突然のプロポーズ
「お美しい姫君、ようこそ我が王国へ。」
すっかり驚きと混乱でいっぱいになった頭を振って慌てて起き上がると、私を覗き込んでいたその人が静かに跪いた。
温かな手に優しく引き寄せられ、私の手が綺麗な人の口元へと運ばれていく。
「え」
中々ついていかない私の思考に更なる追い打ちをかけるように、その人は私の手の甲に唇を寄せた。
伏せられた睫毛は長く、跪く姿が様になっているけれど、似合わない。なんとなくそう思いながら、一体何をされるのかと心臓が速く鳴る。
「あの……」
「どうか、許可なく触れた無礼をお許しください」
綺麗な人の言葉がそう言って途切れた。思わずぎゅっと目をつぶると、ちゅっという軽い音が耳に届く。
……あれ?
恐る恐る目を開けてみても、引き寄せられた手の甲には感触は無い。
どうやら実際に触れてはいない、触れてはいないようなのだが、異性と親しくした経験など皆無と言っていいほどの私にはどうにも刺激が強過ぎて自然と顔が熱くなってしまう。
「あ、あの……大丈夫です、ので」
やっと絞り出した声でそう言えば、私の手を取ったままの綺麗な人が安堵したように微笑んだ。
「ありがとうございます、花姫様」
綺麗な人の綺麗な微笑みに、有無も言えず。
そのまま見惚れそうになった私に、おばちゃんから聞けずじまいだったのを思い出した頭がストップをかけた。
グッジョブ私の頭。
「いえ、あの、すみません、そのはなひめさまって、一体何のことですか……」
「え」
「私、気付いたらこの舟に乗ってたと言いますか、夢を見てるといいますか……よく、わからないんです、けど……」
思わず出てしまった、といった感じの綺麗な人の素の声に慌てて言葉を付け加えると、その人は少し難しそうな顔になった。
「花姫様は我が国の伝承であり、また栄光であるのですが……ご存知、ないのですか」
「残念ながら……聞いたことも見たことも……」
「……ふむ」
「何かの間違いということは、」
「いえ、それは無いでしょう。この舟が選んだ方なのですから。」
言い切りはしたが、依然難しそうな顔のまま、何かを思案するように首を傾げている。
私が詳しいことを訪ねるより先に、階段の上から先程のおばちゃんの声がした。
「王子様!花姫様は受け入れてくださいましたか!?」
「へえっ、」
耳に飛び込んだおばちゃんの言葉に変な声を出してしまってから、そういえばと思い出す。
この人最初に我が王国とかなんとか言ってた気がする。
驚きに任せて問いかけようとした私の気配を察知してか、最初に見せた柔らかな微笑みとはまた違った、迫力のある瞳で射抜くように見つめられて慌てて声を抑えて問う。
「お、おお……王子様!?」
「静かに」
王子様、王子様がいざ目の前にいるとして、いや、どうしたって驚かないのは無理だ。
王子様なんて映画かお伽話か少女漫画でしか知らないのだ。
まじまじと見ればたしかに、目の前の人の服装はほつれ一つ無い。
汚れのない白地の布に刺繍や彫りの細かい釦も付いていたりして、ファンタジーに登場するthe王子様!というような上等な服を着ていらっしゃる。
「王子、様……」
いつの間にか集まっていたたくさんの人影を横目で確認した王子が、ぐっと顔を寄せて更に声を潜めた。ひえ、近い。整った顔が近過ぎる。
「この場ではまずい。ひとまず、城へ参りましょう。詳しい話はそちらで」
「城……!?」
「この場は私に合わせて微笑んでいて下さい」
「微笑み!?」
「このように笑うだけです。出来ますね?」
綺麗な顔が、近くで、優しく笑う。
優しいのに、有無を言わせない力がある。私にはもう無言で頷くしか選択肢がなかった。
「では参りましょうか」
そう言うが早いか、瞳と同じ色のマントを翻しながら颯爽と立ち上がった王子が、私の手を力強く引いて立ち上がらせてくれる。
一人で立とうとした時の小舟の抵抗など全く、全然、何も無く。
すんなり立ち上がることが出来たことに驚いていると、優雅な手付きで舟を降りるように促される。
「どうぞ、花姫様」
「ありがとう、ございま……!」
王子が引いてくれている手に少しだけ力を込めて石畳に降りようとした。
が。
緊張のし過ぎで舟の揺れを耐え切れず、そのままバランスを崩して倒れ込みそうになってしまった。
や、やばいぞ!?転んじゃう!
ここで転んだらいろんな意味で痛いぞ!
覚悟を決めた次に感じたのは、痛みでも衝撃でも無く、しっかりと鍛えられた体躯を感じさせる王子の胸の温かさだった。
「……っと、」
衆人環視の最中に、一国の王子に抱きとめられたのだ。
と私の理解が追いつく前に、一瞬の悲鳴とおばちゃんや街の人達の歓声が飛び交うのが聞こえてくる。
「……無事か?」
歓声に紛れるように、潜めた王子の声が案じてくれた。
「あ、ありがとうございます……!」
急いで離れる訳にもいかず、小さくお礼を言いながらなんとかコクコクと頷いて見せる。
転ばなかったことへの安堵の息で王子の顔を見上げると、再び迫力のある笑みで囁かれた。
「笑顔を忘れずに」
「は、はい!」
言われるまま慌てて笑顔を作って王子と寄り添うように石畳へ降りると、一気に無数の視線が集まるのがよくわかった。
「静まれ!」
賑やかな音の中へ王子がたった一声上げるだけで、一瞬にして人々が口を閉ざす。
通る声ではあると思うけれど、きっと、それだけではないのだろう。
王子の言葉を待つ街の人の視線が、信頼に輝いているのが遠目でもわかった。
「このフィレーネ王国に、ついに伝承の花姫様が訪れた。花が導き、舟が運び、到来の鐘は鳴った。皆もこの意味は知っていよう。」
口上を述べるように力強く語りかけながら、王子が私の手を引いて階段を上がっていく。
ここはフィレーネ王国っていうのかあ。で、目の前に居るのが王子様ね。よしよし、覚えたぞ。
というかこれが俗に言うエスコートってやつかなあ。
映画や漫画でしか知らないけど、なんかこう、私が見ている夢のはずなのに、妙にくすぐったくてドキドキするのはなんでなんだろう。
しかし……我が夢ながらやけに細かい設定だなあ。
確かに、目の前にいるこの人は王子という言葉に相応しい美男子だけど。
「……さま、花姫様」
「あ、はい」
王子の呼びかけで、はっと我に帰る。
いつの間に石畳の階段を登り切ったのか、海を見渡せる広場のような場所に立っていた。
そこはステージのようなところで、少し高さがあるせいか街の人たちの姿が数段下に見える。
「……なんでしょう?」
状況を飲み込めないまま、張り付けた笑顔の私が首を傾げると、綺麗な笑顔の王子が優雅に跪いた。
ん?こういうの見たことある。こういうの、こういうのってたしかよく映画のプロポーズなんかで……
「花姫様。私と婚姻していただけますね?」
「……はい……?」