理想を抱く娘
「一人、信頼できそうな人がいるじゃないですか」
ビッと人差し指で数字の1を表すと、誰のことかを察したらしいシルヴィオが片手で顔を覆った。
「……いやしかし、」
「ジュリア様がここで出会った者といいますと……まさか……」
ブルーナが指折り数えて、最後に折られた指で固まる。
「そのまさかです!」
得意げに笑う私に、ロベルトが静かに口を開く。
「……私共の娘のリータ、でございますか」
「はい!」
穏やかに考え始めたロベルトとは違い、ブルーナが困ったような顔をした。
「ですが、あの子は……」
「普段は働き者なんですよね?」
「ええ、ええ。けれど、」
「花姫様のことになると手に負えない、でしたっけ。……だからこそ、信頼できると思うんです。」
ブルーナが何度か口を開こうとして閉じるのを繰り返した。駄目押しに、令嬢スマイルで付け加えてみる。
「まあ、何よりの理由はロベルトとブルーナの娘さんだから、なんですけどね」
信頼できる二人の娘、というのを全面的に押し出すとシルヴィオが小さく溜息を吐き出した。
「……ジュリア、わかっているのか?」
「な、何をでしょう?」
「あの娘は……花姫の理想を見ている。」
「……というと、シルヴィオ様やブルーナと変わらないのでは」
「違う。」
シルヴィオが緩く首を振って、なんと言うべきか悩むようにお茶を飲んだ。
「理想のみを見ている、というべきか。……少しでもあの娘の理想からはずれれば、むしろ牙を剥かれるのはジュリアだ。」
「……え。」
「ただし。あなたが手綱を握って御せるならば、これ以上ない味方にはなるだろう。」
どうする?と問われながら、リータの言動を思い出す。そういえばたしかに、第二王子であるシルヴィオにも構わず噛みついていた。
「り、リータの理想ってどんな花姫様なんですか、ね?」
「……そう、ですわね……あの子に聞かせていたのは枕元での夢物語でしたから……。」
「それって……たしか、王子様と花姫様の婚姻のお話でしたっけ?」
「ええ。出逢いのはじめから、互いに手を取り合って国を治めるまでの物語でございますわ。……あの子は特に、花姫様の振る舞いを真似して育った子なのです。」
「振る舞いを真似して……そう聞くとなんだかとても可愛らしいですね!」
振る舞いと聞いて一番に想像されるのは、お伽話のお姫様のようにスカートをふんわり広げたりする子供の様子だったけれど。
想像した可愛らしさに微笑む私とは打って変わって、ブルーナとロベルトは視線を交わして肩を竦めている。
「はじめはただ、真似事をしていただけでしたが……」
「たしかに花姫様は皆の憧れではあるのです。ですけれど……夢物語は家々によって伝え方も各々で……そのことで同じ時季に産まれた子供達と言い争うことが増えるようになりました。」
なんと、現代でいうこじらせたオタク現象というやつなのでは?その気持ち、わからなくもない気がするよ……。
一人同情のような気持ちで頷いていると、カップを傾けるシルヴィオの顔がとても苦いものに変わっていた。
「……もしや。シルヴィオ様とも?」
ある一定の歳の子供がお城に集められて指導を受けるのだとすれば。見た目からして同じ世代だとしても不思議はない。
それに、この人も花姫様には中々の理想や想いがあったはずだ。
「聞くな。」
「……なるほど……。」
その一言と先程のリータとの会話を思い出せば事実は明白だった。もう聞くまい。
「そうして、大きくなるにつれて花姫様に関することではあの子には誰も触れなくなりました。お互いの為に、と。」
「それは……」
好きなものを真似してひたすらに憧れて、きっと好きなものは同じなのに、すれ違ってわかちあえずに一人抱えたまま。それは、どうにも。
「さみしいことですね」
「……ジュリア、」
「よし、決めました。」
「ジュリア様?」
言いながらお茶を飲み干して、音が鳴らないように気を使ってカップを置く。
「リータの理想の花姫様に、私がなればいいんでしょう?」
「……そうは仰いましても」
「きっと全部が全部は無理でしょうけど……でも、そうすればリータの理解者が増えてくれるってことじゃないですか!生きた花姫がここにいるんですもの、ね!」
えっへん、と胸を張ってみせる。と、嬉しいような困惑したような複雑な顔でブルーナが首を傾げた。
「ジュリア様のお気持ちは大変嬉しく思うのですけれど……」
今にも難しいことだと並べそうなブルーナに、先手を打って問いかける。
「ブルーナ!質問です!」
「な、なんでございましょ?」
「リータに夢物語を語ったのは誰ですか?」
「わ……わたくしですわ」
「そう、そういうことですよ!」
「……どういうことでございましょ」
首を傾げたままのブルーナが、ロベルトに助け舟を求めて視線を泳がせた。
「なるほど。概ね把握いたしました。……つまり、ブルーナが語った夢物語こそが理想ならば。ブルーナがお教えする理想の花姫様もまた、リータの理想と相違ないものである。……というところでしょうか。」
「そうですさすがロベルト!ね、ブルーナ。私に教えてくれるんですよね?」
「え、ええ。ええ……勿論でございます。けれど、本当によろしいのですか?」
出来ることならリータと友達になってみたいけど、きっとそれは彼女の解釈違いな気がするので、そっと胸にしまっておく。
「はい。やっぱり二人の娘さんだというだけで何より頼もしいですから」
言ってから、しまったと思った。が、もう遅い。
父母としての喜びが滲む笑顔の奥で、シルヴィオが難しい顔をしているのが見える。あれは、あの顔は、先程言っていた嫉妬に他ならないような気がする。
「……これで人材不足は解消できますよね?」
恐る恐る問うと、難しい顔のシルヴィオが渋々といった様子で頷いた。
「ああ。何れにしてもブルーナの教育の後にはなるだろうが、リータも花姫付きのメイドに召し上げてはどうだ?」
「まあ、まあ。わたくし仕込みですから仕事振りには問題ございませんけれど……」
「……頼もしい、のだろう?」
言外にしっかりと手綱を握れと言われているようで、思わずぎゅっと手を握りこむ。
思い出せる範囲では芝居の経験も、マナーを学んだ覚えなんてものもないけれど、いやそもそも記憶もそんなに無いけれど!
くそう、やってやろうじゃないか。
「ええ。望むところです。」
手始めに淑やかな令嬢スマイルを心がける。それを見たシルヴィオが、軽々と私の上をいくキラキラ王子スマイルで笑った。
「決まりですね。ひと月後が楽しみです。」
くう。なんだか負けたような気がする。
「……では今後の予定といたしまして、まずはじめにブルーナの教育、そしてご衣装の確認と仕立ての依頼。次にリータの教育でございますね。」
「あれ、フィレーネレーヴは教えてもらえないんですか?」
悔し紛れに、約束ですよね?と敢えて含んだ言い方をする私へ、驚いた顔のシルヴィオが問う。
「ひと月でそんなに詰め込んで覚えられるのか?」
「……た、たしかに。で、でもでも。こう、なんか一つでもいい感じの魔法はないんですか?」
「いい感じ、とは?」
「ほら、私、折角のお祭りで披露されるわけですし……例えば花びらをばーっといっぱいに飛ばしたり?」
イメージは花吹雪や、お祝いのフラワーシャワーなのだけど。上手く表現出来ないので手先をひらひらと小さく動かしてみる。
「……ふむ。……ない、事もないな。」
「本当ですか!?」
「しかし、たったひと月で覚えられるかどうかは、」
「やります!勉強も頑張ります!」
折角の異世界、目の前に魔法があるとわかってておあずけだなんて耐えられない!なんとしても魔法が、使いたい!
「ですがシルヴィオ様、花の精霊様は……」
「……わかっている。」
「花の精霊様って、フィルのことですか?」
「ああ。祝祭の前のこの時期はフィルも準備に追われているからな。いや、仕方ない、公務の終わりに私が指導しよう。」
仕方ないと言う割に全然仕方なくなさそうな声でシルヴィオが予定を決めていく。
「……びっしり……ですね」
ブルーナが書き込んでいく予定で手帳のページがどんどん埋まっていく。これがほとんど自分のことなのが恐ろしい。
「ああ、ジュリア。それと、ヴェルーノ・フィレーネフェスティで花姫様としての初仕事があるぞ。」
「えっ婚約発表だけでなく?」
「勿論。」
「まっったく聞いてないですけど、それは一体!?」
「お披露目だと言っただろう。民への挨拶という重要な仕事だ。」
一番花姫様としての振る舞いが試される、と付け加えてシルヴィオが笑う。王子スマイルで。
「ひえ……が、頑張ります……。」