青く光る石
「さあ、明日は早いぞ。……部屋まで送りましょう、花姫様」
ブルーナとロベルトがいる手前、特別反論もできず、シルヴィオに大人しくエスコートされて部屋まで送られた。
去り際に簡単な挨拶をして別れると、お風呂も着替えも早々に済ませてベッドに潜り込む。
……だって明日はようやく、ようやく魔法が勉強できるのだ!
ビバ、ファンタジー!
頭の中で喜びの舞を踊りながら、花石のネックレスに無意識に触れる。
指先で石の感触を楽しんでいるうちに私はいつの間にか眠ってしまっていた。
いま、夢を、見た気がする。
優しく微笑んだ女性が、そっと手を伸ばして私の頭を撫でる。
私を見て何か言うのだけど、その声は聞こえなくて。
泣いているようにも、笑っているようにも見える顔が、誰なのか思い出せない。
これは、誰の夢……?
翌朝早くに目が覚めて、ああそういえば私は遠足の朝も早起きしてしまうタイプだったな、と思い出した。
おやつやカッパなんかがちゃんと入ってるか確認したりして。お母さんが作ってくれたお弁当を……そうだ……お母さん、どんな人だった?
……どんな人、なんだっけ。
ぎゅっと握り込んだままの花石が、不意に青く光った気がした。
引き寄せてみると青い光が滲むように揺らめいていて、それに合わせて小さな花も一緒に動いているように見えた。
「えっ!?」
慌てて石から手を離すと、ぴたりと輝きを失う。
「……なんじゃこりゃあ……」
誰にも聞こえないように一人呟いて、恐る恐るもう一度触れても、花石が再び光ることは無かった。少し安心してそっと胸を撫で下ろす。
花石のことはあとでシルヴィオに聞くとして。
今日からリータもこの部屋で働くことになったのを思い出した私は、気合いを入れて自分のご令嬢スイッチを入れたのだった。
所変わって、朝食を済ませた私とシルヴィオの二人はもっぱら子供達がフィレーネレーヴの修練をするという部屋にいた。
今日のドレスは全体の膨らみが少なく、髪型も小さな花と一緒に丹念に編み込まれて纏め上げられている。動きやすい、とても動きやすいけど。
ここまで動きやすさに拘るのは何故だろう?
「よし。扉と壁には二重のフィレーネレーヴをかけておいた。これで心置きなく試せるぞ」
「あの、シルヴィオ様。」
「うん?」
「私がこの国に来てから見た魔法は、もっとこう、穏やかなイメージなんですけど……どうしてこんなに厳重なんです?」
「それは力を明確に制御出来るようになるまで、その力が暴れるからだ。子供であればまだ器も小さい分御しやすいのだが……」
暴れる?ねえいま暴れるって言った?
「特にジュリアは一度、私とフィレーネレーヴを交わしてしまったからな。本来は身内の、それも血が繋がっているものと交わして、少しずつ光の量を調節していくのだが……全く前例が無く、どうなるかわかったものではない。」
シルヴィオの口から出る不安要素の羅列にごくりと喉を鳴らす。
「……ちなみに、力?が暴れるというのは」
「そうだな……例えば、この部屋に今施されているのは遮音と物理的なダメージを無効化するものなのだが……仮に力が暴れると、この部屋全体が木っ端微塵になってしまう可能性もある。」
「ひえ」
「だからこそ、正しい意図を持った詠唱をすることが大事になる。」
「じゃ、じゃあ……あの時私達の手が光っただけで済んだのは、」
「幸運と言わざるを得まい。」
思わず項垂れそうになる私を他所に、シルヴィオが自分の胸元に手をかざして同じ体勢を取るように促した。
「まずは花石に想いを溜めるところからだ。」
「想いを溜める?」
「フィレーネレーヴは想いの力。想いを込めれば込めるほど、扱える力の種類も異なってくる。」
「なるほど……」
「石に触れて十分に満たすことが出来れば、花石が青く光るはずだ。」
ん?石が青く光る?
「まあ、普通の子供達ならこの作業だけで数日かかるものだ。気長に挑戦するといい。そして次に、詠唱だが……」
「あの、シルヴィオ様」
「どうした?」
「……今朝、この石光った気がします」
おずおずと小さく手を挙げてそう言うと、シルヴィオの顔が理解できないといった表情に変わる。
「あとで聞こうと思ってたんですけど」
「……まさか。そんなはずは」
「も、もしかしたら握ったまま寝たからかも……それになんか美味しい夢を見たような?」
ははは、と笑いながら花石を握って見せると、突如として指の隙間から青い光が溢れ出た。
「へ!?」
慌てて花石から手を離してもそれはまだ光ったままで、溢れ出した光が空中で何かの形に変わっていく。
「っ……ジュリ!」
咄嗟に駆け寄ってきたシルヴィオに抱き竦められ、そのまま周囲の様子を伺う。
青くフワフワとした光が、やがてお弁当を持った女性の姿に変わった。
「……何者だ、」
「お母さん……」
「おか……ジュリの母君なのか!?」
思わずポツリと声に出すと、すんなりと胸の奥に広がっていく。ああ、そうだ。私の母は。手料理のちょっぴり苦手な母だった。
今朝見たあの夢は、たしか。
『もう起きちゃったの?』
『うん、遠足たのしみで起きちゃった!……おかーさん、けが、してるの?』
『……やだ、お母さんこんなとこ見られたくなかったんだけどな。ごめんね、お母さん下手で』
『ううん、わたしお母さんのご飯すきだよ!いたいいたいの、とんでけー!』
『ふふふ、樹里は優しい子ね』
たしか、私よりずっと早起きしてお弁当を作ってくれてたんだっけ。……遠足の朝に早く起きるタイプじゃなかったらきっと知らなかったこと。
私が小さく笑うと同時に、青い光で形作られた母の姿は煙のように消えてしまった。
「……ジュリ、すまない」
「え?何がです?」
「今は、今だけは……何も言うな。」
シルヴィオに抱きしめられたまま、背を撫でられる。温もりに包まれているせいか、気が緩んだ私の頰を雫が伝っていった。
「大丈夫、大丈夫ですよ……」
涙で濡れた鼻を啜るのを気取られないように、努めて明るく言いながら離れようとした。が、シルヴィオは私を離そうとはしなかった。
「ジュリ。私が偽名を名乗れと言ったのを覚えているか?」
「……はい?」
「あれは……あなたが少しでもこの世界に縛られないようにする為だ。……名は呪いだ、きっとあなたを縛ってしまう。」
「それは……」
シルヴィオが私を抱きしめる手に力が篭る。顔は一向に見えないけれど、シルヴィオの声は力強く、とても優しかった。
「私は、あなたがいつか私の前から居なくなることも覚悟している。……だから、今だけは堪えなくていい。いいんだ、ジュリ。私にあなたの全てを受け止めさせてくれ」