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王子様のキス



「私は、あなたがいつか私の前から居なくなることも覚悟している。……だから、今だけは堪えなくていい。いいんだ、ジュリ。私にあなたの全てを受け止めさせてくれ」



シルヴィオの声は耳からじんわりと身体中に広がって、私の心を揺さぶる。


「シルヴィオ……さま……」

「シルヴィオ、シルヴィオでいい。今だけだ、……今だけは私をただの男として呼んでほしい」


繰り返される今だけという言葉がどうしてこうも私の胸を締め付けるのだろう。

意図せずシルヴィオの背中をさすり上げて、そっと彼の名を呼ぶ。


「……シルヴィオ……?」


ふっと腕の力が抜けると同時に満足そうな吐息が漏れて、小さく笑う気配がした。


「ジュリ……あなたの母君は素敵な人なのだろうな」

「どうして……?」


口調に迷いながら掠れた声を絞り出すと、シルヴィオが少しだけ体を離す。

そうして私の頰を伝う涙を拭って、優しく微笑んだ。


「笑った顔が、あなたとよく似ていた。」

「……あ、」


それはよく、父が私に言っていた気がする。


そう言いながら母と幸せそうに笑っていた気がする、気がするのに……ぼんやりとした父の顔は思い出せなくて。


ぽろぽろと涙が溢れて、とうとう目の前のシルヴィオの姿も見えなくなってしまった。


「うう……、どうして」


咄嗟に嗚咽を抑えようとする私をまるごと抱きしめ直して、シルヴィオがゆっくりと背中をさすってくれる。


「抑えなくていい。……ジュリ」


シルヴィオの柔らかい声で、ぷつりと私の中の何かが切れた。


「っお父さん、お父さんが思い出せなくて……!」

「……そうか、」

「どうして、どうして私……こんなところにいるの」


こんなこと、この人に言っても仕方がないのに。

次から次に溢れてくる言葉が止められない。


「おかあさん……っ……帰りたい、よぉ……」


この世界に来て、私は初めて実感を持って泣いている。


母との数えきれない思い出と、たしかに同じ空間にいたはずなのに、ぽっかりと穴が空いたように思い出せない父との記憶。


これが、これこそが夢であったらいいのに。


それなのに、涙に溺れる息苦しさが、どうしようもなくこれが現実であることを思い知らせる。


歪んだ世界の中で、たしかな温もりに縋った。

私を抱く背中に、ありったけの力でしがみついても、彼はそのまま静かに受け入れてくれる。


……あれ?

私は今、誰に縋っているんだっけ?


不意に、視界が白黒に変わる。

涙に滲んだ視界は既にとても狭いけれど。


人を人として、個を個として定義付けるものが記憶だとするなら。


「私、私は……いったい……」


だれ?と口が動きそうになるのを、誰かが止めた。


「ジュリ、だめだ。自分を見失うな……頼む、頼むから……」


とても必死そうな声が、私に向かって呼びかける。

けれど、滲んだ視界には何も映らない。


この人は、この声の主は……?


「だ、んむ……!?」


瞬間、まるで暗闇に明かりが灯ったように世界が色付いていく。


私の唇に重なった未知の感触が、ぴたりと私の涙を止めた。


目の前には、長い銀色の睫毛。

やがて伏せられた瞳が薄く開いて、透き通った青色が私を捉えた。


ああ、そうだ。

そうだった。この美しい瞳は。


「……しる、ゔぃお……」

「ジュリ、ジュリ……!良かった……!」


今にも泣きそうな顔で私をキツく抱きしめるシルヴィオを横に、そっと確かめるように自分の唇に触れる。


「シルヴィオ……?」

「どうなることかと思ったぞ、急にあなたの目が……」

「いやあの、それも大事なんですけど……それよりもですね?」


しどろもどろに言葉を並べる私を、思いの外心配そうな顔をしたシルヴィオが覗き込む。


「……どうした?」


い、今間近で問われるとつらい。

頭の中にぐるぐる回っている問いをいざ口に出そうと思うと、途端に羞恥でかあっと顔が熱くなっていく。


「あの。いま……私に……き、きき」


キス、しませんでした?

って聞けるかーー!?


「き……?」


一生懸命唇を指差していたことでやっと察したのか、難しい顔をして考え込んでいたシルヴィオの顔色も一瞬にして赤く染まった。


「その、だな!あれは仕方なく……!」

「し、仕方なく!?仕方なくで私のはじめてを奪ったんですかー!?」

「違う、断じて違うぞ!仕方なくという気持ちであなたに口付けをしたわけでは!……ああいや、状況としては仕方なく、」


ばっと私から離れて、言い訳のようなものを並べていたシルヴィオが不意に動きを止めた。


「待て」

「はい……?」

「今、はじめてと言ったか……?」

「んな、い、言いましたけど!?」


思わず、熱くなった顔を隠しながら投げやりにそう言うと、隙間から見えるシルヴィオも同じように自分の口元を片手で覆っていた。


「……すまない、はじめてがこのような形で」

「じゃあ……なんでちょっと嬉しそうなんですか」

「……男にそれを聞くな。」

「あっずるい!」

「とにかく、責任は取る。」


軽く頭を振って、真剣な表情を装ってはいるが、シルヴィオの耳はまだちょっと赤い。


「責任って……結婚するってことですか?だとしたら別に何も変わらないじゃ、」

「いや……。責任を取って、私の持てる力全てで、あなたを元いた世界に帰す方法を探す」

「……え?」


元いた世界。未だ私という人間を形作っている全てを思い出すことは出来ないけれど、いや、思い出せないからなのか、何か引っかかる。

魚の小骨のような違和感に首を傾げる私を他所に、シルヴィオが難しい顔で考え始めた。


「そうだな……となれば、あの保管庫にも手を伸ばさなければならないか……」

「保管庫ですか?」

「ああ、古い記録が詰め込まれた、城の離れにある保管庫で……初代花姫様のお部屋の一部でもあった、らしい。」


そう言うシルヴィオの顔が、少し嫌そうな表情に変わる。


「……ということは?」

「その部屋は今、フィルが住み込みで管理している。」

「……やっぱり。」


そういえば祝祭までずっと忙しいって言ってたような。


「シルヴィオ、様?」

「うん?」

「帰る方法の手掛りがそこにあるとして……祝祭が終わるまでフィルも忙しいんですよね?」

「……ああ。すまない、本当ならばすぐにでも、」


ごめんなさい。

拝啓、お母さん。と、思い出せないお父さん。

あなたたちの娘は、魔法を使うという欲にはやっぱり勝てません。


「私、帰るまでに魔法はマスターしたいです!」



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