく響く低温で囁く。これが夢でなくてなんなのだろう。


そう思いながら唇に添わされた王子の指先に導かれるまま、その名を口にしていた。


「シル……ヴィオ……さま?」


さすがに一国の王子を呼び捨てにするのは居た堪れず、そっと敬称を付け足す。それでも満足していなさそうな顔で、シルヴィオが薄い唇を開く。


「花姫様。……無理に聞くことはしたくない……が」

「はい……?」

「花姫様の……あなたの名前に……何か、あるのでは、」

「へ……ああだから、また花姫って……呼んで……」


歯切れ悪く話す王子が、やけに難しい顔をしていたのは私を心配していたからだったのかと思った矢先、渇いている筈の目元からぽろっと涙が溢れ出た。


「あれ……」


何故だか感情がついていかない。それなのに次から次へと溢れていく。


「おかしいな、なんで……私、」


止め方もわからず、咄嗟に手のひらで拭おうとした私を見て、少しだけ驚いた顔をしていたシルヴィオがマントで拭ってくれる。

その手付きは変わらず優しいけれど、なんだか少し雑で、慣れないことをしているのが指先から伝わってくる。


一向に拭い去れない涙は、留まることを知らず、どんどん私の視界を滲ませていく。やがて滲んだ白と青が席を立つ気配がした。


「……失礼。……無理に、考えなくてもいい」


ぼんやりとした世界の中で、隣に座り直したシルヴィオに抱きしめられた。

この夢の世界で最初に感じた温かさと同じ温度で、不思議とじんわり心が熱くなる。


熱くなった心が、まとまりのない言葉になって唇から溢れ出た。


「わ……わた、私、思い出せなくて……っ……名前の一部がジュリって事しか……どうして、これは、夢なのに……」


混乱する私の背中をさすってくれるシルヴィオの手が、胸が、温かい。頰を伝う自分の涙が生温く、唇に触れてしょっぱい味がする。漏れる嗚咽の隙間に、私の顔を見ないようにしてくれているシルヴィオの心音が届く。


ああ、薄々変だなとは思っていたけれど。まさかね。


五感がある夢なんて早々あるものじゃない。

これは、一体なんの悪い冗談なんだろう。


「……シルヴィオ様、」

「うん?」


無言で嗚咽に震える背を撫でていたシルヴィオが、私の呼び声に柔らかい声で応えてくれる。


「お願いが、あります」

「私に出来ることならば。」

「……私の、私の名前を呼んでください」


一瞬、私を撫でる手が止まる。小さく息を吸う音と共に、今度はぽんぽんと背を叩かれた。


「……ジュリ」

「もっと、」

「ジュリ。……ジュリ」


幾度となく応えてくれる優しさと、シルヴィオの胸を伝って響く声に身を預けながら、ゆっくりと呼吸を整えて思い出せる範囲のことを吐き出していく。といっても、その情報はずっと少なかった。


「私……ここでは無い、別の、どこか暖かいところにいて、夢を見て……気がついたらあの場所に浮かんでいて……今、ここにいるんです」

「夢……」

「この夢はいつ覚めるのかわからないけど……シルヴィオ様は、ありえないと笑われますか」


もしかしたら覚めない夢かもしれない、と口に出すのが怖くなって、ふとシルヴィオの顔を見上げると、その表情はやはり難しい顔をしていた。

私の視線に気付いたシルヴィオが、涙で色の変わってしまったマントでもう一度目元を拭ってくれる。


「……花姫様は、花が導いて、舟が運んでこの国に辿り着く伝承。辿り着いた時には鐘が鳴る。そう、伝わっている……。想像した事は無かったが、別の世界から訪れるということも可能性として大いにある……だろうと、思う。」


少なくとも笑うなんてとんでもない、と付け加えて、難しそうなままの顔で決まり悪そうに髪を掻き上げた。

細い銀髪がはらはらと指の隙間から溢れていく。


「伝承の花姫様は、最後どうなるんですか」

「……残念ながら、その記録は残っていない」


すい、とシルヴィオの視線が逸れる。

と同時に、ぴたりと馬車の揺れが止まった。


「着いたか」



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