貸し一つ
「……はは!?」
リータと名乗った女性の言葉に思いっ切り反応し過ぎて、シルヴィオの肘に軽く小突かれる。
「笑顔。」
私の耳元で一つ言えば、さらっと涼しい顔をして微笑んだ。
深々と頭を下げてくれたリータに、ごまかし笑いをしながら挨拶を返す。
「は、はは……初めましてリータ。よろしくお願いしますね。」
「はい!では、こちらへどうぞ!」
ぱっと顔を明るくして笑う顔が、どことなくブルーナに似ている。促されるまま歩いているうちに、すっかり聞きそびれた質問を思い出した。
「あの……リータ、そのままでいいので少し聞いてもいいですか?」
「何なりと!」
ふと私の手を引くシルヴィオの肩がピクリと揺れた。なんかそんな反応するようなことあったっけ?
「さっきブルーナのことを母と呼んでましたよね?」
「ええ、たしかに。」
「リータのお母さんがブルーナなら……お父さんはもしかして、」
「父ですか?父でしたらもうご挨拶は済ませたかと思いますが……シルヴィオ第二王子付きの執事をさせていただいております。ロベルト・アンサルディと申します!」
誇らしげに答えてくれるリータがなんとも微笑ましい。
ああ、やっぱり。二人が夫婦だというだけでなく、こんな素敵な娘さんが居るとは。ブルーナから感じた母オーラに偽りなし。
「ありがとうございます。……そういえば、苗字って初めて聞きました。シルヴィオ様は何という苗字なんでしょう?」
はて、と少しばかり首を傾げると、前を進むリータの足が突然止まった。
「……まさかシルヴィオ第二王子、」
ハスキーがかった声がより一層低くなって、ゆっくりと振り返ったリータの笑顔がなんだか怖い。廊下を照らす蝋燭の灯りと相まってか、ブルーナとはまた違った圧を感じる。
「違う、違うぞ」
はっとしたシルヴィオが、少しばかり慌てたように首を振った。
「まさかまさか、御名前を名乗られる事もなく、私の花姫様に近付かれたのですか!?」
「……私の?」
「落ち着け、リータ」
「落ち着いていられません!私の!花姫様にとんだご無礼を!」
確かに私が聞くまで名乗られなかったなあ、と思いつつ。リータが一向に落ち着かなさそうなので、もう一度お腹が鳴る前に一芝居打つことにしよう。
「あら、私ったら少々混乱してしまっているみたい。一度聞いたはずでしたね、たしか……」
わざとらしく頰に手を当てて首を傾げると、それを察したシルヴィオが、助かったとばかりに私の手に口付ける。
「ええ、私の、花姫様にならば何度でも囁きましょう。」
未だ慣れない感触に思わず引きそうになる手を堪えて、なんとか笑顔をつくった。
あといまなんか変な強調をされた気がする。
「私の名はシルヴィオ・フィレーネアです……これでもお忘れになるならば、今度は是非、あなたの枕元で夜通し囁かせてください」
すっごい笑顔ですっごいこと言うな、この人。耐性の無い私は笑顔で頷くので精一杯だ。
「……花姫様がそう仰るならば間違いないのでしょう。騒ぎ立てして申し訳ありませんでした。」
リータが少しばかり不満そうな視線をシルヴィオへ送って、深々と頭を下げる。
「いいえ、私の方こそ混乱させてごめんなさい。……ところで、私のって?」
頭が上がったところへにっこりと笑いかけて問うと、すかさずリータの頰が赤く染まった。
「あ……!これは失礼を致しました!どうぞお忘れください……!小広間へ急ぎ、参りましょう。」
折角のお料理が冷めてしまいます、と早口に言われてしまえばそれ以上リータの背中に問うことも出来ず、大人しくシルヴィオに手を引かれて歩いていく。
途中でシルヴィオの歩調が遅れたと思うと、少し背を丸めて囁かれた。
「すまない、助かった」
私の急ごしらえな助け舟にも颯爽と乗り込んで、まるで自分の船のように舵を切っていった余裕がちょっと気にくわない。ので、少しばかり意地悪を言ってみる。
「……貸し一つですね」
「貸し?」
「助けたので貸しで、いずれ返してもらうって事です」
「ふむ。考えておこう。」
歩きながら小声で交わされる言葉では相手の表情はまったく読めないが、なんとなく楽しげな声に聞こえる。何故だ。
そうこうしているうちに、今までより明らかに広く造られた廊下へ辿り着いた。
飾りの細かい両開きの扉が間隔を空けていくつか並んでいて、リータがその一つで立ち止まる。
「シルヴィオ第二王子、花姫様、共にご案内を致しました。」
言うなり、扉が内側から左右同時に開かれていく。
向こう側にはロベルトとブルーナが控えていて、奥には生花が飾られた大きなテーブルと、それを囲むように椅子が並んでいた。
「お待ちしておりましたわ。」
ブルーナが促すまま足を踏み入れると、綺麗な額に縁取られた花の絵が周囲の壁に掛けられていて、見るからに華やかな空間が広がっていた。
シルヴィオにエスコートされて、すんなりと椅子に座らせてもらうと、背後から母子の微笑ましい会話が聞こえてきた。
「案内をありがとうリータ。」
「いえお母さ……メイド長。」
「もう。あなたという子は。花姫様に粗相はしなかったでしょうね?」
「……あ。」
ふふ、と思わず笑いが溢れてしまえば、リータが慌てる気配とブルーナの訝しげな気配とを同時に感じ取ることになってしまった。
「二人とも、後になさい。……申し訳ありません、お騒がせを。」
シルヴィオを向かいの席へ誘導したロベルトが、穏やかに嗜める。
「大丈夫ですよ、ブルーナとロベルトにこんなに可愛らしい娘さんが居たって知れて嬉しかったですし」
「……かわっ!?」
リータの裏返った声と共にガタガタッと扉が音を立てる。と同時に、呆れたような溜息が三つ聞こえた。
「申し訳ありませんわ、ジュリア様。リータは普段はとても働き者でしっかりしているのですけれど……花姫様のこととなると手に負えない子で」
扉を閉め直して頭を下げたブルーナと、頰を真っ赤に染めたリータを交互に見る。
視線に気付いたリータが慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ありません……!どうしても一目お会いしたく、無理に頼み込んで此処に居ますのに……とんだ失態を、」
「……リータ、下がっていなさい。」
「はい……。失礼をいたします」
「あ、」
給仕を始めたロベルトに指示され、深々と礼をして立ち去ろうとするリータに声をかけようと口を開くも、ブルーナに首を振って止められてしまった。
「……。」
「さ。お食事に致しましょ。」
ブルーナの言葉で手元を見ると、白く滑らかな布の上にナイフやフォークが並んでいる。一瞬マナーの必要な食事かと身構えるが、運ばれてきた料理を見るにどうも違うらしい。
中心に花を据えたテーブルには、バイキングやビュッフェなどと聞いて想像するタイプの大皿料理がいくつも運ばれてきていた。
「わあ……!」
見たところ、和洋さまざまな料理が並んでいてなんと煮物のような見た目の食べ物や白米まで存在している。さすが私の夢、なのか?
「お好みがわからなかったので、本国の郷土料理から古くより花姫様に口伝いただいたものまで種々ご用意させていただきました」
「す、すごいですね……!」
ロベルトの紹介とご飯の良い香りにごくりと喉を鳴らすと、ブルーナが数種類の食べ物を盛り付けてくれた。
「ありがとう、ブルーナ。……いただきます」
スプーンを手に取って、恐る恐る煮物のようなものを一口。
「んむ!?」
噛めば噛むほどじゅわりじゅわりと味が染み出してくる、これは、この味は……!!
「いかがですか、ジュリア様」