精霊避けの呪い
「だから、今は……回復を祈りましょう」
蝋燭の揺れる部屋に、シルヴィオの小さな嗚咽が響く。
ゆっくりと深呼吸をしてそっと涙を拭ったシルヴィオが、まるで大切な思い出のアルバムをめくるように優しく話し出した。
「……思えばレナードは、幼い頃からずっと側にいてくれたのだ……ずっと。そうして私が父上から馬車を与えられる頃、レオと出会った」
そういえば正確な年齢を知らないな、と思いつつ、目を伏せたシルヴィオを見る。
見た目でいえばシルヴィオは私と然程変わらない気がするけれど。
幼い頃から一緒にいるんだとすれば、猫として考えるとかなりの長生きだ。
「レオは御者として馬の扱いに長けているのは勿論のこと、どこからか情報を集めてきたり、時には異国で私と背を合わせて戦ったこともあった」
「ハイスペック……」
「はい?」
「あ、いえなんでも!」
シルヴィオの口振りからすると、人間として考えるにはとてもじゃないが能力値が高過ぎるし、猫として考えるには全部が全部不思議すぎる。
ロベルトはたしか、人に似せて生活を送る精霊がいると言っていたっけ。
ふとこの国で出会った精霊の存在を思い出すと、それはとてもしっくりくる答えだった。
レオとレナードが同一で、精霊として生き、また猫として人として、シルヴィオをずっと守ってきたこと。
あれ?でも、それならどうして。
「……レオは、強かったんですよね?」
「ああ。異国の暴徒に襲われて背中を任せたくらいだからな」
「それじゃあどうして……」
あんな事に?と口走りかけて、むぐっと口をつぐむ。
いまシルヴィオに問いかけても、きっとただ苦しめてしまうだけだ。
ぶんぶんと頭を振ったところで、タイミング良く扉がノックされてロベルトが戻ってきた。
「ロベルト、レオは」
「只今戻りました。……花の精霊様の話によれば、一種の呪いを受けたものと思われる、とのことでございます」
「呪い……?」
首を傾げる私とは違って、全てを理解したらしいシルヴィオが難しい顔でソファーに沈み込んだ。
「精霊避けか」
「ええ……おそらくは」
応えるロベルトも難しい顔をしていて、また私だけが置いてきぼりだ。
「あの、呪いとか精霊避けっていうのは」
「……ジュリア様、貴女様は精霊をどんなものだと思われますか?」
私が問うと、真剣な目をしたロベルトに問い返される。
精霊なんてとんだファンタジーで、どんなものかなんて考えたこともないけれど。
フィルや夢で会った小人を思うと、とんでもなく異質なものだとは思えない。
……何より、レオはこの世界ではじめてちゃんと挨拶をしてくれた、人だ。
だとすれば。
「……少し、違うだけの……同じく、等しく生きるものだと思います。」
きっと、そこに違いなんて無いんだと思う。
同じ地で、同じように育ったって、それぞれにいろんな考えや特徴を持つように。
きっと、精霊も同じだ。
ちょっとばかり、いや大分?寿命が長いだけで。
私がきっぱりそう言うと、ロベルトが少し力を抜いたように笑った。
「ジュリア様ならば、そのようにお答えいただけると思っておりました」
「……というと?」
「精霊を、共に生きる良き友として理解し、手を取り合う国はそう多くはございません。……人には真似出来ない力を利用しようとする余り、その逆鱗に触れて滅んだ国もいくつもございます。」
少し遠い目をして、ロベルトが静かに言葉を並べていく。
「いつしか過ぎた力は恐れの対象となり、精霊そのものを忌避する者も現れました。……そうして、恐れから出来上がった代物が精霊避けという呪いでございます」
「それは一体、どんな呪いなんですか」
「精霊そのものを限られた場所に閉じ込めるものや、力だけを封じるもの。ただ通れなくなるだけのものなど様々だ……レオはどういう呪いを受けていた?」
口早にそう言ったシルヴィオが、苦しげな表情でロベルトの言葉を待つ。
「……身焼きの呪いかと」
「よりにもよって身焼きか……」
重たい空気がぐっと押し寄せて、訳のわからないまま、その発音だけが耳に残る。
「身焼き……」
「精霊が呪いを放った対象に近付くほど、じわじわと内側から身を焼く呪いだ。……それで、レオの様子は」
「推測ではございますが、姿を変えていたのが幸いしたのでしょう。呪いの程度も軽いもので……しばらく休めば回復するとのことでございました」
そこでふっと力が抜けたように、シルヴィオががくりと項垂れた。
「……シルヴィオ様」
「った……良かった……」
隣に座る背中を撫でると、小さく漏れた声の後で長い長い溜息が吐き出された。
「……本当に」
ゆっくりとそれを肯定して背をさすっていると、再び扉がノックされた。
どうやら今度はブルーナが戻ってきたらしい。
手短にロベルトと情報を共有して、頷き合う。
「シルヴィオ様。ナターシャ様にはしかとお伝えいたしました」
「ああ。母上はなんと?」
「……レオの回復を待って、もう一度報告を、とのことでございますわ」
難しい顔で頷いて、シルヴィオが立ち上がる。
「道理だな。……ジュリア、今日はもう遅い。部屋まで送ろう」