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よく眠れるおまじない



「道理だな。……ジュリア、今日はもう遅い。部屋まで送ろう」



差し伸べられた手を取って、自室までの道のりを歩く。

誰も話さず、静かな布ずれの音だけが廊下に響いた。


いつもはあっという間の距離なのに、今日はやけに長く感じる。


ちらりと半歩先を歩くシルヴィオの横顔を見ると蝋燭の灯りに照らされているにも関わらず、その顔色が少し青く見えた。


「……シルヴィオ様、」


私が迷いながら声をかけようとしたところで、ちょうど部屋の前にたどり着いた。


「おやすみ、ジュリア様」


立ち止まってこちらを向いたかと思えば、一言だけの挨拶をしてそのまますぐに去ろうとする。


どうしてだろう、このままこの人を帰してはいけない気がする。


ふとそんな考えが過って、思わず胸元の花石を握りしめながらシルヴィオの手を掴んで引き止めた。


「……ジュリ……?」


疲れの滲んだ顔から小さく漏れた戸惑いの声が、私のすべき事を示した気がした。


お母さんが、眠れない私の側でよくしてくれたこと。それを頭の中で想像すると、握りしめた花石が応えるように優しく光る。


「……おやすみなさい、シルヴィオ様。どうか、どうか……よく眠れますよう」


すっと手を伸ばすと、ギリギリ届く範囲に捉えられた。そのまま指通りの良い髪をゆっくりと撫で付けて、目一杯の背伸びをしながらシルヴィオの頰に口付ける。


瞬間、口付けた場所が私の唇の形に淡く光って、すぐに浸透するように消えてしまった。


「……!」


ばっと自分の頰を抑えて、何が起こったかわからない様子のシルヴィオと見つめ合う。

一瞬にして顔色の悪さと疲れの色は消えたようで、……いやむしろ耳まで真っ赤だ。


背後で様子を見ていたロベルトとブルーナの二人も、敢えてこちらを見ないようにしているのか、廊下はしんと静まり返っている。


しばらくしてわなわなと唇を震わせて、真っ赤なままのシルヴィオが口を開いた。


「い、いまなにを」

「なにって……おやすみのちゅうです」


小さい頃に怖い夢を見た時、嫌なことがあった日、枕元でお母さんがよくしてくれたおまじないだ。

不思議と安心して、よく眠れたものだけど。


「ちゅう!?」

「はい、よく眠れるおまじないです」


母直伝なんですよ、と笑うと片手で顔を覆ったシルヴィオが盛大に溜息を吐いた。


「……私以外に、こんなことをするんじゃないぞ」

「え?」

「絶対だ、絶対だぞ」


続けて釘をさすシルヴィオに、少し首を傾げながら頷く。


「……まったく、あなたはわかっているんだかわかっていないんだか……」


難しい顔で独り言を呟いたシルヴィオが、私をぎゅうっと抱き寄せた。

擦り寄るように私の耳元へ唇がくっつけられて、声を潜めて低く囁かれる。


「婚約者といえど……いや婚約者だからこそ、このような場であなたからこんなことをすれば、それは閨へ誘っているのも同じだぞ」


髪を纏めてあるせいで、直に唇が触れる感触がとてもくすぐったい。そのくすぐったさに笑いを堪えながら、言われた事を考える。


ねや……閨って、寝屋?

寝屋ってことは寝室、寝る場所に誘うってこと、は。


そこでピタッとフリーズした私の頭が、かっと頰を熱くさせた。


「ち、ちが、そんなつもりじゃ!私はただ、」

「わかっている。……ありがとう、ジュリ」


慌てて否定すると、身動き出来ない私の耳元でシルヴィオが小さく笑う。


「おまじないのおかげだな。少し楽になった」


そう言って私を解放すると、もう一度気が抜けたように笑って、シルヴィオとロベルトが去って行く。


その姿が見えなくなって、やっと部屋に入った。


「今日は目をつむりましたが……リータには見せられませんわよ。」


部屋に戻るなり、今日お叱りを受けた内容を含めて今一度ブルーナに釘をさされてしまった。


「……はい、申し訳ございません」


お小言を聞きながらお風呂と着替えを手伝ってもらい、しゅんとして謝る私にブルーナが少しだけ肩を竦めた。


「けれど、本当に……ご無事で何よりでございました。わたくしは、勝手ながら……ジュリア様のことをリータと同じように思っておりますの」


実の娘であるリータと同じように、と付け足したブルーナの瞳は変わらず優しいままで。

不意にぱっと首を振って、微笑んだ。


「いいえ、出過ぎた言葉でございました。……どうかご自身を大切になさってくださいませ」


子を想う母の感情を思うと、ぎゅむっと心が締め付けられる。……私のお母さんも今、同じように私を心配しているのだろうか。


「ごめんなさい、ありがとう。ブルーナ……気をつけます」


深く反省をしてお母さんに言うように話すと、茶化すように肩を竦めたままのブルーナと笑い合う。


明日からはリータもここに加わるのだ。もう気を抜いてる場合じゃないぞ、と自分に気合を入れてベッドに潜り込む。


「おやすみ、ブルーナ」


瞼が完全に落ちきる前にブルーナに挨拶をすると、とても柔らかい声で言葉が返ってきた。


「ええ。……ジュリア様、シルヴィオ様のこと……ありがとうございました」


迫る眠気に勝てず、ぼんやりとして聞こえたブルーナの言葉を聞き返す。


「……いえ、おやすみなさいませ。ジュリア様」



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