ゴテゴテ婦人とあの方
「あらまあ、こんなところで何をなさっていたの?わたくし、貴女達を待っていたのですよ」
透き通った声が私の耳に届くと同時に、周りを囲む衛兵達が揃って礼をする。
恐る恐るその方向を振り返ると、そこには綺麗な白い髪が印象的な女性が立っていた。
ゴテゴテ婦人とは対照的に、シンプルなデザインの、とても質の良さそうなドレスを着ている。
至ってシンプルなのにそれがまた白い髪を引き立てて、そこに立っているだけで美しい。
存在感のあるその人が、ゴテゴテ婦人に向かって微笑んだ。
「その方々はわたくしの大切な客人ですの。どうやらわたくしの馬車と間違えてしまったみたい。……許してくださる?」
「客人ん?そんなことあるわけが、」
「あるのです。ね、そうでしょう?」
今度は私に向かって、少し首を傾げながら微笑む。それがまた可愛らしくて、私は何度も頷いた。
「ええ、ええ。この通り。……貴女は寛容な人ですもの。許してくださるでしょう?」
「このような無礼を働かれてこのわたくしが」
「……それに、そのお荷物では長居するのも一大事なのではなくて?一体、どんなものを詰め込んでいらっしゃるのかしら」
ちらりと馬車を見た白髪の女性が、わたくし、気になるわ。と優雅に付け足すが早いか、ゴテゴテ婦人が慌てた様子で話を畳み込んだ。
「……っ、仕方ありませんわね!貴女の顔に免じて今回は特別に許します。……今回だけですわよ!さあ、出して頂戴」
御者に指示を飛ばしながら勢いよく扉が閉まると、横に立つシルヴィオを取り残すように馬車が走り出した。
「ふふふ、ご機嫌よう」
その様子を、白髪の女性がひらひらと手を振って見送る。
……なんて絵になるんだろう。ただ馬車を見送っただけなのに、これこそ映画のワンシーンのようだった。
「さて。貴女と貴方、わたくしの馬車に乗って頂戴な」
「えっ」
女性が私とシルヴィオを交互に見て近場の馬車に向かう。その背中に思わず声を上げると、その人は振り向きざまににこりと微笑んだ。
「わたくしの客人で間違いないでしょう?……ね?」
含めて言いながら、周囲で礼をしたままの衛兵を視線だけで示す。
どういう意図があるのかはわからないが、ここはひとまずそういうことにしておいた方が良い、ということだろう。
「は、はい!そうでした!」
私が取ってつけたように返事をすると、女性はとても楽しそうに笑った。
女性が御者らしき人に支えられて馬車に乗り込んだところで、嫌に口数の少ないシルヴィオがこちらへと歩いてきた。
普段なら、真っ先に外交的に振る舞うような気がするのに、一体どうしたというんだろう。
「……さ、貴方達も」
女性からすぐ側で声をかけられても、シルヴィオは一言も喋らなかった。……変だ。
それに加えて、周囲のどこにもレナードの姿が見当たらない。ほんのさっきまで、たしかにそこに居たはずなのに、だ。
不思議なことの連続で、自然と私の頭の中をはてなマークが満たしていく。
いやいや、考えてる場合じゃない。
今はまず、目の前のこの人のことだ。
「失礼、します」
口調に迷いのある礼をしながら一人で馬車に乗り込もうとすると、横からすかさずシルヴィオの手が差し伸べられた。
慣れた手付きでエスコートはしてくれるのに、その顔がやたらと暗い。
女性に促されるまま私達が乗り込んだところで、とてもゆったりとした速度で馬車が走り出す。
「ディ・スオーノ」
不意に指輪が青く光ったと思うと、それは女性の言葉と共に馬車全体に広がり、じわりと浸透するように消えていった。
たしか、今の詠唱は遮音の力だった気がする。
「さ。シルヴィオ、何があったのです」
姿勢を正したその人が、私の横に座っている緑の髪へ、一切の迷いも無く問う。
「……え?」
「申し訳ありません」
「わたくしは謝罪が聞きたいのではありませんよ」
「話せば長くなります、母上」
は、母上!?
いま母上って言いました!?
驚きのまま、シルヴィオと母上と呼ばれた人とを交互に見てみると、たしかに優しそうな目元がよく似ている気がする。
「構いませんよ。お城まで遠回りをするように伝えました。……そうだわ、その前に貴女、」
「はい!?」
急に声をかけられたことに驚いて姿勢を正すと、可愛らしい顔立ちが、やっぱり楽しそうに笑う。
「貴女、花姫様でしょう?」
「えっ、ど、どうして」
「そう思うのか、なんて簡単なことです。わたくしの息子とたった二人きりで街に居るだなんて……貴女くらいのものでしょう?」
動揺する私の言葉の先を拾って、少しからかうように笑う。……この顔もちょっと似てるな。
「今まで浮いた話なんて何一つ無かったのに、貴女が訪れた途端にべったりだと聞きましたよ」
「母上、それは」
「それに、貴女との時間を作るためにより一層公務に励むようになったとも、ね?」
シルヴィオが難しい顔で口を挟むのも、ひょいっと肩を竦めてかわす。
「母上、そんなことよりも」
「あら、いけない。そうだったわ」
ハッとした様子で、指先で口元を隠す仕草もまた可愛らしい。
「わたくしはナターシャ。シルヴィオの母でございます。花姫様、どうぞお見知り置きを」
ナターシャは座ったまま、少し首を傾げて礼をする。シルヴィオより少し色素の薄い水色の瞳が、優しく細められた。
「あ……ごめんなさい、」
内心で慌てて、でも仕草は落ち着くよう心がけて頭のマントを外す。
危ない危ない、令嬢スイッチをオンにしなくちゃ。
「失礼をいたしました。わたくしはジュリアと申します。シルヴィオ様には本当に良くしていただいておりますわ。……ご挨拶が遅くなってしまって、本当に申し訳ありません……ナターシャ様」
ナターシャと同じように礼をして、やんわりと微笑んで見せる。と、ナターシャの視線は私の髪で固定されていた。
「あら……なんて美しいのかしら……」
「ありがとうございます。……わたくしはナターシャ様の御髪も、とても美しいと思っていましたの」
何せ私の髪はブルーナ仕込みだからね!と内心嬉しく思いながら、ナターシャと笑い合う。
「ふふ。貴女のような人がシルヴィオのお嫁さんになってくれるなんて、わたくしとっても嬉しいわ」
お嫁さんと言われて思わずハッとする。
……そうか、この状況っていわゆる結婚前のご挨拶ってやつだ!
そう思った途端に、変に緊張してしまう。
ぎこちなくシルヴィオに視線を向けると、ひとつ頷いて話題を変えてくれた。
「挨拶が済んだところで、母上。何故あの場所に?」
「……ええ、そうね。祝祭に向けてイグニス王国との話し合いをしていたのです」
「あの方も?」
「当然でしょう?他の公務ならばまだしも、隣国は彼女の故郷ですもの」
あの方、とはもしかするとゴテゴテ婦人のことだろうか。
「なるほど。……これはあくまで推察ですが、あの方にも関係するかも知れません。母上。つい先程のことなのですが」
シルヴィオが深い溜息を吐いて、これまでの経緯を話し出す。
「……民は皆、話し合いで解決することが暗黙の了解であるこの国で、それを待たずに解放ですか」
「ええ、それに加えて……」
言いかけて、シルヴィオが迷うように視線を泳がせる。
「計画も恐ろしいことですが、シルヴィオ。貴方は、その首謀者があの方だと?」
あの方、ってことはあの方?
ゴテゴテ婦人が、第二王子を狙うってこと?
……なんで?
「おそらくは。ほんの一時でしたが、……あの馬車の中に、件の男達が乗っていたのが見えてしまったのです」