謎の王子様
「花姫様。私と婚姻していただけますね?」
「……はい……?」
王子から発せられた予想外の言葉にピシリと固まった私は、理解が出来ないという意味で返事をした。
あなたの言った言葉が理解出来ない、一体全体どういう意味なんですかと聞いたつもりだったのだ。
私の返事の意図を察していないのか、はたまた察する気がないのか、するりと流れるような手付きで私の手を取った王子が、これまた優雅な動きで唇を落とした。
デジャヴ。こういうのデジャヴっていうんだって知ってる!さっき見たもん!
しかし、先程とはまるで違う柔らかく濡れた感触にドキリと胸が跳ねる。思わず手を引きそうになる私を留めるように、手の甲に触れた唇が、私にしかわからないように小さく動く。
「合わせて」
合わせて?合わせてって言ったのこの王子。いやいや、合わせるも何も。
既に私の返事と王子の手への口付けを合図に、街の人たちからたくさんの歓声が上がっているのだ。一体この状況で何をどうしろというのか。
「王子様ー!」
「花姫様!おめでとうございます!」
「これで我が国は安泰だぁ!」
「祝杯だー!今日は飲むぞ!」
「お前さんはいつだって飲んでるだろ」
「違いねぇ!」
みんなそれぞれに喜び合って、口々にお祝いが告げられている。この歓声をどうにか出来る技量なんて私には到底無い。
というか私、あなたの名前も知らないし、あなたも私の名前を知らないんですよ王子。すごいな私の夢。強引過ぎるぞ!
こういう時って笑うことしか出来ないんだなあ。
勉強になった。なんて思っていると、数段輝きを増した微笑みで王子が歩み寄ってきた。
「花姫様、さあ私と共に我が城へ参りましょう」
「……はい」
街の人へ敢えて聞こえるように言いながら、この場の退場を促すように私の腰に手が回された。
慣れない感触に引きつりそうになる笑顔をなんとか保ち、頷いて見せる。
きっと何か考えがあるのだろう。
「皆、祝いの言葉をありがとう。心から嬉しく思う。……しかし、花姫様も今日は到着されたばかりだ。よって今後のことは追って通達する」
そう街の人へ言い残して、笑みを浮かべて歩き出した王子に、優しい手付きで背中を押されながら賑やかな広場を抜けていく。
表面上は頑張って笑顔を保ってはいるけれど、とても身近に感じてしまう男の人の体温に、私の心臓は跳ねっぱなしである。
あと王子すごくいい匂いがする。さすが王子。
街の人の歓声を背に、石畳の敷かれた大きな通りへ出る。
すると、そわそわと落ち着きのない様子で帽子を被り直す男性と、端々に綺麗な細工の施された馬車が待っていた。
「素敵……」
「お待ちしておりました!」
「ああ」
「その方が……」
男性がこちらを気にしながらも慣れた手付きで馬車の戸を開いて乗り込む準備をしていく。
「そうだ。……しかし今日は到着されたばかり。質問は後だ。」
「そ、そうですね!」
「城に着き次第部屋を用意するように言ってくれ」
王子と男性のやりとりを眺めていると、私の視線に気付いた男性が、帽子を取ってにこりと微笑んだ。赤くて柔らかそうな髪の毛が、人懐っこい笑顔と相俟ってなんだか猫っぽい。
背は私よりも低めで、中性的な顔立ちをしている。
「初めまして、花姫様」
「は、初めまして……あの、」
「申し遅れました!私御者をしています、レオと申します。」
そう言って帽子を胸元にあてながら軽い礼をしてくれた。ちょっと待って、この夢で初めてちゃんとした挨拶をされたかもしれないよ。
「レオさん、よろしくお願いします、私は」
「花姫様」
感動して名乗り返そうとしたところで、難しそうな顔をした王子が私の言葉を遮った。
「えっ……」
「花姫様、参りましょう」
あまりにも突然会話を遮られたことに驚いて王子を見ると、その表情は既に笑顔に変わっていて、馬車の踏み台へ一歩足をかけて、手を差し伸べてくれていた。
王子の手とレオの顔を交互に見ると、レオはなんと言う事もないように笑顔で頷いている。
「……ありがとうございます」
レオさんは名乗ってくれたのにこの王子ときたら。
ムッとしそうになる頰を叱咤して、笑顔で応える。
ここに至るまで慣れないこと続きで、考えるのにも疲れてきた私は、有り難く王子の手に自分の手を重ねて馬車へと乗り込むことにした。
どうせ夢だしね。折角の馬車だし。
乗り込んだ馬車の内装は凝っていて、椅子に座ってみると思ったよりもふかふかで自然と笑みが溢れる。王室御用達ってやつねきっと。
ふと反対側の座席から視線を感じて王子の方を見れば当然のように目が合う。私の顔を見ながら少しだけ笑って、外にいるレオにひらりと手を振った。
なんだか今まで見た笑顔とは違う雰囲気に、気恥ずかしくなって視線を逸らすと、王子の合図を確認したレオがゆっくりと馬車を走らせ始めた。
馬の蹄が石畳を蹴る軽快な音と、ガラガラという馬車の音に合わせて振動が伝わってくる。
王子と向かい合って二人きりだ。何かしら詳しい話をしてくれるのかと王子の言葉を待つが、一向に話し出す気配がない。
無言に耐え切れずちらりと王子を伺い見れば、それを待っていたように王子が微笑んだ。
「な、なんですか」
「いえ、やはり美しいなと思っておりました」
「うつ……っ!」
聞き慣れない言葉に思わず言葉が詰まる。
顔立ちなんて王子に比べたら平々凡々もいいところだ。この期に及んで一体何を言い出すのか。
王子は私の髪を見てから何かを思い出すように目を伏せた。
「伝承通り、光の輪を浮かび上がらせる漆黒の如き黒髪、そして全てを見通すような漆黒の瞳……花を彩るに相応しい艶を秘めた色……」
私を直接褒めているわけでは無いのだろうが、並べられる言葉へのこそばゆい感覚に思わず自分の髪に触れ、胸元まで伸びた髪を梳くと最後の最後に引っかかった。
ぐう、もっと手入れしとけば良かった。夢なのにこんなとこまでリアルだ。
「……その伝承って、いつからあるものなんですか?」
気を取り直してそう問えば、視線を戻した王子が答えてくれる。
「建国当初から伝わる伝承です。花姫様の到来を持ってこの国は興り、年月を重ね日照りや水難に苦しんだ時は花姫様の到来と共に笑顔と花の咲きほこる国となった。……また国が陰りかけた時には花姫様がその闇を吸い上げ、光に満ちた国となる。まさに、美しい国という花を咲かせる力を持つと伝わっています」
「はあ……すごい人なんですねえ」
並べられた言葉に対して私から出てきた感想があまりにも簡単で、はっとして王子を見ると、とても苦そうな表情を浮かべていた。
「花姫様は確かに伝承だが、……その伝承が表すのは一人ではない」
「というと、この国の危機に何回か現れているってことです……あれ?」
ひい、ふう、みい、と王子の言葉を思い出して花姫様とやらの人数を指折り数えながら、ふと思い至る。
「もしかして」
「……ああ」
「今って、この国の危機なんですか?」
私の言葉に一瞬だけ、ほんの一瞬だけ王子の眉間に皺が寄った。綺麗な顔はどんな表情でも綺麗なんだなあ。
「……どこから話せば良いのか」
「えっそんなに?」
王子が長いこと溜め込んだ息を吐きながら、さらりとした銀の髪を搔き上げる。
「私には兄が居りまして。」
「ふーむ。それで困ったことというと、第一王子と第二王子における権力争いってやつですか?それとも愛憎劇?」
映画やドラマなんかでは良く見るけれど、怪訝な顔をした王子の表情を見るにどうも違うらしい。
「すみません、違いますよね!続けてください」
「いえ。……全て的外れというわけでもないのだが」
歯切れ悪く言葉を並べる王子が、馬車の窓から見える景色をちらりと伺い、少し身を乗り出して声を潜めた。
「兄が、父である王の気に入りの娘を嫁にしようと目論んで臣下を取り込み、……そのことをとうに知っている王は兄を諌めようとしてはいるが……どこまで保つか。王は病に臥せっていることもあり、次期王を誰にすべきかという話でも揉めているのだ。」
「それは、たしかに波乱がありそうですね」
あまりにも先程述べた内容に似ていて、王子につられた私も身を乗り出して声を潜める。
「でも王様が息を引き取ってからじゃだめなんですかねえ?」
「……そのようなこと、断じて私の前以外で仰らないでくださいね。」
「は、はい」
釘を刺すようにキラキラの王子スマイルで微笑まれ、慌てて頷く。
「父の……王の病態は、兄には知らせていないのだ。……そのせいもあってか、兄はあらゆる手段を使って娘を自分のものにしようとしている。……王のものになってしまう前に、と。」
「……はあ、その女の人の意思は無視なんですね」
「ああ。……兄は強引な男なので。」
ん?いや王子、あなたも大概なのでは?血かな?
私も今のところ意思無視されてるよ!
「……そして、今の臣下は王を絶対とするものと、兄に唆されて王への反抗意思を持つもの、私への期待を寄せるものに分かたれている。」
「なるほど……女を巻き込んだ家族喧嘩で、国を揺るがす一触即発の危機だと」
「恥ずかしながら……花姫様の仰る通り。」
「ふうむ……でも、私にそんな平和の象徴みたいな力は……」
一体私の夢はどうなってるの。顎に手をあて、考え込むように述べた私に、とても難しい顔をした王子が姿勢を正した。
「花姫様」
「……はい?」
光を宿した青く強い瞳が、まっすぐに私を見つめていた。
ただならぬ雰囲気に慌てて姿勢を正すと、意を決したように王子の唇が開く。
「あなたが真に花姫様であれ、……例え、伝承の花姫様でなかろうとも。私はあなたと、この国の伝承を利用してフィレーネ王国のこれからの責任と民の命を背負いたいと思っている。」
「……それって」
この、空気は。
「私と正式に婚姻関係になってほしい。」