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精霊の子



「ここは、ヴァルデマール王の施した呪いのない、唯一の場所です。……エドアルド様」



カールの唇は完璧に姿を装ったアドリエンヌの名ではなく、明確にエドアルドの名を述べた。


「此処でならば、きちんとお話が出来ます。」

「……!」

「何故、エドアルド様の名を……」


どうやらそのことに驚いたのはアーブラハムとシルヴィオ、そして私の三人だけのようで、当の本人はやけに落ち着いた顔をしている。


「どうしてそんなに落ち着いておられるのですか!?」

「どうしても何も、先程も呼ばれたからな」

「ええ。こうしてきちんとお会いするのはこれが初めてですが、かねてより貴方の名は存じておりました。……貴方のお爺様からよく聞かされていましたので」

「お爺様、……」

「アドリエンヌ様とよく似ていらっしゃいますが、一目見て違うということはすぐにわかりましたよ」

「…………」

「……し、しかし。……その、カール殿、貴方のその目は……」


……そう、正確にエドアルドだと言い当てたこともそうだけれど、何よりも驚いたのは、カールの、彼の目が金色だったことだ。


「な、何故……」

「何故?」

「だ、だってその、この国ではどうあがいても精霊は奴隷で、ヴァルデマール王がその存在を側近くに置くなど……あり得ない……!」


口早にそう言ってわなわなと震えるアーブラハムへ、金の目を細めたカールが首を傾げた。


「あり得ない、ということはない。現に、……見てわかる通り、私は精霊だ。……いや、正確にはルーキスと同じく、此処で産まされた精霊の子だがな」

「……産まされた……!?」


怪訝に声を上げたシルヴィオに、カールはなんという事も無さそうに頷いた。


「精霊にも寿命はある。だからこそヴァルデマール王は精霊と精霊を掛け合わせ、自らの糧の為に子供を産ませるのです。……そして子供が精霊としてきちんと育った事を確認出来れば、以後の反抗心を削ぐように敢えて父母と離し、別の領地で育てさせる。ちょうど、ルーキスがそうであったように、私もその一人だった。」

「そん、な……」


唖然とする私達を見て、それからカールがゆっくりと辺りを見回した。


「此処はまさしく、腹に宿った子に精霊の力を蓄えさせるべく造られた場所。故に、精霊の力を削ぐ呪いが施されていないのです」

「そ、そそ、そんな、そんなことまで……」

「ああ、そうさ……アーブラハム。お前が考えることを止めた数十年で王はさらに狂っていった。……だからこそ、私はまさかお前がそちらに着くとは思っていなかったよ。」

「!……わ、私がもっと早く王をお止めしていれば、……い、いやその前に、何故精霊であるカール殿が側近になったのだ!?ヴァルデマール王も精霊の子であればさすがに気がつくのでは、」


まくし立てるようにそう言ったアーブラハムへ、カールが皮肉そうな顔で笑う。


「何故?……簡単なことだ、アーブラハム。子供に何の権利もない国で、ましてやあの王が一奴隷の顔など覚えていよう筈がない。それに、精霊といえど金の目を閉ざして力を使わなければただの人と同じだ。お前も気がつかなかっただろう?……まあ、一つ言えるとすれば……ーー」


言葉の続きを言いかけて、カールがちらりとエドアルドを見た。エドアルドに向けられたその顔は、恨みでも憎しみでもなく、酷く穏やかな笑顔だった。


「……私は、幸運な子供だったということです。エドアルド様。私の運ばれた領地は、貴方のお爺様が治められるアメルハウザー領でしたから」

「!……ーーそれは、何故だ?」


難しい顔をしたエドアルドがやっとの事で問えば、カールが少し意外そうに目を丸めた。


「ご存知、無いのですか」

「……私は……お爺様の話を、母上から聞いたことが無いのだ。ただの、一度も」

「ーー……なるほど、左様でしたか。貴方のお爺様は志高く、素晴らしい方なのですよ。エドアルド様。王の信頼を得ながら、同時に欺いて、領主の館の中で私達を自由に過ごさせてくれた。教育を受け、生きる為の働き方をも教えてくれたのです。精霊の力の主たる目を意図的に閉ざさせて力を封じ、奴隷として扱う習慣があるこの国で。……いつしか、王の倒れる日を待ち望みながら。」

「……お爺様が」

「今の私があるのは、貴方のお爺様のおかげなのです」


しんと静まった空間で、カールが小さく息を吐いた。


「貴方のお母様とも、ある時までは共に野を駆けて遊ぶような仲だったのですが……」

「ある時まで?」

「ええ。私は色々な事を学び、外では目を閉ざすという条件でお爺様の付き添いの仕事が出来るまでになっていました。……そうしてお爺様とアドリエンヌ様に付き添って、他の領地に出向いた際、アメルハウザー領を疎んでいた領主から刺客として差し向けられた奴隷に襲われそうになったのです。」

「し、刺客として差し向けられた奴隷って……」


思わず私が口を挟むと、カールが悲しげに頷いた。


「ええ、彼らも私と同じく精霊の子でした。彼らは酷くやつれて、自我も無く、見ているだけで痛ましかった。……私は仲間である彼らを何とかしようと、その時、初めて言いつけを破って力を使いました。結果、彼らはアメルハウザー領に引き取られることになったのですが、……他領の精霊の扱いに激怒したアドリエンヌ様が表立って抗議をしようとなさったのです。」

「あのアドリエンヌ様が、……まさか奴隷の為に……!?」


慄くアーブラハムに、ゆっくりと頷いて言葉が続けられる。


「けれどそんなことをすれば、アメルハウザー領だけでなく、年若いアドリエンヌ様の身がどうなってしまうかは明白でした。そこでお爺様はアドリエンヌ様に記憶を改竄する呪いをかけ、館の地下に牢に見せかけた部屋をいくつも作ってアドリエンヌ様の側から正しく奴隷として精霊達を隔離したのです。」

「……それで母上はあのように、」

「いいえ、アドリエンヌ様はそれでも尚、私達を慕ってくださいました」

「え……?」


困惑の思いで首を傾げると、ルーキスを抱きしめていた母親が不意に声を上げた。


「カール様が仰ることは真実です。……私と夫は昔、カール様が救ってくれた他領の奴隷だったのですが……アドリエンヌ様も、世を変える為に領主を目指すと仰って……とても、良くしてくださったんですよ」

「……では、何故……」

「ーー危険、過ぎたのです。ヴァルデマール王が君臨する、この国では。精霊の子は順調に育ち、大人になった。匿うのにも限界が来て、王に差し出さねばならなくなった時。……お爺様は長女であったアドリエンヌ様に他国へ嫁ぐことを勧め、尚も反抗したアドリエンヌ様へ、私は最後に、精霊の力を使いました。改竄された記憶を、もっと馴染ませるように。」

「ーーそして、そして母上は……曲がった記憶から精霊を恨み、お爺様を恨み……今に至ってしまうというのか……?」


ぽつりぽつりと言葉を漏らして、エドアルドの手がぎゅっと握り込まれた。


「はい。如何なる時も正し過ぎたアドリエンヌ様を守る為には、それしか無かったのです。……そうしてアドリエンヌ様や城へ差し出される彼女らをも守るつもりで、私は身分や出生を偽り、自ら目を閉ざして、こうして城に務めることになったのです。」

「ーーでは何故、母上はヴァルデマールの子を、私を身籠ることになったのだ……!お前はずっと、幼い頃から、母上の側に居たのだろう……!?」


突然わっと声を上げたエドアルドの言葉に、カールが心底痛そうな顔をして、少し目を伏せた。


「……私は、アドリエンヌ様がヴァルデマール王に手を付けられるのを防ごうとしました。しかしその時、寝間の前に施されていた……生み出されたばかりの王の呪いを受けて、二度と目が開けられなくなってしまったのです。」

「……!」

「お爺様と相談してもこの呪いを解く術もなく。その後は衰弱の呪いも生み出され……まさしく、手も足も出なくなっていた。それでも諦めず、……私はずっと機を待ち続けていたのです。お爺様やアドリエンヌ様の願いでもあった、誤った王を打ち倒す為に。」

「か、カール殿、しかし……呪いを受けたのなら、ど、どうして今は……!?」


アーブラハムが問えば、するりと滑った視線が私を捉えた。


「どうしようもなく長い間、力を封じられていたが、……信じられないことに、たった一度、ヴァルデマール王と共にフィレーネ王国を訪れた際に封が解けたのです。」


その姿になったからこそ、覚えもあるだろう?と問われたアーブラハムがこくこくと頷いて、カールがもう一度私を見て深々と頭を下げた。


「ありがとうございます、花姫様」

「ーーへ、」

「……此度の件、要は貴女でしょう?」


否も応も言っていないのに、私の瞳を見て一つ頷いたカールがみんなの顔を順に見回した。


「此度の訪問の目的はお爺様を通してアルヴェツィオ王から伺っています。……私は、この機を待っていました。私は、道を違わず、貴方方の味方です。」

「!……私も、私もですカール様!」


ぎゅっとルーキスを抱きしめて、母親が力強い声を放つ。抱きしめられたルーキスがちょっと苦しそうにして、それから不安そうな瞳をカールへ向けた。


「ねえ、……カールお兄ちゃん、パパは……?」

「こら!カール様でしょう!」

「ーーいや、いいんだ。お前の父は……今、この城には居ない。」

「どういうこと!?」

「……数日前、お前が牢を出ることが決まった時、王の企みによって連れて行かれてしまった。……が、気配はきちんとある。今も無事なことは確かだ。」


悔しげなカールの言葉に複雑そうな顔をしたルーキスが俯いて、母親がその頭を撫でる。……親子の営みは、こんな時でも、こんな薄暗い場所でも、温かくて。


「……少しのつもりが、大分話し込んでしまいましたね。これから多くの精霊が捕らえられている主立った牢へと案内しますが、……王の呪いが消え去るまで、花姫様以外は絶対に精霊の力を使ってはなりません。良いですね?」

「それは勿論心得ております。……しかし、果たしてその主立った牢とはどこにあるのですか」

「それは、」


シルヴィオとカールが話しているのを遮って、私はゆっくりと階段を下りた。


「……ジュリエッタ?」

「あの、その前に少し、……良いですか」


開け放たれた鉄格子の中に入って、無機質で広い空間に息を呑む。絨毯が敷かれていたり、いくつかのベッドや仕切りがあるけれど、やっぱりどこか物悲しくて。

それでもじっくりと辺りを見回してみて、ふと気が付いた。


空間は確かに無機質なのに、どこか温かみがある。


ーーそうか、絵だ。


その壁にはいくつもの絵が描かれていた。それは例えば子供の落書きであったり、お手本の為に描かれたような、しっかりとした線であったり。此処へ至るまでは一つもなかったのに、確かに、ここに温かい文化がある。


……そして、フィルへ宛てられた本にあったのと同じ精霊文字も書かれていた。


「この文字は……」


まじまじと壁を見つめた私に気付いたルーキスが走り寄ってきて、おもむろに壁の絵を指した。


「これはね、此処にいるみんなが使ってた字だよ、お姉ちゃん。それでね……この絵と、この字は僕が書いたの」

「そうなの、上手ねルーキス。……これは、何て書いてあるの?」

「んーとこれはねえ、『ただいま』って意味だよ!いつかね、僕と、ママと、パパだけのお家を作って、みんなでただいまとおかえりをするのが夢なんだ!」


……『ただいま』か。


そう言ってにっこりと笑ったルーキスの笑顔が眩しくて、純粋に将来を夢見る瞳に、ぎゅうっと胸を締め付けられる思いがした。


ーーこれはきっと、同情なんかじゃない。好き、だ。私は、こうして文化を伝え合って、夢を語る瞳が、好きなのだ。


……瞳の色こそ違えど。

あの夢で見た、幼いシルヴィオと同じ瞳が。


「……お姉ちゃん?」


ぐっと息を吸い込んで、階段の前で静かに立つカールを見る。


「……此処は、呪いのない場所なんですよね!」

「え?ええ、そうですが……」

「ーーでは!」

「ジュリエッタ!?」


ハッとして駆け出そうとしたシルヴィオの動作より早く、私はぎゅっと花石を握り込む。


……アルヴェツィオ様は城のあちこちでフィレーネレーヴを重ねがけしろって言ってたし、フィレーネレーヴは想いの力なんだもの。だからこそ、手始めはこの温かい場所から……!


「ーー咲きほこる花よ、」


ふと、室内で花びらを舞わせるのは確かあれ以来だな、と思い出して、同時にシルヴィオの唇の感触が思い起こされる。


ーーあ、あれは事故!事故のようなもので、決してそんなロマンチックなものじゃ……!


かっと熱くなる頰と一緒に、ぶわりと青い光が膨れ上がった。……うぐぐ。どうしてもシルヴィオ様のこと考えると力が強くなっちゃう気がするな!


ーーええい、ままよ。確かに此処にいた、ルーキスと同じように夢を描いた、こんなにも温かい人たちの想いも、私の力に変えて。


「喜びに、舞い踊れ……!」


……こ、この喜びはほらその、ルーキスの笑顔を見れた的な?アレで?別にその、ファーストキッスがどうということではないですしおすし!


なんていう言い訳を内心でしている間に、壁に描かれた絵や文字も、私の想いに応えるように青く光り出した。

それを吸収しながら部屋いっぱいにまで広がった青い光が一瞬壁を突き抜けるように膨れ上がったかと思うと、すぐさま無数の花びらに形を変えて降り注いだ。


ルーキスやその母に触れた光が黒く滲んだ何かを洗い流して、二人の顔色が一層良いものへと変わっていく。


「……これは、……これこそが救いの光か……」


ほう、と天井を眺めて溜息を吐いたカールが、はっとして後ろを振り返る。


「まずいな。これ程の力を使えば流石に勘付かれてしまう……!」

「そ、そんな、カール殿!」

「カール様!此処のことは私に任せて、その方々を早くご案内してください!」


力強く叫んだ母に、カールが言い淀んだ。


「ーーしかし、」

「大丈夫。花姫様のおかげで、私は本来の力を取り戻せましたもの!」

「カールお兄ちゃん、僕もママのこと守るから、大丈夫だよ!」


青い花びらの中でぎゅっと手を繋いだ母子の姿に、カールが一瞬だけ子供のような顔をして、頼んだぞと呟きながらすぐに強く頷いた。


「……急がなければ。王が今より広く呪いを施してしまう前に。何せ目的の場所は、王が呪いを生み出す寝間の奥なのです……!」


焦った様子のカールが慌てて階段を登り、私も急いで階段を駆け上がる。


「何か、足止めの方法があれば良いのですが、」

「……足止め……それならば心配はないな」


カツン、と階段を登りかけて、ふと立ち止まったエドアルドが不敵な笑みを浮かべる。


「?どういう意味です、エドアルド様」


同じく立ち止まって首を傾げたカールへ、揃って顔を見合わせた兄弟が楽しげに笑った。


「どういう意味も、……ねえ、ルヴィ?」

「ーーそうですね、アドリエンヌ様」


頷き合って貴婦人のように落ち着いた仕草で階段を登りながら、アドリエンヌの声を模したエドアルドが口を開く。


「力強い別働隊が、きっと上手くやってくれているはずですわ」



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