王妃様との約束
「おそらくは。ほんの一時でしたが、……あの馬車の中に、件の男達が乗っていたのが見えてしまったのです」
シルヴィオの言葉に思わず自分の耳を疑う。
あの男たちが言っていたのはたしか、第一王子のことではなかったか。
「……そう。だとすれば、ただの推察では済みませんね」
ナターシャが、悲しそうな顔で目を伏せる。
「わたくしは貴方達を守りたい気持ちでいっぱいですが……現状、この国では誰かを裁くことは難しく……地位によっては話し合いもままならないこともあります」
「ええ。母上、だからこそ今度の祝祭の場で、新たに皆の決まりごとを定めようとしていたのです」
「それはわたくしも聞いています。……けれど、計画が実行されるとわかっている場に、貴方達を立たせるだなんて」
そう言って途切れた言葉の先が続けられる事もなく、狭い空間にしばしの沈黙が訪れる。
「母上。それでも私は、」
「シルヴィオ。……母は、心配なのです」
やっとのことで口を開いたシルヴィオを遮って、ナターシャが悲しげに目を潤ませた。
不意にぐっと息の詰まる音がして、俯いたシルヴィオの顔を緑の髪が覆う。
……ん?緑の髪?そうか、これだ!
重たい沈黙を振り払うように、私は努めて明るい声で切り出した。
「変装するというのはどうでしょう?」
そう言い終わるが早いか、きょとんとした丸い目が四つ、私を見た。
「変装、というのは?」
「……シルヴィオ様、失礼いたします。……これです、この髪色。衛兵も街の人たちも、それにあの方々も、目の前に居るのがシルヴィオ様だなんて、だあれも気付いていませんでしたもの!」
言いながらシルヴィオの髪を少しつまんで示す。それは思っていたよりずっと指通りが滑らかで、素晴らしい触り心地だった。
「……たしかに、母上とフィル以外に見抜かれたことは無かったな」
「本当ですか?それならいけそうです、わね!」
勢い任せに口調が崩れそうになったのを慌てて隠して、おほほと笑っておく。
「ジュリア様?……計画の矛先を逸らすには良い考えかも知れませんけれど、それでは貴女が危険なままですよ」
潤んだ目が今度は私に向けられて、思わずごくりと喉を鳴らす。
なんというか、ナターシャからは良い意味で尊くて逆らえない母親オーラみたいなものが溢れている気がする。この人に心配をかけてはいけない、というような。
「わ、わたくしも同じように変装をすれば、」
はじめは素養が無かったとは言え、イメージすればできることもあったし、何よりシルヴィオの髪色が変わるところを実際に目にしたのだ。
練習すればいける気がする。
「いいえ。それは難しいでしょう」
「……え?」
「だって、元が明るい色のものしか染めることは出来ませんもの」
まるでやったことがあるような口振りで、ナターシャが悲しげに目を伏せる。
「もしかして、ナターシャ様も試したことが……?」
「ええ、もちろんです。シルヴィオにそのやり方を教えたのはわたくしですもの」
まさかそれを使ってこんなに頻繁に城を抜け出すとは思っていませんでしたけどね、と付け加えて肩を竦めて笑う。
「……なるほど……」
「ただ、たしかに髪色を変えたり隠したりするのは良い考えですね。それがただ一人……貴女だけでなければ、もっと効果が見込めると思うのだけれど」
一人、複数、服装、合わせる。あれ?なんかそういうのあったなあ。なんて言うんだっけ。
「あっそうだ、ドレスコード!」
「……ドレスコード?」
「ええ、新しく祝祭のドレスコードを設けましょう!」
ぽん、と手を叩いてそう言うと、やっぱり丸い目が私を見る。
「コホン……失礼いたしましたわ。ドレスコードというのは、例えば同じ色のドレスでなければならないだとか、同じ飾りを身に付けなければならないというものですの」
「まあ。それならば、この国にも既にありますわね」
ふふっと微笑んだナターシャが、少し遠くを見るような、うっとりとした目をした。
「祝祭で結婚のお披露目をする花嫁と花婿達は皆、時季毎に違う揃いの色を纏うのです。街が華やかに染まって、それは美しいのですよ」
「そ、そうなのですね」
しまった。魔法の特訓に浮かれてたせいで、四季とかこの国の歴史なんかはまだノータッチだった。
明日からでもリータに教えてもらわないと。
ぎこちなく返事をした私に、ナターシャが首を傾げる。
「貴方達も、仕立てるのでしょう?なんでもシルヴィオが張り切って図案を用意したとか」
「母上!」
珍しく声を荒げたシルヴィオに、さして驚くこともなくくすくすと笑うナターシャ。異世界でもやっぱり母は強しだ。
「当日のお楽しみですね。……あら、もう着いてしまったわ」
ナターシャの声で外を見ると、馬車は一度見たことのある景色で止まっていた。どうやらお城の正門に到着したらしい。
「わたくしの方でも件の者達には出来る限り目を光らせておきましょう。この国の、皆の祝いの場を壊そうとする者を放ってはおけませんから」
真面目な顔をしてそう言うナターシャの瞳にはしっかりとした芯が見えるようで、今更ながら臣民から王妃を望まれた人であることを納得する。
「さ、シルヴィオ。ブルーナとロベルトには上手く言っておきますから、その髪色を戻しなさい」
「ありがとうございます。……ディ・コローレ」
シルヴィオが言われた通りにフィレーネレーヴを解除すると、緑色の色素が光の粒に変わってきらきらと霧散していく。
地の銀色の髪が一層輝いているように見えて、その美しさに思わず見惚れてしまう。
「リスオーノ」
シルヴィオの髪色が元に戻ったのを見届けたナターシャが遮音を解除すると、ちょうど馬車の扉が開いた。
外からエスコートをする為に、シルヴィオが先に出て行く。
それに続いてナターシャが先に行くのを待っていると、ふと私を見て笑う。
「……ね、ジュリア様?」
「はい?」
「わたくし、ずっと娘が欲しかったの。近々わたくしとお茶をいたしましょう?」
ドレスコードについてもっと貴女の意見を聞きたいわ、と言われてしまえば、私には断る術がない。
いや、別にやだって訳じゃないよ!
そういう訳じゃ決してないけど、一般的に言うと彼氏のお母さんと二人で会うってことでしょ?
気まずいし、何を話せばベストかわからないし、気まずいし。まあ、私に彼氏がいたことが無いからかも知れませんが……。
「駄目、かしら」
駄目押しのように、悲しげに首を傾げる姿が少女のように可愛らしく、私は心の底から慌てて否定する。
「いえ、いえ!とんでもないです、わ。わたくしで良ければ……喜んで」
私がそう言った途端に、ナターシャは花が咲いたように笑った。……本当の花姫様ってこういう人のことを言うんじゃなかろうか。
「ふふ、嬉しいわ。約束ですよ」